教皇ベネディクト十六世の「信仰年」開年ミサ説教

2012年10月11日(木)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世は、「信仰年」開年と、第二バチカン公会議開幕(1962年10月11日)50周年および『カトリック教会のカテキズム』発布20周年を記念するミサをささげました。ミサは教皇とともに枢機卿80名、公会議教父15名、東方カトリック教会総大司教8名、シノドス第13回通常総会に参加している大司教・司教191名、世界の司教協議会会長104名が共同司式しました。ミサの拝領祈願の後、陪席したバルトロマイ一世・コンスタンチノープル世界総主教がイタリア語であいさつを行いました。以下に訳出するのは、教皇がミサで行った説教の全文です(原文はイタリア語)。


 親愛なる兄弟である司教の皆様
 親愛なる兄弟姉妹の皆様

 今日わたしたちは、第二バチカン公会議開幕50周年にあたり、大きな喜びをもって「信仰年」を開始します。皆様にごあいさつできることをうれしく思います。とくにバルトロマイ一世・コンスタンチノープル総主教とローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教にごあいさつ申し上げます。わたしはとくに東方カトリック教会の総大司教と首位大司教、司教協議会会長の皆様にごあいさつします。公会議を思い起こすために(ここにおられる何人かのかたがたは自ら公会議を体験する恵みにあずかりました。このかたがたに特別にごあいさつ申し上げます)、この祭儀はいくつかの特別なしるしによって豊かなものとされています。まず入祭の行列です。これは公会議教父がサンピエトロ大聖堂に入堂するに際して行った記念すべき行列を思い起こすことを意図しています。また、公会議で用いられたのと同じ朗読福音書の奉持です。そして、公会議の7つの最終メッセージと『カトリック教会のカテキズム』の奉納です。これらのしるしは、わたしたちに公会議を思い起こさせるだけでなく、記念を超えてこれから歩んでいくための展望をも与えてくれます。これらのしるしは、第二バチカン公会議を特徴づけた霊的な動きに深く歩み入るようにとわたしたちを招きます。それは、公会議を自分のものとし、それをその真の意味に従って展開していくためです。公会議の真の意味とは、かつても今も、キリストへの信仰であり、使徒的な信仰です。この信仰は、歴史を旅する教会の中で、一人ひとりの人また全人類にキリストを伝えたいという内的な促しによって生かされます。
 今日から開始する「信仰年」は、この50年間の教会の歩み全体と密接につながっています。すなわち、公会議から、1967年に「信仰年」を告示した神のしもべパウロ六世を経て、2000年の大聖年に至るまでです。福者ヨハネ・パウロ二世は、大聖年によって、きのうも今日も、また永遠に変わることのない、唯一の救い主イエス・キリストを全人類にあらためて示しました。パウロ六世とヨハネ・パウロ二世という二人の教皇の間には、深く完全な一致が見られます。それは、宇宙と歴史の中心であるキリスト、そして、世にこのキリストを告げ知らせようとする使徒的な熱望という点においてです。イエスはキリスト教信仰の中心です。キリスト信者はイエス・キリストを通じて神を信じます。イエス・キリストは神のみ顔を示されたからです。イエス・キリストは聖書の実現であり、聖書の決定的な解釈者です。イエス・キリストは信仰の対象であるだけではありません。むしろこのかたは、ヘブライ人への手紙がいうとおり、「信仰の創始者また完成者」(ヘブライ12・2)なのです。
 今日の福音はわたしたちにいいます。聖霊のうちに御父によって聖別されたイエス・キリストは、福音宣教を行う永遠かつまことの主体です。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」(ルカ4・18)。このキリストの宣教、キリストの動きは、時代と大陸を超えて、空間と時間の中で継続します。キリストのこの動きは、御父から出発して、聖霊の力とともに進みます。すべての時代の貧しい人に喜びの知らせをもたらすために。貧しい人とは、物質的な意味と霊的な意味の両方でいわれます。教会はこのキリストのわざの第一の必要な道具です。なぜなら、教会は、頭に対するからだとして、キリストと一つに結ばれているからです。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(ヨハネ20・21)。復活した主は弟子たちにこういってから、彼らに息を吹きかけていわれました。「聖霊を受けなさい」(22節)。神が、イエス・キリストを通じて、世で福音宣教を行う主要な主体です。しかし、キリストご自身が自らの使命を教会にゆだねることを望まれました。キリストはそのようにしましたし、世の終わりまでそのようにし続けます。そのためにキリストは弟子たちに聖霊を注ぎます。それは、キリストの上に降り、地上における生活の間、彼のうちにとどまったのと同じ聖霊です。この聖霊がキリストに力を与えました。それは、「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるため」(ルカ4・18-19)です。
 第二バチカン公会議は、ある特定の文書の中で信仰というテーマを扱おうと望みませんでした。しかし公会議は、いわばあらためてキリストの神秘に浸されなければならないという自覚と望みによって内的に導かれました。それは、現代人に効果的なしかたでこの神秘をあらためて示すことができるようになるためです。このことに関して、神のしもべパウロ六世は公会議閉会から2年後にこう述べました。「公会議は信仰について明文化した形で述べませんでしたが、あらゆる箇所で信仰について述べ、信仰の生きた超自然的な性格を認め、その完全性と力を前提し、信仰に基づいてその教えを築いています。公会議が、教会の伝統的な教理に従って、信仰、それもまことの信仰の本質的な重要性を認めていることを理解するには、いくつかの公会議のことばを思い起こすだけで十分です。このまことの信仰は、キリストを源泉とし、教会の教導職を伝達手段としています」(「一般謁見(1967年3月8日)」)。これが1967年にパウロ六世が述べたことばです。
 しかしここで、第二バチカン公会議を招集し、開始した、福者ヨハネ二十三世のことを思い起こさなければなりません。ヨハネ二十三世は公会議開会演説の中で、公会議の主要な目的を次のようなことばで示しました。「この普遍公会議にとってもっとも重要なことは、キリスト教の教えの聖なる遺産をいっそう効果的に守り、かつ教えなければならないということです。・・・・それゆえ、この公会議の主要な目的は、教えのあれこれのテーマを討議することではありません。・・・・そのために公会議を招集する必要はありませんでした。・・・・忠実に守られるべき、確固として変わることのない教えが、現代の要求するしかたで探究され、提示されなければならないのです」(AAS 54 [1962], 790, 791-792)。これが教皇ヨハネ二十三世の公会議開会にあたってのことばです。
 このことばに照らして、当時わたし自身が体験したことが理解できます。公会議の間、ある心を揺さぶる緊張感が存在しました。公会議は、現代において信仰の真理とすばらしさをあらためて輝かせるという共通の課題に直面していました。その際、信仰を現代の要求のために犠牲にすることも、過去に結ばれたままにすることもできませんでした。信仰の中では、神の永遠の現存が鳴り響いています。この神の永遠の現存は、時代を超えるものですが、わたしたちはそれを繰り返しのきかない現代においてのみ耳にすることができます。ですから、わたしはこう思います。とくに今のような大事なときにもっとも重要なのは、全教会でこのようなよい意味での緊張感を燃え立たせることです。現代人にキリストをあらためて告げ知らせたいという望みを燃え立たせることです。しかし、新しい福音宣教に向けた内的な促しが、単なる思想にとどまったり、混乱に陥ったりすることがないために、それを具体的かつ正確な基盤の上に置かなければなりません。この基盤が、第二バチカン公会議文書です。新しい福音宣教は公会議文書のうちに表現されたのです。だからわたしは何度も、公会議の正しい精神を見いだすために、いわば公会議の「文字」(すなわちテキスト)に立ち帰らなければならないといってきたのです。そして、第二バチカン公会議の真の遺産を公会議文書のうちに見いださなければならないと繰り返し述べてきたのです。公会議文書を基準とすることは、時代錯誤の懐古趣味に陥ったり、先走りしすぎたりすることからわたしたちを救ってくれます。そして、継続性の中に新しさを見いだすことを可能にしてくれます。公会議は信仰に関することがらについて何ら新しいことを述べはしませんでしたし、古いものを取り替えようとも望みませんでした。むしろ公会議が心がけたのは、同じ信仰を現代において生かし続けることでした。変化する世界の中で、信仰が唯一の生きた信仰であり続けることでした。
 福者ヨハネ二十三世が第二バチカン公会議に与えようと望んだ正しい目的に従うなら、わたしたちは「信仰年」の中でこの目的を実現することができます。すなわち、キリストが教会にゆだねた信仰の遺産を深め続ける教会と、歩みをともにすることができます。公会議教父は信仰を効果的なしかたであらためて示そうと望みました。公会議教父が信頼をもって現代世界との対話に心を開いたのは、彼らが自らの信仰を確信していたからです。信仰が自らの基盤となる堅固な岩だったからです。しかし、その後の時代に、多くの人々は無分別に支配的なものの考え方を受け入れ、「信仰の遺産」(depositum fidei)の基盤そのものを議論しました。悲しむべきことに、彼らはもはや「信仰の遺産」を真理として受け入れられないと感じたからです。
 現代の教会が新たな「信仰年」と新しい福音宣教を提示するとすれば、それは記念祝賀を行うためではなく、50年前よりもそれがいっそう必要とされているからです。そして、この要求に対して与えるべきこたえは、歴代の教皇と公会議教父が望んだこたえであり、公会議文書の中に書かれているこたえです。新しい福音宣教の推進のための教皇庁評議会(同評議会が「信仰年」のために特別にご尽力くださったことを感謝します)を設立したのも、そのためです。最近の数十年間、霊的な「砂漠化」が進行しています。神のない生活と世界がどのようなものであるか――公会議の時代にも、それをいくつかの歴史の悲惨な出来事から知ることができました。しかし、残念ながら、現代のわたしたちはそれを日々、身の回りで目にすることができます。この空白は広がりつつあります。しかし、わたしたちはまさにこの荒れ野から、空白から出発することによって、あらためて信じることの喜びを再発見することができます。わたしたち人間にとって信じることが何よりも重要であることを再発見することができます。わたしたちは、荒れ野の中で生きるためになくてはならないものの価値を再発見します。それゆえ、それがしばしば暗黙のうちに、消極的な形で示されているとしても、現代世界の中には神への渇き、人生の究極的な意味への渇きを表す多くのしるしがあります。そして、荒れ野においては何よりも信仰の人が必要です。信仰の人は、自らの生き方によって約束の地に向かう道を示し、希望を生き生きと保つからです。生きた信仰は、心を神の恵みへと開きます。そして神の恵みは人を悲観主義から解放してくれます。今日、これまでにもまして、福音宣教を行うとは、神によって造り変えられた新しい生き方をあかしし、そこから道を示すことです。第一朗読はわたしたちに、旅をする人の知恵を語ります(シラ34・9-13参照)。旅は人生を表す比喩です。知恵のある旅人は、生き方を学び、それを兄弟に分かち合うことができる人です。サンティアゴへの道を初めとした巡礼路を歩む巡礼者と同じように。巡礼路がこの数年再び知られるようになったのは偶然ではありません。どうして多くの現代人が巡礼路を歩みたいと感じるのでしょうか。それは、彼らがそこに自分が世界に存在する意味を見いだすか、ないしは、少なくとも直感するからではないでしょうか。それゆえ、現代世界の荒れ野を歩む巡礼――これが、わたしたちが思い描くことのできる「信仰年」の姿です。この巡礼の中で、わたしたちは必要不可欠なものしか持ちません。杖も袋もパンも金も、二枚の下着も持ってはなりません。主が使徒たちを宣教に遣わすときに述べたとおりです(ルカ9・3参照)。むしろわたしたちが携えるのは、福音と教会の信仰です。第二バチカン公会議文書と、20年前に発布された『カトリック教会のカテキズム』は、この信仰の輝かしい表現です。
 敬愛すべき親愛なる兄弟の皆様。1962年10月11日は神の母聖マリアの祝日でした。至聖なるマリアに「信仰年」をゆだねようではありませんか。わたしが先週、ロレートへの巡礼の際に行ったのと同じように。どうかおとめマリアが、新しい福音宣教の歩みをつねに照らす星となってくださいますように。どうかおとめマリアの助けによって、わたしたちが使徒パウロの勧めを実行することができますように。「キリストのことばがあなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い・・・・なさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」(コロサイ3・16-17)。アーメン。

略号
AAS Acta Apostolicae Sedis 

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