教皇フランシスコの15回目の一般謁見演説 ブラジル訪問を振り返って

9月4日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコの15回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、第28回WYD(ワールドユースデー)リオデジャネイロ大会に際して7月22日から29日まで […]

9月4日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコの15回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、第28回WYD(ワールドユースデー)リオデジャネイロ大会に際して7月22日から29日まで行ったブラジル訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇は、9月7日(土)に開催する「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」に関してイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「来たる土曜日に、シリアと中東と全世界の平和のための特別な断食と祈りの日をともに行います。それはわたしたちの心の平和のための日でもあります。なぜなら、平和は心から始まるからです。あらためて全教会にお願いします。この日を心を込めて過ごしてください。そして、この機会にご自分の場所で、それぞれのしかたでわたしたちに参加してくださる、他のキリスト教の兄弟の皆様、他宗教の皆様、そして善意の人々に、今から感謝申し上げます。とくにローマの信者と巡礼者の皆様にお勧めします。平和という偉大なたまものを願い求めるために、このサンピエトロ広場で午後7時から始まる前晩の祈りにご参加ください。全地で平和への叫び声が上がりますように」。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。お早うございます。

 8月の休暇の後、講話の歩みを再開します。ただし今日はWYD(ワールドユースデー)に際して行ったブラジル訪問についてお話ししたいと思います。1か月以上経ちましたが、この行事を振り返るのはとても重要です。また時間の隔たりによって、その意味をもっとよく理解することができます。
 何よりもまず主に感謝したいと思います。主はすべてをみ摂理をもって導いてくださったからです。アメリカ出身のわたしにとって、この訪問はすばらしい贈り物でした。そのためアパレシーダの聖母にも感謝します。聖母はこの訪問のあいだ中、ともに歩んでくださったからです。わたしはブラジルの偉大な巡礼所への巡礼を行いました(7月24日)。そしてアパレシーダの聖母のご像はWYDの会場につねに掲げられていました。わたしはこのことをとてもうれしく思います。アパレシーダの聖母はブラジルにおける教会の歴史だけでなく、ラテンアメリカ全体にとってもたいへん重要だからです。ラテンアメリカとカリブの司教たちはアパレシーダで教皇ベネディクト十六世とともに総会を開催しました。それは、カトリック教会の多くの部分が住む、世界のこの地域の司牧の歩みにとってきわめて意味深い出来事でした。
 すでに申し上げたことですが、行政当局者、ボランティア、治安当局者、深い兄弟愛をもって巡礼者を歓迎してくださった、リオデジャネイロと他のブラジルの都市の小教区共同体にあらためて感謝申し上げたいと思います。実際、ブラジルの家庭と小教区のもてなしが、今回のWYDのもっともすばらしい特徴でした。ブラジルの人々はすばらしい人々です。すばらしい国民です。彼らは本当に寛大な心をもっておられます。巡礼にはつねに困難が伴います。しかし、もてなしはこれらの困難を乗り越える助けとなるばかりか、それを互いに知り合い、友人となる機会に造り変えます。いつまでも、とくに祈りのうちに残るきずなが生まれます。そこからまた、イエス・キリストにおけるまことの友愛のネットワークとして、全世界で教会が成長します。このネットワークは、あなたがたを捕らえ、また自由にします。それゆえ、ブラジル訪問の体験から最初に浮かんでくることばは、もてなしです。
 この訪問を要約するもう一つのことばは、祝祭です。WYDはつねに祝祭です。なぜなら、町を埋め尽くした若者たちが、世界中の旗をもってあいさつを交わし合い、抱き合うとき、それはまことの祝祭となるからです。それは信者だけでなくすべての人にとってしるしとなります。しかし、それだけでなく、最大の祝祭も存在します。すなわち、信仰の祝いです。そのときわたしたちはともに主を賛美して歌い、神のことばに耳を傾け、沈黙のうちに礼拝します。これらすべてのことがWYDの頂点です。これこそがこの偉大な巡礼の真の目的です。この祝祭は特別なしかたで土曜(7月27日)の前晩の祈りと閉会ミサ(7月28日)において行われました。そうです。これこそが偉大な祝祭です。信仰と兄弟愛の祝祭です。この祝祭はこのようなしかたで始まり、終わることがありません。しかし、このような祝祭はただ主によってのみ可能です。神の愛がなければ、人間のための真の祝祭はありえません。
 もてなしと祝祭のほかに、第三の要素も存在します。それは宣教です。今回のWYDは宣教的なテーマによって特徴づけられます。「行って、すべての民を弟子にしなさい」。わたしたちはイエスのことばを耳にしました。それはイエスがすべての人に与えた使命です。それは復活したキリストが弟子たちに与えた命令です。「行きなさい」。自分自身から、閉じこもった状態から出て、福音の光と愛を、地の果てに至るまで、すべての人に伝えなさい。まさにこのイエスの命令が、コパカバーナ海岸を視界の果てまで埋めた若者たちにゆだねられたのです。海岸は象徴的な場所です。それはガリラヤ湖の岸辺を思い起こさせます。そうです。今日も主は繰り返していわれます。「行きなさい」。主は続けていわれます。「わたしはいつもあなたがたとともにいる」。これが根本的なことです。わたしたちはキリストとともにいることによって初めて、福音を伝えることができるのです。主がいてくださらなければ、わたしたちは何もできません。主ご自身がいわれたとおりです(ヨハネ15・5参照)。しかし、主とともにいて、主と一つに結ばれているなら、わたしたちは何でもできます。世の目から見て取るに足りない若者も、神の目から見ればみ国の使徒です。彼らは神にとって希望です。すべての若者に強くお願いしたいと思います。今日、サンピエトロ広場に若者はおられるでしょうか。この広場に若者はいますか。何人かはいるようです。皆様に強くお願いしたいと思います。あなたがたは神にとっての希望となりたいですか。希望になりたいですか。教会の希望になりたいですか。キリストの愛を受け入れるなら、若者の心は他の人々の希望へと造り変えられます。それははかりしれない力となります。さて、若者の皆様。皆様は造り変えられなければなりません。希望へと造り変えられなければなりません。新たな希望の世界へと門を開いてください。これが皆様の務めです。皆様はわたしたち皆にとっての希望になりたいですか。多くの若者がリオデジャネイロで復活したキリストと出会い、日々の生活の中でキリストの愛をもたらし、生き、伝えることの意味を考えてみたいと思います。彼らがニュースになることはありません。彼らは暴力も振るわず、つまずきともならず、だからニュースにならないのです。しかし、イエスと一つに結ばれ、み国を築き、兄弟愛と分かち合いとあわれみのわざを築くなら、彼らは世界をより公正ですばらしいものに変容させる強力な力となります。ここでこのサンピエトロ広場にいる若者の皆様にお尋ねしたいと思います。皆様にはこの挑戦を受け入れる勇気がありますか。声が小さいようですが。皆様は、世界を造り変える勇気に満ちた、愛とあわれみの力になりたいですか。
 親愛なる友人の皆様。WYDの体験は歴史の中の真に偉大な知らせ、すなわち福音を思い起こさせてくれます。たとえこの福音が新聞やテレビの中に現れなくてもです。わたしたちは神に愛されています。この神は、わたしたちの父です。このかたは、わたしたち一人ひとりに近づき、わたしたちを救うために、御子イエスを遣わしました。神はわたしたちを救い、わたしたちのすべての罪をゆるすために、イエスを遣わします。神はつねにゆるすかただからです。神はいつくしみとあわれみに満ちておられるからです。もてなしと祝祭と宣教。この三つのことばを忘れないでください。このことばが、リオで起きたことの単なる思い出ではなく、わたしたちと聖なる共同体の魂となり、より公正で連帯に満ちた世界を築くために役立ちますように。

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