教皇ベネディクト十六世の教皇ヨハネ・パウロ二世列福式ミサ説教

5月1日(日)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世は教皇ヨハネ・パウロ二世(1920-2005年)列福式ミサをささげました。以下はミサにおける教皇の説教の全訳です(原文イタリア語とポーランド語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 6年前、わたしたちはこのサンピエトロ広場に集まり、教皇ヨハネ・パウロ二世の葬儀を行いました。わたしたちはヨハネ・パウロ二世を失った深い悲しみを覚えました。しかし、ローマと全世界が限りない恵みに包まれていることをもっと強く感じました。この恵みは、わたしの敬愛する前任者の全生涯、とくにその苦しみにおけるあかしが生み出したものでした。わたしたちはすでにそのときから、ヨハネ・パウロ二世が放つ聖性の香りをかぎました。そして、神の民はヨハネ・パウロ二世に対する崇敬の念を何度も示しました。そのためわたしは、教会の規定をふさわしいしかたで尊重しながら、分別のある速さで列福手続きを進めることを可能にしたいと望みました。そして今、待ち望んでいた日が到来しました。それも早く到来しました。なぜなら、それは主のみ心にかなうことだったからです。ヨハネ・パウロ二世は福者となりました。
 この幸いなときに世界中からローマにおいでくださった多くの皆様に心からごあいさつ申し上げたいと思います。枢機卿、東方カトリック教会の総大司教、司教職と司祭職にある兄弟、公的使節、大使、政治家、奉献生活者、信徒の皆様。そしてラジオとテレビを通じてわたしたちと結ばれたかたがたにもごあいさつ申し上げます。
 今日の主日は復活節第二主日です。福者ヨハネ・パウロ二世はこの主日を「神のいつくしみの主日」と名づけました。そのために列福式をこの日に行うことに決めました。なぜなら、摂理の計画によって、わたしの前任者はまさにこの主日の前晩に神のもとに召されたからです。さらに今日は、聖母月の5月の1日でもあります。そして、労働者聖ヨセフの記念日でもあります。これらすべてのことが、わたしたちの祈りを豊かなものとしてくれます。時間と空間の中を歩むわたしたちを助けてくれます。しかし、天においては天使と聖人によってまったく異なる祭儀が行われています。たとえそうであっても、神はおひとりです。主キリストも一人です。主キリストは橋のように地上と天を結びつけます。このときにあたり、わたしたちは、これまでにまして親しく天上の典礼にあずかっているかのように感じます。
 「見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20・29)。今日の福音の中で、イエスはこの幸いを告げます。信じることの幸いを告げます。わたしたちはこのことばに特別な感動を覚えます。なぜなら、わたしたちは列福式を行うために集まっているからです。しかし、わたしたちをさらに感動させることがあります。それは、今日福者とされたのが教皇だからです。兄弟の信仰を強めるよう招かれた、ペトロの後継者だからです。ヨハネ・パウロ二世が福者とされたのは、その信仰のゆえです。強く、惜しみない、使徒的な信仰のゆえです。わたしたちはすぐにもう一つの幸いを思い起こします。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(マタイ16・17)。天の父は何をシモンに現したのでしょうか。イエスがキリスト、生ける神の子だということです。この信仰のゆえにシモンは「ペトロ」すなわち岩となりました。そしてイエスはこの岩の上にご自身の教会を建てました。今日、教会が喜びをもって宣言したヨハネ・パウロ二世の幸いは、次のキリストのことばのうちに余すところなく示されます。「シモン、あなたは幸いだ」。「見ないのに信じる人は、幸いである」。ヨハネ・パウロ二世も、この信じることの幸いを、キリストの教会を築くために、父である神のたまものとして与えられました。
 しかし、わたしたちの思いはもう一つの幸いへと向かいます。この幸いは、福音の中で、他のすべての幸いに先立ちます。すなわち、あがない主の母である、おとめマリアの幸いです。イエスを胎内に身ごもったばかりのマリアに向けて、聖エリサベトはいいます。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じたかたは、なんと幸いでしょう」(ルカ1・45)。信じることの幸いの模範はマリアのうちに示されます。そしてわたしたちは皆、ヨハネ・パウロ二世の列福が聖母月の第一日に、マリアの母としてのまなざしのもとで行われたことを喜びます。マリアはその信仰をもって使徒たちの信仰を支え、使徒の後継者、とくにペトロの座に着くよう招かれた者の信仰を支え続けてくださるからです。マリアはキリストの復活に関する記述の中に現れません。しかし、マリアはどこにでも隠れた形でともにいてくださいます。マリアは母です。イエスはこの母に、弟子の一人ひとりと、共同体全体をゆだねました。とくに聖ヨハネと聖ルカは、今日の福音に先立つ箇所と第一朗読の中で、マリアが力強い母としてともにいてくださることを述べています。イエスの死に関する箇所で、マリアは十字架のもとに現れます(ヨハネ19・25参照)。また、使徒言行録の初めに、マリアは上の部屋に集まって祈っていた弟子たちのただ中におられます(使徒言行録1・14参照)。
 今日の第二朗読も、わたしたちに信仰について語ります。聖ペトロは、霊的な熱意に満たされながら、新たに洗礼を受けた人々に、彼らの希望と喜びの理由を示します。ペトロの手紙一の初めのこの箇所で、ペトロが勧告の形でなく、直接法で語ることに気づきます。実際、ペトロは述べます。「あなたがたは、心から喜んで〈いる〉のです」。ペトロは続けていいます。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに〈愛し〉、今見なくても〈信じており〉、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに〈満ちあふれています〉。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを〈受けている〉からです」(一ペトロ1・6、8-9)。すべて直接法で述べられています。なぜなら、それはキリストの復活から生まれた新しい現実だからです。それは信仰によって近づけるようになった現実だからです。詩編はいいます。「これは主のみわざ、わたしたちの目には」すなわち信仰の目には「驚くべきこと」(詩編118・23)。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日、復活したキリストの霊的な光の中で、ヨハネ・パウロ二世の敬愛すべく、あがむべき姿の輝きがわたしたちの目を照らします。今日、ヨハネ・パウロ二世の名は、約27年間の教皇職の間に彼が列聖し、列福した人々の群れに加えられます。ヨハネ・パウロ二世は、これらの列聖・列福により、すべての人がキリスト教生活の高い基準へと、すなわち聖性へと招かれていることを力強く思い起こさせました。公会議の『教会憲章』が述べているとおりです。神の民に属するわたしたちは皆、司教も、司祭も、助祭も、信徒も、男女修道者も、天の祖国を目指して歩みます。この天の祖国では、おとめマリアがわたしたちに先立っておられ、特別かつ完全なしかたでキリストと教会の神秘に結ばれています。カロル・ヴォイティワは、最初はクラクフの補佐司教として、後に大司教として、第二バチカン公会議に参加しました。彼は、『教会憲章』の最終章がマリアを取り上げたのは、あがない主の母をすべてのキリスト信者と全教会にとっての聖性のイコンまた模範として認めたことを意味することをよく自覚していました。福者ヨハネ・パウロ二世は、この神学的な考え方を若いときに見いだし、その後生涯にわたって守り、深めました。この考え方は、聖書に述べられた、母マリアに寄り添われた十字架上のキリストの姿にまとめられます。ヨハネによる福音書(ヨハネ19・25-27)に見いだされるこの姿は、カロル・ヴォイティワの司教紋章、やがて教皇紋章に取り入れられました。金色の十字架と、右下の「M」、そして「すべてはあなたのものです(Totus tuus)」という標語です。この標語は、聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォール(1673-1716年)の有名なことばからとられたものです。カロル・ヴォイティワはこのことばのうちに自分の生涯の根本原則を見いだしたのです。「マリアよ、わたし自身と、わたしのもつすべてのものは、あなたのものです。わたしはあなたを、わたしのすべてに致したいのです。どうぞ、あなたのみ心をわたしにください(Totus tuus ego sum et omnia mea tua sunt. Accipio Te in mea omnia. Praebe mihi cor tuum, Maria)」(『聖母マリアに対するまことの信心』:Traité de la vraie dévotion à Marie, 266〔フェデリコ・バルバロ訳、ドン・ボスコ社、1960年、175-176頁参照〕)。
 新たに福者となったヨハネ・パウロ二世は『遺言』の中でこう述べています。「1978年10月16日という日に枢機卿たちのコンクラーベがヨハネ・パウロ二世を選んだとき、ポーランドの首座司教であるステファン・ヴィシンスキ枢機卿がわたしにこういった。『新しい教皇の課題は、教会を第三千年期に導くことであろう』」。ヨハネ・パウロ二世は続けていいます。「わたしは、第二バチカン公会議という偉大なたまものを与えてくださったことについて、あらためて聖霊に感謝したい。全教会とともに――また、とりわけすべての司教団とともに――わたしは第二バチカン公会議の恩恵を感じている。あらためて、また長期にわたって、新しい世代は、この二十世紀の公会議から豊かな富を得ることができるであろうことを、わたしは確信している。この公会議の会期に初日から最終日まで参加した司教として、わたしはこの偉大な宝を、それをこれから実現するように招かれている、あるいは招かれることになるすべての人に委ねたい。わたしとしては、わたしの教皇職のすべての期間にわたって、わたしがこの偉大な使命に仕えることを許してくださった永遠の牧者に感謝する」(『ヨハネ・パウロ二世からベネディクト十六世へ――逝去と選出の文書と記録』カトリック中央協議会、2006年、17、19-20頁)。ここでいう「使命」とは何でしょうか。それは、ヨハネ・パウロ二世がサンピエトロ広場における最初のミサの中で、忘れることのできないことばで述べたことです。「恐れてはなりません。キリストに向けて、大きく、大きく、扉を開きなさい」。新たに教皇に選ばれて、すべての人に呼びかけたことを最初に行ったのは、教皇自身でした。彼は社会、文化、政治・経済体制をキリストに向けて開きました。こうして彼は、巨人の力をもって――神に由来する力をもって――、逆流させることが不可能と思われた流れを変えたのです。(以上イタリア語。以下ポーランド語)
 信仰と愛と使徒的な勇気にもとづくあかしと、優れた人間的な才能をもって、このポーランドの産んだ模範的な人間は、世界中のキリスト信者を力づけました。キリスト者と呼ばれることを、教会に属することを、福音を語ることを恐れないでくださいと。一言でいえば、彼はわたしたちが真理を恐れないようにと力づけてくださいました。真理は自由の保証だからです。(以下、イタリア語)
 もっとまとめていえばこうです。彼はキリストを信じる力をわたしたちにもう一度与えてくださいました。なぜなら、キリストは人間のあがない主(Redemptor hominis)だからです。これがヨハネ・パウロ二世の最初の回勅のテーマであり、他のすべての回勅を導く糸です。
 カロル・ヴォイティワは、ペトロの座に着いたとき、人間観をめぐる、マルクス主義とキリスト教の対立に関する深い考察を身に着けていました。ヴォイティワのメッセージはこれです。人間は教会の歩む道です。そしてキリストは人間の歩む道です。第二バチカン公会議とその「操舵手」である神のしもべ教皇パウロ六世の偉大な遺産であるこのメッセージをもって、ヨハネ・パウロ二世は神の民を第三千年期の戸口へと導きました。ヨハネ・パウロ二世はキリストによってこの戸口を「希望の扉」と呼ぶことができました。確かに、ヨハネ・パウロ二世は、大聖年の長い準備の歩みを通して、キリスト教を新たな未来へと、すなわち神の未来へと方向づけました。神の未来は、歴史を超越しながら、歴史の上に刻印を残します。希望の炎は、ある意味でマルクス主義と進歩思想に屈服していました。ヨハネ・パウロ二世はこの希望の炎を、正しいしかたでキリスト教に取り戻しました。彼はキリスト教の希望に生かされた本来の姿を回復しました。キリスト教は、キリストに向けた個人生活と共同体生活の中で、歴史において、「待望」の心をもってこの希望を生きなければなりません。キリストは人間の完成であり、人間がもつ正義と平和への期待を実現されるかただからです。
 最後にわたしは、自分の個人的な体験からも神に感謝したいと思います。神はわたしに長年にわたり福者教皇ヨハネ・パウロ二世とともに働く恵みを与えてくださったからです。わたしはヨハネ・パウロ二世を以前から知り、尊敬しておりました。しかし、教皇がわたしを教皇庁教理省長官としてローマに招いた1982年から23年間、わたしは教皇のそば近くにいて、ますますその人となりを尊敬するようになりました。わたしの奉仕は教皇の深い霊性と豊かな洞察によって支えられました。教皇の祈りの模範は、つねにわたしを感動させ、教化しました。教皇は教皇職の多くの仕事のただ中にあっても、神との出会いのうちに沈潜していました。それから、教皇は苦しみのうちにあかしを行いました。主は教皇から少しずつすべてのものを取り去りました。しかし、教皇は、キリストが望まれたとおりに、つねに「岩」であり続けました。キリストとの深い一致に根ざした深いへりくだりによって、教皇は教会を導き、世界にメッセージを示し続けることができました。このメッセージは、彼の肉体的な力が衰えていく中で、ますます雄弁さを増しました。こうして教皇は、完全にイエスと一つになるという、すべての司祭と司教に与えられた召命を特別なしかたで果たしました。教皇は日々、イエスを受け、イエスを教会に示したからです。
 敬愛する教皇ヨハネ・パウロ二世よ。あなたは幸いです。あなたは信じたからです。わたしたちはあなたに祈ります。天上からいつも神の民の信仰を支えてください。あなたは教皇公邸の窓から、サンピエトロ広場にいるわたしたちを何度も祝福してくださいました。今日わたしたちはあなたに祈ります。教皇様、わたしたちを祝福してください。アーメン。

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