教皇フランシスコの16回目の一般謁見演説 キリスト信者の母である教会

9月11日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコの16回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、5月29日から開始した「教会の神秘」に関する連続講話の5回目として「キリスト信者の母で […]

9月11日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコの16回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、5月29日から開始した「教会の神秘」に関する連続講話の5回目として「キリスト信者の母である教会」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。
―――

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。お早うございます。

 今日から「信仰年」にあたっての教会についての連続講話を再開します。教会の本性をよりよく理解させるために第二バチカン公会議が選んだイメージの一つが、「母」です。教会は信仰と超自然的生活におけるわたしたちの母です(『教会憲章』6、14、15、41、42:Lumen gentium参照)。「母」は、最初の数世紀の教父がもっともよく用いたイメージの一つであり、わたしたちにとっても役立ちうるものだと思います。わたしにとっても「母」は教会のもっとも美しいイメージの一つです。母なる教会。教会は、どのような意味で、どのようなしかたで母なのでしょうか。母性に関する人間的な現実から出発したいと思います。母は何をするのでしょうか。

1 まず第一に、母はいのちを生み出します。母は9か月の間、子どもを胎内に宿し、それから子どもを生みます。教会も同じです。教会は、自らを受胎させた聖霊のわざによって、わたしたちを信仰へと生み出します。おとめマリアと同じように。教会もおとめマリアもともに母です。教会についていわれることは聖母にもいえますし、聖母についていわれることは教会にもいえるのです。確かに信仰は個人的な行為です。「わたしは信じます」。神はご自身を知らせ、わたしと友になることを望みます。この神にわたしは個人的にこたえます(回勅『信仰の光』39:Lumen fidei参照)。しかしわたしは信仰を他の人から、すなわち家庭の中で、共同体の中で受け取ります。これらの人々がわたしに「わたしは信じます」「わたしたちは信じます」ということを教えてくれるからです。キリスト信者は決して離れ小島ではありません。わたしたちは実験室でキリスト信者になるのではありません。独りで、自力でキリスト信者になるのではありません。むしろ信仰は贈り物です。神からのたまものです。このたまものは教会の中で、教会を通してわたしたちに与えられます。また教会は、洗礼によって信仰のいのちをわたしたちに与えます。洗礼は、わたしたちが神の子どもとして生まれ、わたしたちに神のいのちが与えられる瞬間です。教会が母としてわたしたちを生み出す瞬間です。教皇座聖堂であるサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂の洗礼堂に行くと、その中にラテン語で銘文が刻まれているのを見ることができます。それはおおよそ次のように述べています。「ここで神の血を引く民が生まれる。この民はこの水を受胎させた聖霊によって生み出される。母なる教会はこの水から自らの子を産む」。この文章はわたしたちに重要なことを悟らせてくれます。わたしたちが教会の一員となるのは、外的また形式的なことでも、所定の用紙に記入することでもありません。むしろそれは内的な、生きた行為です。わたしたちは結社や政党や何かの組織に入会するのと同じように、教会に属する者となるのではありません。このきずなは、自分の母親とのきずなと同じように、生きています。聖アウグスティヌス(Augustinus 354-430年)が述べるとおりです。「教会はキリスト信者のいとも真実な母である」(『カトリック教会の道徳とマニ教徒の道徳について』:De moribus ecclesiae catholicae et de moribus Manichaeorum II, 30, 62-63, PL 32, 1336〔『カトリック教会の道徳』熊谷賢二訳、創文社、1963/1993年、95頁参照〕)。自らに問いたいと思います。わたしは教会をどのように見ているでしょうか。わたしは自分を生んでくれたがゆえに、両親にも感謝します。それと同じように、洗礼を通じてわたしを信仰へと生んでくれたがゆえに、教会に感謝しているでしょうか。どれだけのキリスト信者が自分が洗礼を受けた日を覚えているでしょうか。ここでこの質問を皆様にしたいと思います。答えは心の中でしてください。皆様の中で、自分が洗礼を受けた日を覚えている人がどれだけいるでしょうか。何人かのかたが手を上げていますが、多くの人は覚えていません。けれども、洗礼を受けた日は、わたしたちが教会へと生まれた日です。わたしたちの母である教会がわたしたちを生んでくださった日です。ここで皆様に宿題を出したいと思います。今日、家に帰ったら、自分が洗礼を受けた日を調べてください。それは、この日を祝い、このたまものについて主に感謝するためです。そうしてくださいますか。わたしたちは、たとえ欠点があると分かっていても、自分の母親を愛します。わたしたちは、それと同じように教会を愛しているでしょうか。母親には皆、欠点があります。わたしたちにも皆、欠点があります。けれどもわたしたちは、だれかが母親の欠点について話したなら、彼女を弁護します。母親を愛しているからです。教会にも欠点があります。わたしたちは母親のように教会を愛しているでしょうか。教会がより美しく、本来的で、主に従ったものとなる助けとなっているでしょうか。これは皆様への問いかけにとどめます。しかし、宿題を忘れないでください。自分が洗礼を受けた日を調べてください。それを心にとどめ、祝うためです。

2 母親は、いのちを与えるだけでなく、子どもたちが成長するために心から気を配ります。ミルクを飲ませ、食べさせ、生きる道を教え、たとえ子どもが大きくなっても、気遣いと愛情と愛をもってつねに彼らに同伴します。だから母親は、正し、ゆるし、理解することができます。病気のとき、苦しむときに寄り添うことができます。一言でいうなら、よい母親は、子どもが自分自身から脱け出る助けとなります。雛が雌鶏の翼の陰に隠れるように、子どもがいつまでも母親の翼の陰でぬくぬくと過ごすことのないようにします。教会がすることも、よい母親と同じです。教会は、わたしたちの成長に同伴します。そのために教会は、神のことばを伝えます。神のことばは、わたしたちにキリスト信者の歩むべき道を示す光だからです。教会はまた、秘跡を授けます。聖体によってわたしたちを養い、ゆるしの秘跡によってわたしたちに神のゆるしを与え、病者の塗油によって病気のときにわたしたちを支えます。教会は、わたしたちの信仰生活全体を通じて、キリスト教的生活全体を通じて、わたしたちに同伴します。そこでもう一つのことを自らに問うことができます。わたしは教会とどのような関係をもっているでしょうか。わたしは教会を、キリスト信者としての成長を助けてくれる母として考えているでしょうか。わたしは教会生活に参加しているでしょうか。教会の一員であると感じているでしょうか。教会との関係は形式的なものでしょうか、それとも生きたものでしょうか。

3 第三のことを短く考えてみたいと思います。教会の初期の時代には、次のことが明らかでした。教会はキリスト信者の母であり、キリスト信者を「作る」だけでなく、キリスト信者によって「作られる」ものです。教会はわたしたちと別の何かではなく、信者の全体として、「わたしたち」キリスト信者として、考えられていました。わたしも、あなたも含めて、わたしたち皆が教会の部分です。聖ヒエロニュムス(Hieronymus 347-419/420年)は次のように述べています。「キリストの教会は、キリストを信じる人々の霊魂以外の何ものでもない」(『詩編講解』:Tractatus in Psalmos 86, PL 26, 1084)。ですから、司牧者も信者も含めて、わたしたちは皆、教会の母としての気遣いを生きています。ときどき次のようにいう人がいます。「わたしは神を信じるが、教会は信じない。・・・・教会がこういった。・・・・司祭がこういった」。けれども、司祭は司祭です。教会は司祭だけから成るのではありません。わたしたち皆が教会なのです。神は信じるが、教会は信じないというのなら、自分自身を信じないことになります。これは矛盾です。洗礼を受けたばかりの幼児から、司教や教皇に至るまで、わたしたち皆が教会です。わたしたち皆が教会であり、わたしたちは皆、神の目から見て平等です。わたしたちは皆、新たなキリスト信者が信仰へと生まれるために協力するよう招かれています。わたしたちは皆、信仰を教え、福音をのべ伝えるよう招かれています。わたしたちはおのおの自らに問わなければなりません。他の人々がキリスト教信仰を共有できるようになるために、わたしは何をしているでしょうか。わたしは自分の信仰から実りを生み出しているでしょうか、それとも信仰を自分のためだけに閉ざしているでしょうか。教会を愛しているというなら、その人は自分の囲いにとどまってはなりません。むしろ、たとえ多少の危険を冒しても、すべての人にキリストを伝えるために、外に出かけ、行動できなければなりません。わたしは、わたしも、あなたも、一人ひとりのキリスト信者も含めた、すべての人のことを考えています。わたしたちは皆、教会の母としての気遣いに参加します。それは、キリストの光が地の果てにまで達するためです。聖にして母なる教会はたたえられますように。

略号
PL Patrologia Latina

PAGE TOP