教皇フランシスコの2013年3月17日の「お告げの祈り」のことば 神のゆるし

教皇フランシスコは、四旬節第5主日の3月17日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった約20万人の信者とともに教皇職における最初の「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前後に教皇が述べたことば […]

教皇フランシスコは、四旬節第5主日の3月17日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった約20万人の信者とともに教皇職における最初の「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前後に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
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 兄弟姉妹の皆様。今日は。

 先週の水曜日に初めてお目にかかった後、今日再び皆様にごあいさつすることができます。このごあいさつを、主日に、主の日にできることをうれしく思います。今このサンピエトロ広場でしているように、主日に集まること、あいさつし合うこと、語り合うことは、わたしたちキリスト信者にとって、すばらしく、また大切なことです。メディアのおかげで、この広場は世界へと広がっています。
 今日の四旬節第5主日の福音は、姦通を犯した女の話を示します(ヨハネ8・1-11参照)。イエスはこの女を死刑にされることから救います。わたしたちはイエスの態度に心を打たれます。イエスは軽蔑のことばも述べず、非難のことばも述べません。彼が語るのはただ、回心へと招く、愛とあわれみのことばです。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(11節)。兄弟姉妹の皆様。神のみ顔は、つねに忍耐強く、あわれみ深い父のみ顔です。皆様は神の忍耐について考えたことがあるでしょうか。神がわたしたち一人ひとりに示される忍耐について考えたことがあるでしょうか。これが神のあわれみです。神はつねに忍耐を示されます。わたしたちに忍耐を示されます。わたしたちを理解し、わたしたちを心にかけ、わたしたちをうむことなくゆるしてくださいます。そのためにわたしたちは、痛悔の心をもって神に立ち帰らなければなりません。詩編はいいます。「主のいつくしみは大きい」(詩編103・8参照)。
 この数日間、カスパー枢機卿(1933年-)の本を読むことができました。カスパー枢機卿はあわれみに関する優れた神学者です。その本はわたしにとってたいへん役に立ちました。けれども、どうかわたしの枢機卿の本を宣伝していると思わないでください。そのようなつもりはありません。それでもこの本はわたしにとってたいへん役に立ちました。・・・・カスパー枢機卿はこういいます。あわれみのことばを聞くと、そのことばはすべてを変えます。世界を変える――これはわたしたちが聞くことのできるもっともすばらしいことばです。ささやかなあわれみが、世界をより温かく、公正なものとしてくれるのです。わたしたちはこの神のあわれみをよく悟らなければなりません。神が忍耐強く、あわれみ深い父であることを悟らなければなりません。・・・・預言者イザヤのことばを思い起こします。イザヤはいいます。たとえ、わたしたちの罪が緋のようでも、神の愛はそれを雪のように白くすることができる(イザヤ1・18参照)。あわれみはすばらしいものです。1992年、わたしが司教になったばかりのとき、ファティマの聖母がブエノス・アイレスに到着し、病者のための荘厳なミサがささげられたのを思い出します。わたしはこのミサで告白を聞きにまいりました。ミサが終わろうとする頃、わたしは立ち上がりました。病者の塗油を授けなければならなかったからです。一人の高齢の、とてもつつましい女性がわたしに近づきました。彼女は80歳を超えていました。わたしは彼女を見て、こういいました。「おばあさま(わたしたちは高齢者をこう呼んでいます)。告解を望まれますか」。彼女は「はい」とわたしにいいました。「でも、あなたが罪を犯しておられなければ・・・・」。すると彼女はわたしにいいました。「すべての人は罪人です・・・・」。「しかし、主はすべての人をおゆるしにならないかもしれません・・・・」。彼女は確信をもってわたしにいいました。「主はすべてをゆるしてくださいます」。「でも、あなたはどうしてそれが分かるのですか」。「主がすべてをゆるしてくださらなければ、世界は存在できないでしょう」。わたしは彼女に質問したいという望みを感じました。「どうか教えてください。あなたはグレゴリアーナ大学で勉強されたのですか」。それが聖霊の与えてくださる知恵だったからです。神のあわれみに対する内的な知恵だったからです。このことばを忘れてはなりません。神は本当に、本当に、うむことなくわたしたちをゆるしてくださいます。「神父様。何が問題なのでしょうか」。問題は、わたしたちがゆるしを求めるのにうむことです。ゆるしを求めるのを望まず、それにうんでしまうことです。神はうむことなくゆるしてくださいますが、わたしたちは、時としてゆるしを求めるのにうむのです。ゆるしを求めるのにうんではなりません。決してうんではなりません。神は愛に満ちた父です。このかたはつねにゆるし、わたしたち皆に対してあわれみの心をもっておられます。わたしたちもすべての人にあわれみ深くなることを学ぼうではありませんか。人となられた神のあわれみを手に抱かれた、聖母の執り成しを祈り願います。
 今、ご一緒に祈りたいと思います。(お告げの祈り)

 すべての巡礼者の皆様に心からごあいさつ申し上げます。皆様の歓迎と祈りに感謝します。皆様にお願いします。わたしのために祈ってください。ローマの信者の皆様にあらためてごあいさつするとともに、このあいさつをすべての皆様に広げます。イタリアと世界各地から来られたかたがた、マスメディアを通してわたしたちと結ばれているかたがた。わたしはイタリアの守護聖人であるアッシジの聖フランチェスコという名を選びました。このことは、わたしとこの地との霊的な絆を強めます。ご存じのとおり、イタリアはわたしの家族の出身地だからです。しかし、イエスはわたしたちが、ご自身の教会という、新しい家族の一員となるよう招かれます。わたしたちはこの神の家族の中で、ともに福音の道を歩みます。主が皆様を祝福してくださいますように。聖母が皆様を守ってくださいますように。このことを忘れないでください。主はうむことなくゆるしてくださいます。わたしたちはゆるしを求めるのにうむにもかかわらず。
 よい主日と昼食の時をお過ごしください。

 

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