教皇フランシスコの2013年5月26日の「お告げの祈り」のことば 三位一体

教皇フランシスコは、三位一体の主日の5月26日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語) […]

教皇フランシスコは、三位一体の主日の5月26日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 昨日、パレルモでジュゼッペ・プリジ神父(Giuseppe Puglisi 1937-1993年)が列福されました。ジュゼッペ・プリジ神父は、1993年にマフィアによって殺害された司祭殉教者です。プリジ神父は模範的な司祭であり、とくに小教区の青年司牧に献身しました。彼は福音に従って若者を教育して、彼らを悪い生活から引き離しましたが、そのためにマフィアは彼を殺害して打ち負かそうとしたのです。しかし実際に、復活したキリストとともに勝利を収めたのはプリジ神父です。わたしはマフィアによって搾取されている男女と子どもの多くの苦しみのことを思います。マフィアは売春や多くの社会的圧力により人々を働かせて奴隷にし、搾取しています。こうした搾取と奴隷制度の背後にいるのがマフィアです。これらのマフィアを回心させてくださるよう、主に祈りたいと思います。このような悪事を働くことは決して許されません。彼らがわたしたちを、兄弟たちを奴隷にすることは決して許されません。わたしたちは主に祈らなければなりません。マフィアたちが神に向かって回心するよう祈りたいと思います。そして、ジュゼッペ・プリジ神父の輝かしいあかしのゆえに神を賛美したいと思います。プリジ神父の模範に倣おうではありませんか」。

この日教皇は、午前8時30分にヘリコプターでバチカンを出発してローマ教区北部地区のサンティ・エリザベッタ・エ・ザッカリア・ア・ヴァッレ・ムリカーナ小教区(プリマ・ポルタ)を訪問し、9時30分から同小教区聖堂前の広場でミサを司式しました。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日は。今朝わたしは、初めてローマ教区の小教区への訪問を行いました。主に感謝します。そして、このローマ教会へのわたしの司牧的奉仕のために祈ってくださるよう、皆様にお願いします。ローマ教会は普遍的な愛を主宰するという使命をもつからです。
 今日は三位一体の主日です。復活節と聖霊降臨の光は、毎年、わたしたちのうちで、信仰の喜びと驚きを新たにします。次のことを悟りたいと思います。神は漠然としたものではありません。わたしたちの神は「霧のように霞んだ」神ではありません。神は具体的なかたです。神は抽象的なかたではなく、名をもっておられます。「神は愛です」。この愛は、感傷的な愛でも、感情的な愛でもありません。それは、あらゆる生命の起源である御父の愛です。十字架上で死んで復活した御子の愛です。人類と世界を新たにする聖霊の愛です。神が愛であることを思うことにより、わたしたちはいつくしみ深い者となります。なぜなら、それはわたしたちに愛することを教えるからです。イエスがわたしたちにご自分を与え、わたしたちとともに歩いてくださったのと同じように、他の人々に自分を与えることを教えるからです。イエスはわたしたちとともに人生の道を歩んでくださいます。
 至聖なる三位一体は、人間的な考えから生まれたものではありません。それは神がご自身を現すためのみ顔です。神は、高いみ座からではなく、人類とともに歩むことを通してご自身を現します。イエスは御父をわたしたちに現し、聖霊を約束してくださいました。神はイスラエルの民の歴史の中で、ご自分の民とともに歩みました。そしてイエスのうちにつねにわたしたちとともに歩み、聖霊を約束してくださいました。聖霊は、わたしたちの知らないすべてのことをわたしたちに教え、わたしたちを内面から導き、よい考えと霊感を与えてくださる炎です。
 今日わたしたちは、ある特定の神秘のゆえにではなく、神ご自身のゆえに神をたたえます。典礼聖歌が述べるとおり、「主の大いなる栄光のゆえに」神をたたえます。わたしたちは神をたたえ、感謝します。神は愛だからです。神はご自身との交わり、すなわち永遠のいのちに入るよう、わたしたちを招いてくださるからです。
 わたしたちの賛美をおとめマリアのみ手にゆだねたいと思います。被造物の中でもっとも謙遜なかたであるマリアは、キリストのゆえに、すでに地上の旅路の目的に達しておられます。マリアはすでに三位一体の栄光のうちにおられます。だからわたしたちの母である聖母マリアは、確かな希望のしるしとしてわたしたちのために輝きます。マリアは希望の母です。わたしたちが道を歩むとき、マリアは希望の母となってくださいます。マリアはわたしたちを慰めてくださる母でもあります。マリアは慰めの母であり、わたしたちとともに歩んでくださる母です。今、ともに聖母に祈ろうではありませんか。わたしたちとともに歩んでくださる、わたしたちの母に。

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