教皇フランシスコの2013年4月21日の「アレルヤの祈り」のことば よい羊飼い

教皇フランシスコは、復活節第四主日の4月21日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いまし […]

教皇フランシスコは、復活節第四主日の4月21日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「アレルヤの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「ベネズエラで起きている出来事を注意深く見守っています。わたしは深い懸念と、祈りと、希望をもってベネズエラ国民に同伴します。ベネズエラが遭遇している深刻な困難の時期を乗り越えるための公正で平和的な方法が探究されますように。愛するベネズエラ国民、とくに諸機関の責任者と政治家にお願いします。あらゆる暴力をきっぱりと拒絶し、真理と相互理解、共通善の探求と国家への愛に根ざした対話を確立してください。信者の皆様にお願いします。和解と平和のために祈り、努力してください。コロモトの聖母のみ手にベネズエラをゆだねながら、ベネズエラのためにともに希望に満ちた祈りをささげたいと思います。
 わたしは中国本土の南西部を襲った地震の被災者にも思いを致します。犠牲者と激しい地震のために苦しむ人々のために祈ってください。
 今日の午後、ソンドリオで、ニコロ・ルスカ(Nicolò Rusca 1563-1618年)が列福されます。ニコロ・ルスカは16世紀から17世紀にかけて生きたヴァルテッリーナの司祭です。彼はソンドリオの模範的な主任司祭でしたが、当時のヨーロッパを苦しめた政治的・宗教的戦争の中で殺害されました。彼のあかしのゆえに主をたたえようではありませんか」。
ベネズエラでは、ウゴ・チャベス・フリアス大統領の死去を受けて4月14日に行われた大統領選挙でニコラス・マドゥロ暫定大統領の当選が発表され、19日、マドゥロ氏が国会での宣誓式で正式に就任しましたが、18日に選管当局が票の再集計を行うと発表しています。
中国、四川省で4月20日(土)朝起きたマグニチュード6.9の地震による死者は、21日までに200人を超えています。

この日教皇は、午前9時30分からサンピエトロ大聖堂でミサを司式し、ローマの教区神学校の10名の助祭に司祭叙階を授けました。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日は。

 今日の復活節第四主日は、毎年朗読されるよい羊飼いについての福音によって特徴づけられます。今日の箇所はイエスの次のことばを語ります。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠のいのちを与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである」(ヨハネ10・27-30)。この四つの節は、イエスのメッセージ全体を、すなわちイエスの福音の核心を含みます。イエスはご自分の御父との関係にあずかるよう、わたしたちを招きます。これが、永遠のいのちです。
 イエスは、ご自身の父との関係を反映するようなしかたで、友との関係を打ち立てようと望みます。イエスの父との関係は、完全な信頼と深い交わりのうちに、互いに互いのものとなる関係です。このような深い理解と友愛の関係を表すために、イエスは羊飼いとその羊というたとえを用います。羊飼いが羊を呼ぶと、羊は羊飼いの声を聞き分け、その呼びかけにこたえて、彼に従います。これはなんとすばらしいたとえでしょうか。声の神秘は重要です。わたしたちは、自分が母の胎内にいるときから、母と父親の声を聞き分けることを学ぶことを思い起こします。わたしたちは声の調子から、愛または軽蔑を、愛情または冷酷さを感じ取ります。イエスの声は独特です。わたしたちがその声を聞き分けることを学ぶなら、イエスはわたしたちをいのちの道へと、死の谷を超える道へと導いてくださいます。
 しかしイエスは、あるところで自分の羊についてこう述べます。「わたしの父がわたしにくださったものは・・・・」(ヨハネ10・29)。これはとても重要で、簡単に理解しがたい、深い神秘です。イエスに引き寄せられると感じるなら、イエスの声がわたしの心を温めるなら、それは父である神のおかげです。父である神は、わたしのうちに愛と真理と美への望みを置いてくださったからです。そして、イエスこそが完全な愛と真理と美です。このことが、召命、とくに特別な叙階への召命の神秘を理解する助けとなります。イエスはわたしたちを招くことがあります。ご自分に従うよう招くことがあります。しかし、それがイエスだと気づかないこともあります。少年サムエルの場合のようにです。今日、このサンピエトロ広場には多くの若者がおられます。皆様にお尋ねしたいと思います。望みや不安を通じて、もっと親しく自分に従うようにと招く、主の声を聞いたことがありますか。聞いたことがないという人がいますか。イエスの使徒になりたいと望んだことはありますか。若者は偉大な理想に賭けてみる必要があります。そう思いませんか。イエスが何を自分に望んでおられるか、尋ねてください。勇気をもってイエスに尋ねてください。司祭職や奉献生活への召命の背後または前には、つねにだれかの強く熱心な祈りがあります。祖母、祖父、母、父、共同体の祈りです。だからイエスはこういわれたのです。「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主(すなわち父である神)に願いなさい」(マタイ9・38)。召命は、祈りのうちに、祈りから生まれます。わたしたちは祈ることによって初めて、忍耐して、実りを得ることができます。「世界召命祈願の日」の今日、このことを強調したいと思います。今朝、わたしが叙階することができた、ローマの教区の新司祭のためにとくに祈りたいと思います。そしてマリアの執り成しを願い求めたいと思います。今日、十名の若者がイエスに「はい」と述べ、今朝、司祭叙階を受けました。なんとすばらしいことでしょうか。「はい」といわれた女性である、マリアの執り成しを願います。マリアは生涯全体を通して「はい」といわれました。マリアはイエスを胎内にみごもったときからイエスの声を聞き分けることを学びました。わたしたちの母であるマリアよ。あなたの助けによって、わたしたちがますますイエスの声を知って、この声に従い、いのちの道を歩むことができますように。ご清聴ありがとうございます。
 皆様のごあいさつに感謝します。しかし、イエスにもあいさつしてください。大きな声で「イエスよ」と叫んでください。ともに聖母に祈りたいと思います。

 
 

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