教皇辞任に関する教皇庁広報部の声明

2月11日(月)、教皇庁広報部のフェデリコ・ロンバルディ報道官は、教皇辞任に関して次の声明を発表しました。

教皇辞任の理由は、教皇自身が辞任表明のことばで述べているとおり、過去と比べて、スピードと出来事や問題の数のために特別に困難になった現代世界の状況です。そのためかつてよりも強力な精力が必要です。過去数か月間、教皇はこの精力の衰えを感じたのです。

 「このようなことを行うことの重大さをよく自覚した上で、わたしは完全な自由をもって次のことを宣言します。すなわち、わたしは・・・・聖ペトロの後継者であるローマ司教の奉仕職を辞任します」ということばはきわめて重要です。これは正式な宣言であり、そのことは法的にも重要です。『教会法』第332条第2項にはこう書かれています。「ローマ教皇が辞任する場合には、辞任が自由になされ、かつ正しく表明されなければ有効とはならない。ただし、なんぴとかによる受理は必要でない」。それゆえ根本的な2つのことは、自由と表明です。教皇が意志を表明した枢機卿会議は公のものです。

ベネディクト十六世は2月28日午後8時までは自らの任務と奉仕を完全に果たし続けます。同時刻以降、使徒座空位が始まります。使徒座空位は、教会法と、ヨハネ・パウロ二世による使徒憲章『ウニヴェルジ・ドミニチ・グレジス――使徒座空位と教皇選挙(1996年2月22日)』の使徒座空位に関する規定によって、法的に管理されます。

教皇の発表は、ベネディクト十六世へのインタビューに基づく、ペーター・ゼーヴァルトの『世の光』(2010年)で教皇が述べたことと一致します。ゼーヴァルトは教皇辞任の可能性について2つの正確な質問をしました。第一の質問で、彼は、教皇が、教皇職を継続する上で困難な状況がのしかかった場合、辞任を考えるかと問いました。ベネディクト十六世の答えはこうでした。「危険が大きい場合、人は逃げてはなりません。そのため、それが辞任の時期にならないのは確かです」。教皇は聖職者による性的虐待の問題などを念頭に置いていました。「このようなときには、力を強めて、困難な状況に立ち向かわなければなりません。これがわたしの考えです。平和なとき、あるいは単にもはや力がなくなったときには辞任することもありえます。しかし、危険のときに、『だれかがそれを片付けてくれる』といって逃げることはできません」。いずれにせよ、教皇は、困難が辞任の理由とはならないと述べていました。むしろ、困難は辞任しない理由となります。ゼーヴァルトの第二の質問はこれです。「教皇が辞任するような状況を想像することができますか」。教皇はこう答えています。「教皇が自分には肉体的・精神的・霊的に自分の務めを果たすことができないとはっきり分かったとき、法的に、辞任する可能性、また義務があります」。

教皇は2月28日にカステル・ガンドルフォに移り、継続中の仕事を終えた後に、バチカン内の隠棲修道院に居住します。新しい教皇選挙の手続きは3月1日に開始します。コンクラーベが開催される正確な日はまだ分かりませんが、通常の、教皇逝去後の9日間の祈りの期間(novendali)が過ぎるのを待つ必要がないのはいうまでもありません。ですから、3月の2週間のうちに、復活祭(3月31日)までに、新教皇が決まると思われます。ベネディクト十六世は3月のコンクラーベでも、使徒座空位の期間も、何の役割も果たしません。上記使徒憲章は、使徒座空位期間中、辞任した教皇に役割を与えていません。

(報道官)個人として、教皇の辞任表明を聞いて、その大きな勇気と、教皇の自由な精神と、自らの役務への強い責任感に畏敬の念を覚えました。ベネディクト十六世は、霊的自由と、現代世界における教会統治に関する深い知恵を示されました。

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