教皇ベネディクト十六世「アルスの聖なる主任司祭の没後150周年を記念する『司祭年』開催を告示する手紙」

6月18日(木)、教皇ベネディクト十六世は「アルスの聖なる主任司祭の没後150周年を記念する『司祭年』開催を告示する手紙」(6月16日付)を発表しました。以下はその全文の翻訳です。手紙はイタリア語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ポーランド語で発表されました。底本として英語版を用いましたが、合わせてフランス語、イタリア語版を参照しました。


  親愛なる司祭職にある兄弟の皆様。

 わたしは来る2009年6月19日(金)のイエスのみ心の祭日に――この日は恒例に従い司祭の聖化のためにささげられます――、全世界の主任司祭の守護聖人である(1)ヨハネ・マリア・ビアンネ(Jean-Marie Vianney 1786-1859年)の没後150周年を記念して「司祭年」を開催することを決めました。「司祭年」は全司祭が心の刷新への努力を深めることを目的としています。それは、現代世界にあってより力強く、はっきりと福音をあかしすることができるようになるためです。「司祭年」は2010年の同じイエスのみ心の祭日に終了します。聖なるアルスの主任司祭がしばしば述べたように、「司祭職とはイエスのみ心の愛です」(2)。この感動的なことばによって、わたしたちはまず、深い感謝をもって、司祭が教会のためだけでなく、人類そのもののために示す大きなたまもののことを思います。わたしはすべての司祭に思いを致します。彼らは日々、信者と全世界にキリストのことばとわざを静かに示します。自分の思いと心、感情と生活様式において主と一致しようと努めます。これらの司祭の使徒としての労苦、うむことのない隠れた奉仕、全世界に対する愛のわざに感謝せずにいられるでしょうか。そして、多くの司祭の勇気ある忠実をたたえずにいられるでしょうか。彼らは困難と無理解の中でも、「キリストの友」となるという召命に忠実にとどまります。キリストが彼らの名を呼び、選び、遣わしたからです。

  わたしは若い司祭として一緒に奉仕職を果たした、最初の主任司祭のことを今でも思い出します。彼はわたしに司牧職への惜しみない献身の模範を残してくれました。彼は重病の人に最後の糧を持っていく途中で亡くなりました。わたしはこれまでにわたしが出会い、これからも出会い続ける、数えきれない数の同僚の司祭のことも思い起こします。とくに、さまざまな国への司牧訪問の際に出会った、日々、惜しみない心で司祭職を果たすことに精励する司祭たちです。しかし、聖ヨハネ・マリア・ビアンネのことばは、キリストの刺し貫かれたみ心と茨の冠のことも思い起こさせます。それゆえわたしは、多くの司祭が苦しむ数多くの状況のことも思います。それは、彼らがさまざまな人間的苦しみの体験を共有したり、自分が仕える人々から誤解を受けることによって引き起こされたものです。尊厳をないがしろにされ、宣教を妨げられ、迫害され、ときには最高の血のあかしまでもささげる司祭たちのことを思わずにいられるでしょうか。

 残念ながら、一部の奉仕者の不忠実の結果、教会自身が苦しんでいる、嘆いても嘆ききれないような状況も存在します。世はそこにつまずきと拒絶の理由を見いだします。このような場合に教会にもっとも役立つのは、奉仕者の弱さを率直かつ完全に認めながら、神の偉大なたまものを喜びをもってあらためて実現することです。このたまものは、寛大な牧者、神と霊魂への熱心な愛を抱いた修道者、聡明で忍耐強い霊的指導者の輝かしい模範のうちに示されます。ここで聖ヨハネ・マリア・ビアンネの教えと模範は、わたしたち皆にとって重要な基準となることができます。アルスの主任司祭はとても謙遜な人でしたが、司祭である自分が自分の民にとって大きなたまものであることを自覚していました。「よい牧者、すなわち神のみ心に従う牧者は、いつくしみ深い主が小教区に与える最大の宝であり、神のいつくしみのもっとも貴いたまものの一つです」(3)。彼は、司祭職とは、いわば人間にゆだねられた、はかりしれない偉大な「たまもの」であり「使命」であると述べます。「ああ司祭とはいかに偉大なものでしょう。司祭は自分がいかなる者であるかを知るなら、死んでしまいます。・・・・神は司祭に従います。司祭が二言唱えると、主はその声にこたえて天から下り、小さなホスチアの中に入るのです」(4)。小教区の信者に秘跡の大切さを説明するために、ビアンネはいいます。「叙階の秘跡がなければ、わたしたちには主がいなくなります。主を聖櫃に収めるのはだれでしょうか。司祭です。生涯の初めにあなたの霊魂を迎え入れてくれるのはだれでしょうか。司祭です。あなたの霊魂に糧を与え、旅路を歩む力を与えてくれるのはだれでしょうか。司祭です。神の前に立ち、イエス・キリストの血によって最後の洗礼を受ける準備をしてくれるのはだれでしょうか。司祭です。いつも司祭です。そして、霊魂が(罪のために)死んだとき、彼を立ち上がらせ、平安を取り戻させてくれるのはだれでしょうか。それも司祭です。・・・・神のほかには、司祭がすべてです。・・・・司祭は天において初めて自分がいかなる者かを知るのです」(5)。聖なる牧者の司祭としての心から生まれたこのことばは、誇張に聞こえるかもしれません。しかしそれは、彼が司祭職の秘跡を果たすことをどれほど重視していたかを示します。彼は責任の限りない重さに圧倒されていたように思われます。「地上で司祭がいかなる者であるかを知るなら、死んでしまいます。それは恐れのゆえにではなく、愛のゆえにです。・・・・司祭がいなければ、主の受難と復活は何の役にも立ちません。・・・・地上であがないのわざを続けるのは司祭です。・・・・だれも扉を開く人がいなければ、家が金塊で満たされていても何の役に立つでしょうか。司祭は天の宝を開く鍵をもっています。扉を開くのは司祭です。司祭はいつくしみ深い神の執事であり、神の善の管理人です。・・・・司祭なしに小教区を20年間放置するなら、人々は獣を礼拝することになるでしょう。・・・・司祭は自分のためにいるのではなく、あなたがたのためにいるのです」(6)。

 ビアンネは230人の住人の住む村アルスに赴任したとき、アルスでは信仰が実践されていないことを司教から事前に知らされていました。「この小教区には神への愛がほとんどありません。あなたがそれをもたらしなさい」。それゆえ、ビアンネは、自分がキリストの現存を身をもって示し、そのあわれみ深い救いをあかししなければならないことを深く自覚していました。「(わが主よ、)わたしの小教区に回心の恵みをお与えください。わたしは生涯、あなたが望まれるときにいつでも苦しむ覚悟です」。この祈りとともに彼は宣教を始めました(7)。聖なる主任司祭は自分の小教区の回心のために全力で働きました。そのために彼は司牧において、自分にゆだねられた民のキリスト教的教育を何よりも優先しました。親愛なる司祭職にある兄弟の皆様。聖ヨハネ・マリア・ビアンネの司牧方法を学ぶ恵みを主イエスに願おうではありませんか。まずわたしたちが学ばなければならないのは、自分の職務と完全に一致することです。イエスにおいて、人格と使命は一致していました。キリストのあらゆる救いのわざは、彼の「子としての自覚」の表現でしたし、また今もそうであり続けます。キリストは永遠に父のみ前に立ち、完全な愛をもってそのみ心に従います。あらゆる司祭も、つつましくはあっても真実にこれと同じしかたで、この一致を目指さなければなりません。もちろん、奉仕職の効果は奉仕者の聖性と無関係であることを無視するわけではありません。しかしわたしたちは、客観的な意味での奉仕職の聖性と主観的な意味での奉仕者の聖性の出会いがもたらす特別な実りを見過ごすこともできません。アルスの主任司祭は、奉仕者としての生活と、自分にゆだねられた奉仕職の聖性とを一致させるために、すぐに、謙遜に、忍耐強く努めました。そのために彼は物理的な意味でも自分の小教区教会堂に「住む」ことを決めました。「赴任すると、彼は教会堂を住居とすることに決めた。・・・・彼は夜明け前に教会堂に入り、晩のお告げの祈りまでそこにとどまった。用事のある人は教会堂で彼を探せばよかった」(8)。

 敬虔な伝記作者の信心深い誇張があるとはいえ、ビアンネが自分の小教区の全域に生き生きと「住む」ことができたことが分かります。彼は病者や家庭を定期的に訪問しました。信心業や守護聖人の祝日を主催しました。福祉活動と宣教活動のための資金を集めて管理しました。小教区教会を聖なる装飾で飾りました。「摂理の家」(彼が設立した学校)の孤児と教師の世話をしました。子どもを教育し、信心会を作り、信徒を協力者として用いました。

 ビアンネの模範によって、わたしは、信徒が完全な意味で協力できる空間を作るべきことを思い起こします。司祭は信徒とともに一つの祭司の民をつくるのです(9)。また司祭がその奉仕職によって信徒の中に置かれているのは「すべての人を『兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思う』(ローマ12・10)愛の一致に導くため」(10)です。このことに関連して、第二バチカン公会議の司祭への強い励ましを思い起こさなければなりません。「司祭は信徒の品位と教会の使命における固有の役割とを誠実に認め、また推進しなければならない。・・・・進んで信徒の意見を聞き、彼らの要望を兄弟の心をもって考慮し、人間活動の種々の領域における彼らの経験と能力とを認めて、彼らとともに時のしるしを発見するように努めるべきである」(11)。

 聖ヨハネ・マリア・ビアンネは第一に自らの生活のあかしによって自分の小教区信徒を教育しました。信徒はビアンネの模範から、進んで聖櫃の前にとどまり、聖体のうちにおられるイエスを訪れて祈ることを学びました(12)。ビアンネは人々に説明していいました。「よく祈るために多くのことを語る必要はありません。いつくしみ深い神がそこにおられること、聖櫃の中におられることをわたしたちは知っています。このかたに心を開こうではありませんか。このかたの聖なる現存を喜ぼうではありませんか。これこそがもっともよい祈りです」(13)。ビアンネは彼らに勧めました。「聖体を拝領しに来てください。イエスのもとに来てください。イエスによって生きてください。それはイエスのために生きるためです」(14)。「たしかにあなたがたはふさわしい者ではありません。けれどもあなたがたはイエスを必要としています」(15)。聖体の前に進み出て、聖体拝領を行わせるためのこの教育は、ビアンネがミサをささげる姿を示すことによってとりわけ効果的なものとなりました。この姿を見た人はいいます。「これ以上の礼拝の模範を見ることはできません。・・・・彼は深い愛をもってホスチアを仰ぎ見ました」(16)。ビアンネはいいます。「あらゆる善行を合わせても、ミサのいけにえには及びません。善行は人間のわざですが、ミサは神のわざだからです」(17)。ビアンネは、司祭の熱心な生活はすべてミサにかかっていると考えていました。「司祭がたるんでいるのは、ミサに注意を向けないためです。ああ、何ということでしょう。司祭が習慣のようにミサをささげるとは、何と悲しむべきことでしょう」(18)。ビアンネはミサをささげるとき、いつも自分の生活もささげました。「ああ、司祭が毎朝、神に自分をいけにえとしてささげるのは何とすばらしいことでしょう」(19)。

  十字架のいけにえと自分を一致させることによって、ビアンネは――それは唯一の内的な動きをなしますが――祭壇から告白場へと導かれました。司祭は平気で告白場を無人にしたり、信者をゆるしの秘跡に無関心にさせるようなことがあってはなりません。ビアンネの時代のフランスでは、現代のようにゆるしの秘跡を簡単に行うことも、頻繁に行うこともできませんでした。フランス革命の混乱が、長い間、信仰の実践を禁じたからです。しかし、ビアンネは説教と力強い説得など、あらゆる手段を用いて、小教区信者にゆるしの秘跡の意味とすばらしさを再発見させようと努めました。そのため彼は、ゆるしの秘跡は、聖体の前にいるためにどうしても必要なことだということを示しました。このようにして彼は「美徳の循環」を作り出しました。ビアンネは教会堂の聖櫃の前で長時間過ごすことによって、信者が自分に倣ってイエスに近づくよう促しました。同時にそれは、自分たちの主任司祭がそこにいて、彼らに耳を傾け、ゆるしを与えようとしていることを彼らに確信させました。後にはフランス中から多くの悔悛者が来て、ビアンネは一日16時間も告白場にいなければなりませんでした。アルスは「霊魂のための大病院」(20)といわれるようになりました。ビアンネの最初の伝記作者はいいます。「ビアンネが(罪人の回心のために)与えられた恵みはきわめて力強いものだったので、罪人は一瞬の休みも与えられなかった」(21)。聖ビアンネも同じ考えから、こう述べます。「罪人がゆるしを求めて神に立ち帰るのではなく、神自らが罪人を追いかけて、自分のもとに立ち帰らせるのです」(22)。「いつくしみ深い救い主はわたしたちへの愛に満ちておられるがゆえに、あらゆるところでわたしたちを探しておられます」(23)。

 わたしたち司祭は、ビアンネがキリストに語らせた次のことばが自分に向けられたものだということを悟らなければなりません。「わたしはわたしに仕える者たちに命じます。罪人たちにこう告げなさい。わたしはいつでもあなたがたを迎える準備ができています。わたしのあわれみには限りがありません」(24)。わたしたち司祭が聖ビアンネから学ぶのは、うむことなくゆるしの秘跡に信頼し、ゆるしの秘跡を司牧の中心に置くことだけではありません。わたしたちはゆるしの秘跡がもたらす「救いの対話」という方法も学びます。アルスの主任司祭は悔悛者の違いに応じてさまざまなしかたで彼らに接しました。ビアンネは、深いへりくだりのうちに神のゆるしを求めて告白場に来た人を励ましました。すべてを力強く押し流してくれる「神のあわれみの川」に飛び込みなさいと。自分の弱さと変わりやすさに悩み、再び罪を犯さないか恐れる人に、ビアンネは次の感動的な美しいことばで神の秘密を示しました。「いつくしみ深い神はすべてを知っておられます。神はあなたが告白する前に、あなたが再び罪を犯すことを知っています。にもかかわらず神はあなたをゆるします。わたしたちの神はわたしたちをゆるすために、進んで未来を忘れます。それほど神の愛は深いのです」(25)。しかし、生温く、投げやりな態度で告白する人に、ビアンネは自ら涙を流して、このような「いとうべき」態度の深刻な問題を明らかにしました。「わたしはあなたが涙を流さないがために涙を流します」(26)。ビアンネはいいます。「いつくしみ深い神がいつくしみ深くなかったならば。けれども神はいつくしみ深いのです。これほどいつくしみ深い父にこのようなことをする人間は、野蛮人です」(27)。ビアンネは生温い人の心を悔い改めさせようとして、自分の目で、罪を前にした神の悲しみを見るように促しました。この悲しみはいわば聴罪司祭の顔に映し出されていたからです。逆に、深い霊的生活を望み、すでに霊的生活が可能な人を、ビアンネは深い愛へと導きました。そのために彼は、神と一致しながら神のみ前で生きることのできる言いつくすことのできないすばらしさを示しました。「すべてを神のまなざしのもとに見、すべてを神とともにし、すべてを神のみ心のままに行うこと・・・・それは何とすばらしいことでしょう」(28)。このような人に彼はこう祈るよう教えました。「わたしの神よ。あたうかぎりあなたを愛する恵みをお与えください」(29)。

 アルスの主任司祭は、当時の時代にあって、多くの人の心と生活を造り変えることができました。それは、彼が人々に主のあわれみ深い愛を味わわせることができたからです。現代のわたしたちも、同じように愛の真理を告げ知らせ、あかしすることを必要としています。「神は愛です(Deus caritas est)」(一ヨハネ4・8)。ヨハネ・マリア・ビアンネはイエスのことばと秘跡によって自分の民を築き上げることができました。もっとも彼は、自分の個人的な無力さを恐れ、自分はふさわしくないと感じて、小教区司牧の職を解かれることを望みました。にもかかわらず彼は模範的な従順のゆえに自分の職にとどまりました。人々を救いたいという使徒的情熱にとらえられていたからです。ビアンネは厳しい禁欲生活を実践することによって自分の召命と使命をとことん忠実に果たそうと努めました。聖ビアンネは嘆いていいます。「わたしたち主任司祭にとって最大の災いは、霊魂が生温くなることです」(30)。ここでいおうとしているのは、司牧者が、多くの自分の民が置かれている罪や無関心の状態に慣れてしまう危険のことです。ビアンネは徹夜の祈りと断食で肉体を抑制しました。それは肉体が司祭としての心に背くことがないようにするためです。彼はまた、自分に告白を行う人々の善のために、そして、ゆるしの秘跡の中で聴く多くの罪の償いに役立つように、苦行を行うことをいといませんでした。同僚の司祭に彼はこう説明しています。「わたしのやり方を教えましょう。罪人にわずかな償いを与え、残りはわたしが彼らの代わりに行うのです」(31)。アルスの主任司祭が実践した具体的な償いだけでなく、その教えの中心にあるものもわたしたち皆にとって意味をもち続けます。イエスは人々のためにご自分の血を流しました。だから司祭は、このあがないの「貴重な代価」に自らあずかることを拒むならば、人々の救いのために自分をささげることができません。

 アルスの主任司祭の困難な時代と同じように、現代世界においても、司祭の生活と活動は「福音の力強いあかし」を特徴とするものでなければなりません。パウロ六世がいみじくも述べたとおり、「わたしたちの時代の人間は、教師よりもあかしする人に喜んで聞きます。それどころかもし教師にその耳を向けるとしたら、彼らがあかしをする人だからなのです」(32)。生きる空しさを感じたり、奉仕職の効果が落ちるようなことを避けるために、わたしたちはいつも自らに問いかけなければなりません。「わたしたちは真の意味で神のことばによって満たされているでしょうか。神のことばは本当に、パンやこの世のもの以上に、わたしたちの生きる糧となっているでしょうか。わたしたちは本当に神のことばを知っているでしょうか。神のことばを愛しているでしょうか。神のことばが実際にわたしたちの生活に刻印を押し、わたしたちの思いを形づくるほどに、神のことばに深く心を向けているでしょうか」(33)。イエスは十二人を呼んで自分のそばに置き(マルコ3・14参照)、その後初めて彼らを宣教に遣わしました。それと同じように、現代の司祭も、主イエスが開始し、使徒たちが自分のものとした「新しい生活様式」を身につけなければなりません(34)。

 アルスの主任司祭ビアンネの司祭職の特徴をなしているのは、まさにこの「新しい生活様式」への徹底した献身です。教皇ヨハネ二十三世は聖ヨハネ・マリア・ビアンネ没後100周年の1959年に発布した回勅『サチェルドチイ・ノストリ・プリモルディア』の中で、ビアンネの禁欲生活を「三つの福音的勧告」のしるしのもとに示しました。教皇はこの「三つの福音的勧告」は教区司祭にも必要だと考えたからです。「この生活の聖性に達するために、教区司祭は聖職者として福音的勧告を守ることを課されていません。たとえそうだとしても、福音的勧告は、主のすべての弟子と同じように、教区司祭にも、キリスト教的完徳に至る王道として示されます」(35)。アルスの主任司祭は司祭としての身分に適したしかたで「福音的勧告」を実践しました。彼の「清貧」は、修道者や隠世修道士の清貧ではなく、司祭に求められる清貧でした。彼は多額の金銭を管理しましたが(裕福な巡礼者が彼の慈善事業に関心を寄せたからです)、すべては自分の教会、貧しい人、孤児、「摂理の家」(36)の子どもたち、そして生活に困っている家族のために寄付されたものだと考えました。それゆえ彼は「他の人に与えることにおいては豊かでしたが、自分自身は貧乏でした」(37)。彼はこう説明します。「わたしの秘訣は単純です。それは、すべてを与え、何もとっておかないことです」(38)。手元にお金がなくなると、訪ねてきた貧しい人に彼はうれしそうにこういいました。「わたしもあなたと同じように貧乏です。今日わたしは皆さんの一員です」(39)。こうして生涯の終わりに、彼はきわめて静かな心でこういうことができました。「わたしにはもはや何もありません。いつくしみ深い神はいつでもわたしをお召しになることができます」(40)。彼の「貞潔」も、奉仕職を果たすために司祭に求められるものでした。この「貞潔」は、日々、聖体に触れなければならず、熱心な心で聖体を仰ぎ見、同じ熱心さをもって信者に聖体を与える者にとって必要な貞潔だということができます。ビアンネの「貞潔は、そのまなざしのうちに輝いていた」といわれます。信者は彼が愛のまなざしをもって聖櫃に向かうときにそれが分かりました(41)。聖ヨハネ・マリア・ビアンネの「従順」も、日々果たすべき奉仕職に伴うあらゆる苦しみに従うことのうちに完全なしかたで示されました。ビアンネが、自分には小教区の奉仕職を果たす力がないという思いと、「孤独のうちに自分の貧しい生涯を嘆くために」(42)逃れたいという望みのために苦しんだことはよく知られています。ビアンネを職務にとどまらせたのは、従順と人々の救いへの情熱のみだったのです。彼が自分自身と信者に示しているとおり、「わたしたちの主に仕えるよい方法に二通りのものはありません。あるのは一つだけです。それは、主が仕えてほしいと望むとおりに仕えることです」(43)。「いつくしみ深い神にささげることができることだけを行うこと」(44)。これが、ビアンネにとっての従順の生活の黄金律だったと思われます。

 このようにして霊性は福音的勧告の実践によって深められます。このことと関連して、わたしは、「司祭年」の間、司祭が、とくに運動団体や新しい共同体を通して教会にもたらされた新たな動きを歓迎してくださるようにお願いしたいと思います。「聖霊のたまものはさまざまな形をとります。・・・・聖霊の風は思いのままに吹きます。それは思いがけないとき、思いがけないところに、想像もできなかった形で吹きます。・・・・けれども聖霊はわたしたちに示します。聖霊は一つのからだを目指しながら、一つのからだの一致のうちに働くのです」(45)。このことに関連して、『司祭の役務と生活に関する教令』は今も現代的な意味をもっています。「司祭は霊が神からのものであるかどうかを判断し、信徒に与えられる高低さまざまの霊能(カリスマ)を信仰心をもって見いだし、喜びをもって認め、熱心に助成しなければならない」(46)。これらのたまものは多くの人が霊的生活を深めるよう促すので、信徒だけでなく、司祭にとっても益となりうるものです。実際、叙階された奉仕者とカリスマ的な奉仕者の交わりは「教会が世界のあらゆるところで希望と愛の福音を告げ知らせ、あかしするために新たな取り組みを行う刺激」(47)となることができます。わたしはまた、教皇ヨハネ・パウロ二世の福音的勧告『現代の司祭養成』のことばを繰り返して、さらに付け加えていいたいと思います。叙階による役務は根本的に「共同体的形態」を取り、司教との交わりにおいてのみ遂行することができます(48)。叙階の秘跡に根ざし、感謝の祭儀によって示される、この司祭と司教の交わりは、さまざまな具体的な形での意識的・実質的な兄弟的関係によって表されなければなりません(49)。このようにして初めて司祭は独身のたまものを完全な形で生き、キリスト教共同体を発展させることができます。このようなキリスト教共同体において、福音の最初の宣教に伴った不思議なしるしを再び示すことができるのです。

 終わろうとしている「パウロ年」は、異邦人の使徒パウロの姿をあらためて考察するようわたしたちを招きます。パウロは自らを完全に奉仕職にささげた司祭の輝かしい模範を示すからです。パウロは述べます。「キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人のかたがすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります」(二コリント5・14)。パウロは続けていいます。「その一人のかたはすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださったかたのために生きることなのです」(二コリント5・15)。キリスト教的完徳の道を歩もうと努める司祭に、これ以上優れた目的を示すことができるでしょうか。

 親愛なる司祭の皆様。聖ヨハネ・マリア・ビアンネの没後(1859年)150周年の記念は、ルルドのマリアのご出現(1858年)150周年の直後に行われます。すでに1959年に福者教皇ヨハネ二十三世はこう指摘しています。「アルスの主任司祭が称賛すべき長い生涯を終える少し前に、無原罪のおとめはフランスの別の地域でつつましい少女に出現し、祈りと償いに関するメッセージを彼女に託しました。そのメッセージは一世紀を経た今も大きな霊的影響を与え続けています。実際、わたしたちが記念しているこの聖なる司祭の生涯は、マッサビエールの幻視者の少女に示された偉大な超自然的真理のあかしを生き生きとした形で先取りするものでした。この司祭も至聖なるおとめの無原罪の御宿りに深い信心をささげていました。彼は1836年に自分の小教区教会堂を無原罪の御宿りのマリアに奉献しました。そして、1854年の教義決定を深い信仰と喜びをもって受け入れました」(50)。聖なる主任司祭ビアンネはいつも信者たちに繰り返していっていました。「イエス・キリストは、与えることのできるすべてのものをわたしたちにお与えになった後、ご自分のもっているもっとも貴いものをわたしたちにさらに受け継がせることを望みます。すなわち、聖マリアです」(51)。

 わたしは聖なるおとめにこの「司祭年」をゆだねます。そして、聖なるおとめに願います。どうか、キリストと教会に完全に惜しみなく自分をささげるという理想をすべての司祭の心のうちに燃え立たせてください。この理想こそが、アルスの聖なる主任司祭の思想と行動に霊感を与えたものだからです。熱心な祈りの生活と、十字架につけられたイエスへの激しい愛によって、ヨハネ・マリア・ビアンネは、神と教会に対して日々ますます徹底的に自らをささげました。ビアンネの模範に促されて、すべての司祭が、司教との一致、司祭どうしの一致、信徒との一致をあかしすることができますように。この一致こそが、現代においてますます必要とされているものだからです。世に悪が存在するにもかかわらず、キリストが二階の広間で使徒たちに述べたことばは永遠に力を失うことがありません。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16・33)。神である師への信仰は、信頼をもって未来に向かう力をわたしたちに与えてくれます。親愛なる司祭の皆様。キリストは皆様に期待しています。アルスの聖なる主任司祭の模範に従いながら、キリストにとらえられようではありませんか。そうすれば、皆様は現代世界にあって希望と和解と平和の使者となれるのです。
  わたしの祝福を送ります。

バチカンにて、2009年6月16日
教皇ベネディクト十六世

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