教皇ベネディクト十六世の 世界代表司教会議第13回通常総会開会ミサ説教

2012年10月7日(日)午前9時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世司式の下、世界代表司教会議(シノドス)第13回通常総会開会ミサが行われました。ミサは教皇とともにシノドス教父とスペインとドイツの司教 […]


2012年10月7日(日)午前9時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世司式の下、世界代表司教会議(シノドス)第13回通常総会開会ミサが行われました。ミサは教皇とともにシノドス教父とスペインとドイツの司教協議会司教が共同司式しました。このミサの中で、教皇はアビラのヨハネ(Juan de Avila 1499/1500-1569年)とビンゲンのヒルデガルト(Hildegard von Bingen; Hildegardis Bingensis 1098-1179年)を教会博士に宣言しました。以下に訳出するのは、教皇がミサで行った説教の全文です(原文はイタリア語)。

この日は年間第27主日で、朗読箇所は創世記2章18-24節、ヘブライ人への手紙2章9-11節、マルコによる福音書10章2-16節でした。


 親愛なる兄弟である司教の皆様
 親愛なる兄弟姉妹の皆様

 この荘厳な感謝の祭儀をもって世界代表司教会議(シノドス)第13回通常総会を開会します。シノドスのテーマは「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」です。このテーマは、教会とそのすべての構成員、家族、共同体、団体の生活に対する今後の方向づけを反映します。この展望は、シノドスの開会と「信仰年」の開始が一致することによって強められます。「信仰年」は、第二バチカン公会議開幕50周年を記念して、10月11日(木)から始まります。シノドス総会に参加するために来られた皆様を心から歓迎申し上げます。とくに(ニコラ・エテロヴィッチ)シノドス事務総長とその協力者に感謝申し上げます。他の教会・教会共同体の友好使節と、ここにおられるすべてのかたがたにごあいさつ申し上げます。どうか日々の祈りの中で、これから3週間にわたって行われる議論に同伴してくださるようお願いします。
 今日の主日のことばの典礼の聖書朗読は、考察すべき二つのおもな点を示してくれます。一つは結婚です。これについては後で簡単に触れたいと思います。もう一つはイエス・キリストです。これについてはすぐに取り上げます。ヘブライ人への手紙の箇所について解説する時間はありません。しかし、シノドス総会の初めにあたり、「死の苦しみのゆえに、『栄光と栄誉の冠を授けられた』」(ヘブライ2・9)主イエスに目を注ぎなさいという招きを受け入れなければなりません。神のことばは、十字架につけられて栄光を受けたかたのみ前にわたしたちを置きます。それは、わたしたちの全生活、とくにこのシノドスの議論が、このかたのみ前で、このかたの神秘の光に照らされてなされるためです。あらゆる時代と場所で、福音宣教の中心また目的となるのは常に、神の子イエス・キリストです(マルコ1・1参照)。十字架につけられたかたは、福音を告げ知らせる者の優れた意味での明白なしるしです。それは愛と平和のしるしであり、回心と和解への招きです。親愛なる兄弟である司教の皆様。まずわたしたちからこのかたに目を向け、その恵みによって清めていただこうではありませんか。
 ここで簡単に「新しい福音宣教」について考察したいと思います。そして、「新しい福音宣教」を、通常の福音宣教、また「諸国民への(ad gentes)」宣教と関連づけたいと思います。教会は福音宣教を行うために存在します。弟子たちは主イエス・キリストの命令に忠実に従って、全世界に行って福音を告げ知らせ、キリスト教共同体を至るところに築きました。やがてこれらのキリスト教共同体は、多くの信者によってしっかりと組織化された教会となりました。歴史のさまざまな時期に、神の摂理は教会の福音宣教活動に新たな活力を与えました。アングロサクソン人やスラヴ人への福音宣教、アメリカ大陸への福音の伝達、後のアフリカ、アジア、オセアニアの人々への宣教の時代を考えてみるだけで十分です。このような力強い背景に照らして、たった今教会博士に宣言した二人の輝かしい人物に目を向けられることをうれしく思います。すなわち、アビラの聖ヨハネとビンゲンの聖ヒルデガルトです。現代においても聖霊は教会の中で福音を告げ知らせるための新たな努力を促します。新たな霊的・司牧的な動きは、第二バチカン公会議のうちにもっとも普遍的な表現と正統な刺激を見いだしました。この新たな福音宣教への動きは、そこから発展した二つの特別な「枝」によい影響を及ぼします。一つは「諸国民への」宣教、つまりイエス・キリストとその救いのメッセージをまだ知らない人への福音の告知です。もう一つは「新しい福音宣教」です。「新しい福音宣教」は、洗礼を受けながら、教会から離れ、キリスト教的生活を送っていない人々におもに向けられます。今日から始まるシノドス総会は、この新しい福音宣教をテーマとしています。それは、これらの人々があらためて主と出会う助けとなるためです。主のみが、わたしたちの生活を深い意味と平和で満たしてくださるからです。またそれは、信仰を再発見させるためです。信仰こそが、個人と家庭と社会の生活に喜びと希望をもたらす源泉だからです。この特別な方向づけが、固有の意味での宣教事業や、わたしたちのキリスト教共同体における通常の福音宣教活動をないがしろにすべきでないことはいうまでもありません。実際、これらは唯一の福音宣教の三つの側面であり、互いに補い合い、豊かにし合うものだからです。
 福音と第一朗読に見られる結婚というテーマは、この観点から特に注目すべきです。神のことばのメッセージは、創世記に見いだされ、イエスご自身があらためて引用した次のことばに要約できます。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2・24、マルコ10・7-8)。このみことばは現代のわたしたちに何をいおうとしているのでしょうか。わたしには次のように思われます。このことばは、すでに知っていながら、完全な意味では重視していないことをわたしたちがもっと自覚するよう招いています。結婚はそれ自体で福音です。現代世界にとって、とくに非キリスト教化した世界にとってのよい知らせです。男と女が結びつくこと、二人が愛のうちに、すなわち実り豊かで不解消の愛のうちに「一体となる」ことは、神について力強くかつ雄弁に語るしるしです。このことは現代、ますます雄弁に語られるようになりました。なぜなら、残念ながらさまざまな理由で、まさに古くから福音宣教がなされた地域において、結婚は深刻な危機に見舞われているからです。それは偶然ではありません。結婚は信仰と結びついているからです。これはあいまいな意味でそういうのではありません。結婚は忠実で不解消の一致です。だからそれは、三位一体の神に由来する恵みを基盤とします。神はキリストにおいて、十字架に至るまでの忠実な愛をもってわたしたちを愛してくださったからです。現代のわたしたちはこのことばの真実を余すところなく理解することができます。多くの結婚が残念ながらうまくいかなくなったという悲しむべき事実を知っているからです。信仰の危機と結婚の危機は明らかに対応しています。教会が長年にわたって述べ、あかししているとおり、結婚は新しい福音宣教の単なる対象ではなく、むしろその主体とならなければなりません。こうした取り組みは、共同体や運動団体と結びついた多くの経験によってすでに示されてきました。しかし、最近開催された「世界家庭大会」が示したような形で、教区や小教区のネットワークの中でもますますこの取り組みを実現すべきです。
 第二バチカン公会議が福音宣教に新たな刺激を与えた重要な考えの一つは、聖性への普遍的召命です。聖性はそれ自体としてすべてのキリスト信者にかかわるということです(『教会憲章』39-42:Lumen gentium参照)。聖人は、福音宣教をあらゆる表現を用いて行う、そのまことの担い手です。聖人は、特別な意味で、新しい福音宣教の開拓者また実行者でもあります。聖人は、その執り成しと生活の模範によって、聖霊の新たな望みに注意を向けながら、福音とキリストとの交わりのすばらしさを、無関心な人や、敵対的な人にさえも示します。そして、いわば生温い信者を招きます。喜びと信仰、希望と愛をもって生きなさい。神のことばと秘跡、とくにいのちのパンである聖体の「味わい」を再発見しなさい。聖人と聖女は、寛大な宣教者の中に多数現れます。宣教者はキリスト信者でない人々に福音を告げ知らせます。かつては宣教国で、現在ではキリスト信者でない人が暮らすあらゆる地で。聖性は、文化、社会、政治、宗教の違いを乗り越えます。愛と真理という、聖性を示す言語は、すべての善意の人に理解され、それらの人々をイエス・キリストへと近づけます。イエス・キリストこそが新しいいのちの尽きることのない源泉だからです。
 ここで少しだけ、今日、教会博士の列に加えられた二人の聖人をたたえたいと思います。アビラの聖ヨハネは16世紀の人です。彼は深い聖書学者であると同時に、熱心な宣教精神をもっていました。彼はキリストが人類のためになさったあがないの神秘を独自のしかたで深く究めることができました。神の人であった聖ヨハネは、絶えざる祈りを使徒的活動と結びつけました。彼は、説教と、秘跡をしばしば授けることに献身しました。教会の実り豊かな改革のために、司祭志願者と修道者と信徒の養成の改善に集中して取り組みました。
 12世紀の重要な女性であるビンゲンの聖ヒルデガルトは、当時の教会の発展に貴重な貢献を行いました。彼女は神から与えられたたまものを用い、活発な知性と深い感性と公認された霊的権威を示しました。主は彼女に預言的な霊と、時のしるしを見分ける熱烈な力を与えました。ヒルデガルトは被造物への際立った愛を深め、医学、詩、音楽に専念しました。何よりも彼女は、キリストとその教会への深く忠実な愛を常に保ちました。
 聖性への招きとして示された、キリスト教的生活の理想に目を向けながら、わたしたちは、多くのキリスト信者の弱さ、そればかりか個人また共同体としての罪をも謙遜に認めるように促されます。これらの弱さと罪は、福音宣教の大きな妨げとなっているからです。そして、神の力を見いだすよう促されます。神の力は、信仰を通じて、人間の弱さの中で示されるからです。それゆえ、心から回心しようとする心構えなしに、新しい福音宣教について語ることはできません。新しい福音宣教の王道は、神また隣人と和解させていただくことです(二コリント5・20参照)。キリスト信者は、清められることによって初めて神の子としての身分を正当に誇ることができます。わたしたちは神の像として造られ、イエス・キリストの貴い血によってあがなわれたからです。そして、喜びを味わい、それを近くの人と遠くの人を含めたすべての人と分かち合うことができます。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。聖人の交わりに支えられながら、シノドス総会を神にゆだねようではありませんか。とくに偉大な福音宣教者の執り成しを願い求めようではありませんか。わたしたちは何よりもまず、深い愛をこめて福者教皇ヨハネ・パウロ二世を思い起こしたいと思います。ヨハネ・パウロ二世の長きにわたる教皇職は、新しい福音宣教の模範でもあるからです。新しい福音宣教の星である聖なるおとめマリアのご保護に身をゆだねようではありませんか。おとめマリアとともに、聖霊が特別に注がれることを祈り願います。どうか聖霊が天からシノドス総会を照らしてくださいますように。シノドスが現代の教会の歩みに豊かな実りをもたらすことができますように。アーメン。

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