「裁判員制度」について

- 信徒の皆様へ - 日本カトリック司教協議会は、すでに開始された裁判員制度には一定の意義があるとしても、制度そのものの是非を含め、さまざまな議論があることを認識しています。信徒の中には、すでに裁判員の候補者として選出さ […]

- 信徒の皆様へ -

日本カトリック司教協議会は、すでに開始された裁判員制度には一定の意義があるとしても、制度そのものの是非を含め、さまざまな議論があることを認識しています。信徒の中には、すでに裁判員の候補者として選出された人もいて、多様な受け止め方があると聞いています。日本カトリック司教協議会は、信徒が裁判員候補者として選ばれた場合、カトリック信者であるからという理由で特定の対応をすべきだとは考えません。各自がそれぞれの良心に従って対応すべきであると考えます。市民としてキリスト者として積極的に引き受ける方も、不安を抱きながら参加する方もいるでしょう。さらに死刑判決に関与するかもしれないなどの理由から良心的に拒否したい、という方もいるかもしれません。わたしたちはこのような良心的拒否をしようとする方の立場をも尊重します。


良心的な判断と対応に際しては、以下の公文書を参考にしてください。

  1. 「信徒は、地上の国の事柄に関してすべての国民が有している自由が自己にも認められる権利を有する。ただし、この自由を行使するとき、自己の行為に福音の精神がみなぎるように留意し、かつ教会の教導権の提示する教えを念頭におくべきである」(教会法第 227 条)と定められています。また、第二バチカン公会議が示すように教会は、キリスト者が、福音の精神に導かれて、地上の義務を忠実に果たすよう激励します。
    地上の国の生活の中に神定法が刻み込まれるようにすることは、正しく形成された良心をもつ信徒の務めです。キリスト教的英知に照らされ、教導職の教えに深く注意を払いながら、自分の役割を引き受けるようにしなければなりません(『現代世界憲章』43 番参照)。
    しかし裁判員制度にかかわるにあたり、不安やためらいを抱く場合は、教会法 212 条第 2 項で「キリスト信者は、自己に必要なこと、特に霊的な必要、及び自己の望みを教会の牧者に表明する自由を有している」と述べられているように、司牧者に相談することもできます。裁判員として選任された裁判については守秘義務がありますが、裁判員であることや候補者であることを、日常生活で家族や親しい人に話すことは禁止されていません。
  2. 死刑制度に関して、『カトリック教会のカテキズム』(2267 番)では、ヨハネ・パウロ二世教皇の回勅『いのちの福音』(56 番)を引用しながら、次のように述べています。「攻撃する者に対して血を流さずにすむ手段で人命を十分に守ることができ、また公共の秩序と人々の安全を守ることができるのであれば、公権の発動はそのような手段に制限されるべきです。そのような手段は、共通善の具体的な状況にいっそうよく合致するからであり、人間の尊厳にいっそうかなうからです。実際、今日では、国家が犯罪を効果的に防ぎ、償いの機会を罪びとから決定的に取り上げることなしに罪びとにそれ以上罪を犯させないようにすることが可能になってきたので、死刑執行が絶対に必要とされる事例は『皆無でないにしても、非常にまれなことになりました』」。また、日本カトリック司教協議会も、司教団メッセージ『いのちへのまなざし』(カトリック中央協議会、2001 年 2 月 27 日)の中で、「犯罪者をゆるし、その悔い改めの道を彼らとともに歩む社会になってこそ国家の真の成熟があると、わたしたちは信じるのです」(70 番)と述べ、死刑廃止の方向を明確に支持しています。

なお、聖職者、修道者、使徒的生活の会の会員に対しては、教会法第 285 条第 3 項「聖職者は、国家権力の行使への参与を伴う公職を受諾することは禁じられる」の規定に従い、次の指示をいたしました。(修道者については第 672 条、使徒的生活の会の会員については第 789 条参照)

  1. 聖職者、修道者、使徒的生活の会の会員が裁判員の候補者として通知された場合は、原則として調査票・質問票に辞退することを明記して提出するように勧める。
  2. 聖職者、修道者、使徒的生活の会の会員が裁判員候補を辞退したにもかかわらず選任された場合は、過料を支払い不参加とすることを勧める。

2009 年 6 月 17 日、日本カトリック司教協議会

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