2010年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ

2010年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ 「未成年の移住者と難民」 親愛なる兄弟姉妹の皆様  世界難民移住移動者の日にあたり、さまざまなかたちで移住生活を送っている人に教会がつねに心を配っていることを、あらため […]

2010年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ
「未成年の移住者と難民」

親愛なる兄弟姉妹の皆様

 世界難民移住移動者の日にあたり、さまざまなかたちで移住生活を送っている人に教会がつねに心を配っていることを、あらためてお伝えいたします。回勅『真理に根ざした愛』に記したように、この移住という現象が、非常に多くの人を巻き込み、国内および国際社会に大きな課題を投げかけて、社会、経済、政治、文化、宗教上の問題を生じさせているので、わたしたちは非常に懸念しています。移住者は、基本的で不可侵な権利を持つ人間であり、人は皆、いかなる状況においても、その権利を尊重しなければなりません(『真理に根ざした愛』62参照)。
 今年のテーマ「未成年の移住者と難民」は、キリスト者が、心から注目し、目を向けている側面に触れるものであり、キリストの忠告を思い起こさせます。キリストは、最後の審判において、「これらのもっとも小さい者の一人に」したこと、しなかったことのすべてが、ご自身へと向けらたことになるのだと忠告しています(マタイ25・40、45参照)。未成年の移住者と難民も、まさにこの「もっとも小さい者」に含まれるのではないでしょうか。福音が物語るように、イエスご自身も、子どものときにヘロデの脅威から逃れるために移住を体験しました。ヨセフとマリアとともにエジプトに避難先を求めなければならなかったのです(マタイ2・14参照)。
 『児童の権利に関する条約』には、児童の最善の利益はつねに守られるべきである(第3条1参照)と明記されています。しかし、残念ながら、児童の基本的人権を成人の権利と同等に認識することは、必ずしも実践されていません。
 児童を守るために迅速で的確な活動が必要であるという意識が、人々の間に高まっていますが、それでも、多くの子どもが見捨てられ、さまざまな形で搾取の危険にさらされています。わたしの敬愛すべき前任者である教皇ヨハネ・パウロ二世は、世界子どもサミットに際して国連事務総長にあてたメッセージ(1990年9月22日)の中で、彼らが驚くべき状況下で生活していることに言及しました。
 「わたしは、あらゆる大陸で何百万もの児童の心痛む苦境を目のあたりにします。彼らはもっとも弱い存在です。なぜなら、彼らの声はもっとも届きにくいからです」(オッセルバトーレ・ロマーノ英語版、1990年10月1日、13頁)。幼い移住者にしかるべき配慮が払われることをわたしは心から望みます。彼らには、身体的、文化的、霊的、道徳的成長を可能にして促進する社会的環境が必要です。彼ら、とりわけ家族の支えを失った児童が、見知らぬ土地で頼るあてもなく生きていくには、数知れない、時には深刻な苦難や問題が伴うのです。
 未成年者の移住の典型的状況として、児童が受け入れ国で生まれた場合、または、出生後に両親が移住したために両親と離れて生活し、後に両親と合流する場合があります。このような若者は、二つの生育環境を持つがゆえのあらゆる利点と問題を抱えながら、二つの文化に属しています。しかし、そうした境遇は、異なる文化的伝統が出会うことによって生じる豊かさを体験する機会も、彼らに与えることができます。これらの若者が就学とその後の就職の可能性を与えられること、そして適切な教育機関や社会的組織によって、彼らを社会に溶け込みやすくすることが重要です。青年期は人間形成の基盤となる期間であることを忘れてはなりません。
 さまざまな理由によって十分な保護が受けられずに母国を逃れ、避難先を探している特殊な事情を持つ難民の児童がいます。統計によると、そうした児童の数は増え続けています。したがって、『児童の権利に関する条約』に規定されているように、この現象に対しては、注意深く評価し、予防、保護、受け入れのための適切な措置をとることによって協調的な活動をすることが求められます(22条参照)。
 さて、信仰と愛の精神に満ちて、わたしたちのこうした兄弟姉妹の必要性に応えるために尽力している小教区や数々のカトリック団体にとくに目を向けてみます。わたしは、寛大な心で惜しみなく行われているすべてのことに感謝します。そして、未成年の移住者と難民が投げかけている社会的、司牧的課題に気づくよう、すべてのキリスト者に呼びかけたいと思います。
 イエスのことばがわたしたちの心に響きます。そのことばとは、「旅をしていたときに宿を貸し」(マタイ25・35)、さらに、イエスがわたしたちに残してくださったもっとも重要なおきてである「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、神を愛しなさい。また隣人をも愛しなさい」(マタイ22・37-39参照)なのです。
 そして、わたしたちは次のように思い至ります。わたしたちのあらゆる具体的なかかわりは、何よりもまず、恵みのわざと神の摂理を信じることによってはぐくまれなければなりません。こうして、外国人、とりわけ外国人の子どもを温かく受け入れ、彼らと連帯することが、連帯を促す福音を宣言することになります。教会は、開かれた心で移住者と難民の権利が尊重されるように尽くし、適切な支援活動を推し進めるように各国の指導者と国際機関や組織の責任者を動かすときに、この福音を宣言するのです。
 おとめマリアがわたしたちすべてを見守り、母国から遠く離れた人が直面する困難をわたしたちが理解するのを助けてくださいますように。わたしは、移住者と難民の広大な世界にかかわるすべての人のために祈り、心から彼らに使徒的祝福を送ります。

バチカンにて
2009年10月16日
教皇ベネディクト十六世

PAGE TOP