「信仰年」を迎えるにあたって日本の教会の課題

 教皇ベネディクト十六世が呼びかける「信仰年」(2012年10月11日-2013年11月24日 王であるキリストの祭日)は、カトリック教会の信仰の遺産を保持した上で、新しい時代への適応を打ち出した第二バチカン公会議の教えをどのように実施しているかを振り返り、これからの歩みを整え、『カトリック教会のカテキズム』を学び、その内容を確認した上で信仰生活を刷新することを目的としています。
 日本の司教団はこの一年を、教皇の意向に従い(1)、第二バチカン公会議が打ち出した信仰の刷新と50年の日本の福音宣教の歩みを確認し、推進する年にしようと考えています。

1. 第二バチカン公会議の目的の再確認

 公会議の目的は、まずわたしたちキリスト者一人ひとりが神の子としての恵みを深く理解かつ自覚し、常に内面から刷新することでした。そのためにキリスト者は、祈りや日々の生活をとおして信仰体験を深めるだけでなく、なぜ信じ、誰を信じ、何を信じているのかを常により深く悟り、どう生きているのかを絶えず振り返る必要があります。「わたしたちが告白し、記念し、生き、祈る信仰の内容を再発見し、信じることについて考察」(『信仰の門』9)しなければならないのです。
 公会議のもう一つの目的は「福音宣教」、つまり、人々とその文化・社会の「福音化」です。キリスト教の真髄を現代人にふさわしい形で表現し直し、いつくしみ深いものとして教会の姿を示し、現代人がキリスト教の救いの教えを一層よく受け入れることができるように司牧的に配慮することが課題でした(教皇ヨハネ二十三世、「公会議開会演説」参照)。
 そして、同じ精神で50年後の教会が挑んでいるのが、「新しい福音宣教」(今年10月に開催される世界代表司教会議のテーマ)だと言えるでしょう。

2. 「信仰年」と日本の教会

 日本の教会は、今年2012年、日本二十六聖人殉教者の列聖と再宣教の150周年に当たっています。二十六殉教者は1862(文久2)年6月8日に教皇ピオ九世によって列聖されました。また、同年1月12日(文久元年12月13日)、横浜に教会(天主堂)が建立され、わが国における福音宣教が再開されました。
 また、3年後2015年は、1865(慶応元)年3月17日、長崎の大浦天主堂で潜伏キリシタンたちの存在が明らかになった信徒発見から150周年にあたります。
 415年前に殉教した二十六聖人殉教者も、禁教下で250年潜伏し脈々と信仰を伝えた数世代の信徒たちも、いずれもいのちをかけてキリスト教信仰をあかししました。そして、再宣教を果たした宣教師を迎えた信徒たちは再び激しい迫害にさらされ、多くの人々が信仰のためにいのちを落としました。その同じ信仰の血が、4年前ペトロ岐部と187殉教者の列福の恵みをいただいた現代のわたしたちに流れていることを忘れることはできません。1981年、前教皇ヨハネ・パウロ二世が来日の折、「日本の教会は、殉教者の血を土台としている」と言われたとおりです。
 再宣教150年を迎え、神が日本のために備えてくださった驚くべき救いの歴史に思いを馳せながら、この信仰年にあたり、第二バチカン公会議後の日本の教会の歩みを確認し、これからの福音宣教のあり方について考えましょう。
 日本の教会は、教皇ヨハネ・パウロ二世の訪日に鼓舞されて、日本における福音宣教を活性化し発展させることをめざし、まず1984年「基本方針と優先課題」を発表し(2)、1987年第一回福音宣教推進全国会議(NICE-1)を開催しました。このNICEは、日本の教会の方向性を定めました。それは、第二バチカン公会議および、教皇パウロ六世が出した『福音宣教』(3)の教えに従い、信仰が生活から遊離し、教会が社会から遊離していることを反省し、生活から信仰を、日本の社会の現実から福音宣教のあり方を考えて行くという方向性でした。
 したがって、日本の教会は「信仰年」にあたり、このNICE-1の方針に基づいて、『ともに喜びをもって生きよう』というメッセージを確認し、これまでの歩みを検証しつつ、「新しい熱意、新しい方法、新しい表現」をもって力強く福音宣教を推し進めなければなりません。

3. 「新しい福音宣教」に挑むため

(1)「新しい福音宣教」を推進するために重要になってくるのが、まず聖書を読み、祈りと分かち合いを通して、福音の力と聖霊の働きによって内面から刷新される努力を続けることです。「神のことばがのべ伝えられ、わたしたちを造り変える恵みによって心が形づくられるとき、わたしたちは」この「信仰の門」を通ることができます(『信仰の門』1参照)。キリストの死と復活によって示された神の愛がわたしたちを救い、回心へと招き、わたしたちの思考と感情、思いと行いをゆっくり清め、造り変えるからです(『信仰の門』6参照)。
(2)また、典礼、とくに感謝の祭儀を単なる義務の対象、順守すべき儀式ではなく、いつもわたしたちとともにいてくださる神と交わり、ともに生きる喜びを体験し、分かつ場として大切にしていきましょう。感謝の祭儀は、キリスト者の生活の「源泉であり頂点」だからです。
(3)「信仰年」がめざす「新しい福音宣教」に挑むために、わたしたちは第二バチカン公会議の文書や『カトリック教会のカテキズム』および日本司教協議会が編纂した『カトリック教会の教え』を読み、理解し、生活に生かすことも必要です(4)。教会が「カテキズム」を持ち、わたしたちがそれを学ぶことは、現代に生きるわたしたちの信仰が長いカトリックの伝統の中で培われてきたことと、わたしたちが世界のキリスト者の共同体と同じ信仰でつながっていることを確認するという大きな意義があるからです。
 またとくに “Lex orandi, lex credendi”(祈りの法は信仰の法)の精神に従い、『カトリック教会のカテキズム』の中で重要な部分を占めている『信条』と『主の祈り』を深く味わうことが勧められます。
(4) 現代の日本の社会状況(東日本大震災の影響、経済の低迷、少子高齢化、自死の多発など)と思考様式(物質主義的、刹那主義的など)の福音化のために、苦しむ人々の声に耳を傾けながら、教会内外の人々と共に何ができるかを考え、知恵を出し合い、「新しい福音宣教」の方法や表現を探し求めていきましょう。

むすびに
 わたしたち日本の司教団は、各教区や小教区、さまざまな信仰共同体が「信仰年」の意向を意欲的に汲み取り、それぞれの豊かな計画や行動を発案し、この恵みのときを有意義に過ごしてくださることを希望いたします。
 第二バチカン公会議の50年後、めまぐるしく変動する世界の歴史の中で、キリスト教信仰を生きる日本のキリスト者にも、過酷で厳しい現実が立ちはだかっています。しかし、だからこそ、わたしたちには現代の人々に希望の福音を告げる大きな役割があります。この「信仰年」を一年の恵みの年とするだけではなく、つねに教会を新たにしていかねばなりません。

 「信仰年」にあたり、日本のカトリック教会の歩みの上に、神の豊かな祝福と導きがありますよう、聖母マリアと聖なる日本の殉教者たちの取り次ぎによって祈ります。

2012年10月11日
日本カトリック司教団

PAGE TOP