教皇ベネディクト十六世のWYD(ワールドユースデー)マドリード大会の前晩の祈りの講話

2011年8月20日(土)午後8時30分から、スペイン・マドリードのクアトロ・ビエントス空港で、教皇ベネディクト十六世の司式により、第26回WYD(ワールドユースデー)マドリード大会の前晩の祈りが行われました。前晩の祈り […]


2011年8月20日(土)午後8時30分から、スペイン・マドリードのクアトロ・ビエントス空港で、教皇ベネディクト十六世の司式により、第26回WYD(ワールドユースデー)マドリード大会の前晩の祈りが行われました。前晩の祈りには約150万人の青年が参加しました。教皇の講話は折からの風雨のために一時中断されましたが、以下に訳出するのは、用意された教皇の講話の全文です(原文スペイン語)。前晩の祈りは聖体礼拝でしめくくられました。

なお、この前晩の祈りに先立って、教皇はこの日午前10時から、マドリード、サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラ・アルムデナ大聖堂で神学生とのミサを司式し、ミサの終わりの祝福の前に、アビラの聖ヨハネ(Juan de Avila 1499/1500-1569年)を教会博士と宣言する予定であることを発表しました。教皇のことばは以下の通りです(原文スペイン語)。
「このサンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラ・アルムデナ大聖堂で、大きな喜びをもって神の民に告げ知らせます。マドリード大司教またスペイン司教協議会会長のアントニオ・マリア・ロウコ・バレラ枢機卿と、スペイン司教団と全世界の大司教、そして多くの信徒から表明された希望を受け入れ、わたしは間もなくアビラの聖ヨハネを教会博士と宣言します。
 ここでこの発表を行うにあたり、わたしはこのすぐれた司牧者のことばと模範が、すべての司祭と、司祭叙階を控えた人々を照らしてくれることを望みます。
 すべての人にアビラの聖ヨハネを仰ぎ見てくださるようお願いします。またわたしは、スペインと全世界の司教、すべての司祭と神学生をこの聖人の執り成しにゆだねます。聖人が教えたのと同じ信仰に堅くとどまりながら、司教、司祭、神学生がよい牧者であるイエス・キリストに倣って自らの心を形づくることができますように。イエス・キリストに永遠に栄光とほまれがありますように。アーメン」。
「アンダルシアの使徒」と呼ばれるスペインの霊性家、説教者のアビラの聖ヨハネは、1894年に列福、1946年スペインの主任司祭の保護者とされ、1970年に列聖されました。


 親愛なる友人である若者の皆様。

 皆様にごあいさつ申し上げます。とくに質問をしてくださった若者の皆様にごあいさつ申し上げます。真剣にご自分の関心を打ち明けてくださったこのかたがたに感謝します。この関心は、皆様が手にすべき人生の中の偉大なこと、皆様を満たし、幸福にしてくれるものへのあこがれを表しています。
 若者はどのようにして信仰を忠実に守りながら、現代社会の高い理想を望み続けることができるでしょうか。たった今朗読された福音の中で、イエスはわたしたちにこの切迫した問いへの答えを示します。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15:9)。
 親愛なる友人の皆様。そうです。神はわたしたちを愛してくださいます。これがわたしたちの人生の偉大な真理です。これが、他のすべてのことに意味を与えてくれます。わたしたちはまったくの偶然や非合理から生まれたのではありません。むしろわたしたちの人生は愛に満ちた神の計画の一部として生じたのです。それゆえ、神の愛にとどまるということは、信仰に根ざした人生を生きることです。なぜなら、信仰は単にある種の抽象的な真理を受け入れること以上のことだからです。信仰とはキリストとの親しい関係です。キリストは、わたしたちがこの愛の神秘に心を開き、自分が神に愛されていることを自覚しながら生きることを可能にしてくださるのです。
 キリストの愛にとどまり、信仰に根ざすなら、どんな敵意や苦しみの中にあっても、まことの幸福と喜びの源に出会うでしょう。信仰は皆様の高邁な理想とぶつかるものではありません。むしろ反対に、信仰はこの理想を高め、完全なものとしてくれます。親愛なる若者の皆様。いかなる真理と愛に劣るものにも満足してはなりません。いかなるキリストに劣るものにも従ってはなりません。
 今日、支配的な相対主義の文化は、真理を探究することを(それが人間精神の最大の望みであるにもかかわらず)あきらめています。しかしわたしたちは、勇気をもって謙遜に語らなければなりません。キリストは、人類の救い主、またわたしたちの人生の希望の源として、普遍的な意味をもつかたです。わたしたちの苦しみを担ってくださったこのかたは、人間の苦しみの神秘をよく知っておられ、いつくしみ深く、苦しむ人とともにいてくださいます。キリストの受難に結ばれた人は、キリストのあがないのわざにあずかります。さらに、わたしたちが病者や人々から忘れられた人に分け隔てなく目をとめるなら、それは常に神のあわれみのまなざしの謙遜で温かいあかしとなります。
 親愛なる友人の皆様。どうかいかなる敵対者も皆様を妨げることがありませんように。世と、未来と、自分の弱さを恐れてはなりません。主は、歴史のこの時に、皆様が生きることを可能にしてくださいます。こうして、皆様の信仰によって、キリストのみ名は世界中に響き渡り続けるのです。
 この前晩の祈りの中で、わたしは皆様が神にこう祈ってくださるよう招きます。社会と教会の中で自分の召命を見いだし、喜びと忠実をもってこの召命を生き抜くことができるよう助けてください。キリストの招きに心を開き、キリストが示してくださる道を勇気と惜しみない心をもって歩むのはすばらしいことです。
 主は多くの人を結婚へと招きます。結婚によって、男と女は一体となり(創世記2・24参照)、深い交わりの生活を実現します。結婚は明るい展望に満ちていると同時に重大な課題です。結婚は真の愛を目指す営みです。真の愛は喜びと悲しみを分かち合うことによって新たにされ、深まります。その特徴は、完全に自分を与えることです。だから、結婚のすばらしさとよさを認めるなら、次のことをわきまえなければなりません。忠実と不解消、神からのいのちのたまものに開かれていること――これこそが結婚の愛の偉大さと尊厳にふさわしいことがらです。
 キリストは他の人々を、司祭職と奉献生活によってさらに親しくご自身に従うよう招きます。イエスはあなたを捜し求めています。あなたを信頼しています。まぎれることのないことばをもってあなたに呼びかけます。「わたしに従いなさい」(マルコ2・14参照)。このことを知る人はいかに幸いなことでしょう。
 親愛なる若者の皆様。主が皆様一人ひとりに呼びかける生き方を見いだし、それを忠実に生きたいなら、友として、キリストの愛にとどまらなければなりません。ところで、しばしば触れ合い、会話し、よいときも悪いときもともにいることなしに、どうして友であり続けることができるでしょうか。イエスの聖テレサ(1515-1582年)はいいます。祈りとは「わたしたちを愛してくださっていると分かっているかたと幾度も二人きりで対話をし、友情を深めること」(『自叙伝』8〔高橋テレサ訳、『神の憐れみの人生』上、聖母の騎士社、2006年、120頁〕)です。
 そこでわたしは皆様にお願いします。聖体の中に真に現存されるキリストの礼拝にとどまってください。キリストと対話してください。自分の問題をキリストのみ前に示し、キリストの声に耳を傾けてください。親愛なる友人の皆様。わたしは心から皆様のために祈ります。皆様にもお願いします。わたしのために祈ってください。今宵、主に願おうではありませんか。主の愛のすばらしさに引き寄せられたわたしたちが、常に忠実に主の弟子として生きることができますように。アーメン。
 親愛なる友人の皆様。皆様の喜びと忍耐のゆえに感謝します。皆様の力は雨よりも力強いものです。ありがとうございます。主は雨をもって多くの祝福をわたしたちに与えてくださいます。それを皆様が模範として示してくださいました。(以上スペイン語)
 (フランス語で)親愛なるフランス語を話す皆様。与えられた信仰のたまものに誇りをもってください。信仰はどんなときにも皆様の人生を照らしてくれます。隣人の信仰から、教会の信仰から力をくみとってください。わたしたちは信仰によってキリストに根ざします。ともに信仰を深め、感謝の祭儀に忠実にあずかってください。感謝の祭儀はもっとも優れた意味での神秘です。キリストだけが皆様の願いにこたえることができます。キリストに捕らえていただきなさい。皆様が教会の中にいることによって、教会に新たないのちを吹き込むことができますように。
 (英語で)親愛なる若者の皆様。聖体の前で沈黙のうちに過ごすこの時にあたり、思いと心をイエス・キリストに向けようではありませんか。イエス・キリストはわたしたちの人生と未来の主です。キリストがわたしたちと全教会の上にご自身の霊を注いでくださいますように。そしてわたしたちが全世界のための自由と和解と平和の灯台となることができますように。
 (ドイツ語で)親愛なるドイツ語圏から来た若者のキリスト信者の皆様。わたしたちは心から人生の中の偉大なこと、すばらしいことにあこがれます。自分の望みとあこがれを空しいものに向けず、むしろそれをイエス・キリストの上にしっかりと置いてください。イエス・キリストは確かな基盤であり、人生を満たしてくれる基準です。
 (イタリア語で)イタリア語を話す皆様に申し上げます。親愛なる友人の皆様。この前晩の祈りは皆様の生涯で忘れることのできない体験であり続けることでしょう。今晩、神が皆様の心にともしてくださった炎をともし続けてください。この炎を消すことなく、日々新たに燃え立たせ、暗闇の中で生き、道を歩むための光を捜し求めている同世代の若者に分け与えてください。ありがとうございます。また明日お会いしましょう。
 (ポルトガル語で)親愛なる友人の皆様。皆様にお願いします。キリストと個人的に対話してください。自分の悩みをキリストに打ち明け、キリストの声に耳を傾けてください。主はここにいて、皆様を招いておられます。友人である若者の皆様。心の中でイエスのことばを聞き、その後に従うことはすばらしいことです。主に願ってください。人生と教会の中での自分の召命を見いだし、喜びと忠実をもってこの召命に従えるよう助けてくださいと。キリストが皆様を見捨てることも裏切ることもないことを確信してください。キリストは世の終わりまでわたしたちとともにいてくださいます。
 (ポーランド語で)親愛なるポーランドから来られた友人である若者の皆様。この前晩の祈りはキリストの現存で満たされています。キリストの愛に根ざし、信仰の炎をもってキリストに近づいてください。キリストはご自身のいのちで皆様の心を満たしてくださいます。キリストとその福音の上に人生を築いてください。心から皆様を祝福します。

***

(前晩の祈りの終わりに教皇がスペイン語で述べたあいさつ)
 親愛なる友人である若者の皆様。わたしたちは一緒に冒険を体験しました。キリストへの信仰に強められて、皆様は雨にあらがいました。ここを離れる前に、夜のごあいさつを申し上げたいと思います。よくお休みください。皆様が犠牲をささげられたことに感謝します。皆様がこの犠牲を惜しみない心で主にささげられたことは間違いありません。神のみ旨ならば、明日のミサの中で皆様ともう一度お目にかかります。明日もおいでください。すばらしい模範を示してくださったことを感謝します。今晩と同じように、キリストとともにいるなら、必ず人生の試練を耐え忍ぶことができます。このことを忘れないでください。皆様ありがとうございます。

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