教皇ベネディクト十六世のアイダ難民キャンプでの演説

2009年5月8日(金)から15日(金)まで行われた聖地巡礼の6日目の5月13日(水)午後4時45分に、教皇ベネディクト十六世はパレスチナ・ベツレヘムのアイダ難民キャンプを訪れました。教皇は、イスラエル政府がヨルダン川西 […]

2009年5月8日(金)から15日(金)まで行われた聖地巡礼の6日目の5月13日(水)午後4時45分に、教皇ベネディクト十六世はパレスチナ・ベツレヘムのアイダ難民キャンプを訪れました。教皇は、イスラエル政府がヨルダン川西岸に建設している分離壁と監視塔と接する難民キャンプの学校校庭に設置された会場で、マフムード・アッバース大統領に迎えられました。以下は難民キャンプで教皇が行った演説の全文の翻訳です(原文英語)。
アイダ難民キャンプはパレスチナ地区の難民キャンプの一つです。パレスチナ地区には130万人の難民居住者がいます。これらの難民は、イスラエルが建国された1948年と、「六日間戦争」とも呼ばれる第三次中東戦争後の1967年に発生しました。キリスト教徒とイスラーム教徒が共存するアイダ難民キャンプにはキリスト教徒の家族を含む5000名の居住者がいます。パレスチナ地区の難民の数は300万人とも400万人ともいわれます。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の2008年の推計によると、パレスチナ難民の総数は460万人です。難民居住地域は、ヨルダン(170万人。うち329,000人が10キャンプで生活)、ヨルダン川西岸地区(50万人が19キャンプで生活)、ガザ地区(100万人が8キャンプで生活。総数150万人)、レバノン(409,000人が12キャンプで生活)、シリア(12万人が9キャンプで生活)です。


 

  大統領と親愛なる友人の皆様。

 今日の午後のアイダ難民キャンプ訪問は、家をもたないすべてのパレスチナの人々との連帯を表明するよい機会を与えてくれました。この人々は、自分が生まれた場所に戻り、故郷に恒久的に住めるようになることを待ち望んでいます。ご丁寧にごあいさつくださった(マフムード・アッバース)大統領に感謝します。(カレン・)アブザイド(国連パレスチナ難民救済事業機関事務局長)と、他の演説者の皆様にも感謝申し上げます。難民の世話に当たる国連パレスチナ難民救済事業機関のすべての職員の皆様。わたしは、このキャンプを初めとするパレスチナ地域全域の他のキャンプで皆様が行っておられる活動に対して全世界の数えきれない人々が感じている感謝の気持を表します。
  この学校の生徒と教員のかたがたに特にごあいさつ申し上げます。皆様は献身的な教育活動によって未来への希望を表しています。ここにおられるすべての若者の皆様に申し上げます。これからのパレスチナ国民としての活動に責任をもつようになる時期に備えてあらためて努力してください。両親もこの場所できわめて重要な役割をもっています。このキャンプにおられるすべてのご家族に申し上げます。しっかりと子どもたちの勉強を支え、その才能を育ててください。それは、将来のパレスチナ共同体で指導的な地位を占める有能な人材が不足することがないようにするためです。皆様の家族が――家族の人々の投獄や、移動の自由の制限によって――分断されていること、皆様の多くが戦争によって家族を失ったことをわたしは知っております。わたしは、このような苦しみに遭遇しているすべての人々に思いを致します。全世界のすべてのパレスチナ難民、特に最近のガザ紛争の間に家と愛する家族を失った人々を、常に祈りのうちに思い起こすことを約束します。
  このキャンプを初めとした他のパレスチナ地域の難民のために多くの教会機関が行っている愛のわざに感謝申し上げたいと思います。難民に対するカトリック教会の人道支援活動に協力するために約60年前に設立された教皇庁パレスチナ援助事業も、他の機関とともに必要とされる活動を続けています。このキャンプにマリアの汚れなきみ心のフランシスコ宣教姉妹会がおられることは、偉大な平和と和解の使徒である聖フランシスコ(1181/1182-1226年)の恵みに満ちた姿を思い起こさせてくれます。実際、わたしはこの地域でフランシスコ会修道家族のさまざまな会員が行った大きな貢献に特に感謝したいと思います。彼らは自らを、伝統的にアッシジの聖人が語ったことばとされる「平和の道具」としたからです。
  平和の道具。このキャンプと、パレスチナ地域と、中東地域全体の人々が、どれほど平和を願い求めていることでしょうか。1948年5月の出来事と、この出来事に続く、今なお絶えることのない長年の紛争を思い起こすと、この願いは特に痛切なものとなります。皆様は現在、雇用の機会が限られ、不安定で困難な状況の中で暮らしておられます。皆様がしばしば不満を感じられることは、無理からぬことです。永住できる家と、パレスチナ独立国家を求める皆様の正当な希望は、今なお実現されていません。むしろ皆様は、この地域や世界中の多くの人々と同じように、暴力、攻撃と反撃、報復、継続的な破壊の連鎖に捕らえられています。全世界は、この連鎖が解かれること、平和によって引き続く戦闘が終わることを待ち望んでいます。
  今日の午後、ここに集まったわたしたちの頭上には、イスラエルとパレスチナの人々の関係が行き着いたように思われる膠着状態をはっきりと示す、壁がそびえ立っています。貿易、旅行、人々の移動、文化交流のために、ますます境界がなくなりつつある世界の中で、今なお壁が建設されるのを目にするのは悲しむべきことです。わたしたちは、平和を築くというきわめて困難な課題が成果を生み出すことをどれほど願っていることでしょうか。この壁が作られる原因となった戦争が終わるのをどれほど熱心に祈っていることでしょうか。
  この壁の両側において、恐怖と不信を克服し、死者や怪我人のために報復したい欲求に抵抗するために、多くの勇気が必要とされます。長年の戦闘の後で、和解を追求するためには、寛大な心が必要です。しかし、歴史が示すとおり、交戦者が進んで不満を乗り越え、共通の目標に向けてともに歩み、相手の関心と恐怖を真剣に受け止め、信頼できる状況を作り出そうと努力するとき、初めて平和は実現します。和解に向けた大胆かつ想像的な取り組みを進んで行うことが必要です。それぞれの側が相手に対して元の権利を要求するなら、もたらされるのは膠着状態だけです。
  このキャンプで提供されているような人道支援も不可欠な役割を果たします。しかし、パレスチナ紛争のような紛争の長期的な解決は、政治的な解決のほかにありません。パレスチナとイスラエルの人々が自分の力だけでこのような解決を得られるとはだれも思っていません。国際社会の支えがきわめて重要です。ですからわたしはあらためてすべての関係国に呼びかけます。公正で永続的な解決をもたらすために自らの影響力を行使してください。すべての関係者の正当な要求を尊重し、人々が国際法に即した平和で尊厳ある生活を送る権利を認めてください。しかし、同時に、外交的努力が成功するには、パレスチナとイスラエルの人々自身が、攻撃の繰り返しから進んで離脱しようとしなければなりません。わたしは聖フランシスコのものとされる別のすばらしいことばを思い起こします。「わたしを、憎しみのあるところに愛を、争いのあるところにゆるしを・・・・暗闇のあるところに光を、悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください」。
  皆様にあらためてお願いします。聖フランシスコを初めとする偉大な平和を築いた人々の模範に倣い、平和と非暴力を深めるよう懸命に努力してください。平和は、家と、家庭と、心の中から始まらなければなりません。わたしは祈り続けます。この地域のすべての紛争関係者が、勇気と想像力をもって、困難ではあっても不可欠な和解を追求することができますように。この地が再び平和で満たされますように。神がその民を平和によって祝福してくださいますように。

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