教皇フランシスコの2013年10月6日の「お告げの祈り」のことば 主よ、わたしどもの信仰を増してください

教皇フランシスコは、年間第27主日の10月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語) […]

教皇フランシスコは、年間第27主日の10月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日は。

 まず、昨日アッシジを訪問できたことを神に感謝したいと思います。じつにこれはわたしの最初のアッシジ訪問です。また聖フランチェスコの記念日にこの巡礼を行えたのは大きな恵みでした。深く感謝します。
 今日の福音の箇所は次のように始まります。「使徒たちが、『わたしどもの信仰を増してください』といったとき」(ルカ17・5-6)。わたしたちは皆、この願いを自分のものにできると思います。わたしたちも使徒たちと同じように主イエスにいいます。「わたしどもの信仰を増してください」。主よ。まことにわたしたちの信仰はわずかです。わたしたちの信仰は弱く、もろいものです。しかしわたしたちはこの信仰をそのままあなたに示します。あなたがそれを増してくださるためです。このことばを一緒に唱えるのはよいことだと思います。「主よ、わたしどもの信仰を増してください」。ご一緒に唱えましょう。主よ、わたしどもの信仰を増してください。わたしどもの信仰を成長させてください。
 ところで主はどのようにわたしたちにこたえてくださるでしょうか。主はこたえていわれます。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』といっても、いうことを聞くであろう」(6節)。からし種はたいへん小さなものです。しかしイエスはいわれます。このように小さくても、まことの真実な信仰があれば、人間の目から不可能で考えられないこともできます。それは本当です。わたしたちは皆知っているからです。単純で、身分が低くても、まことに山を動かすような強靭な信仰をもっている人を。たとえば、次のような人々のことを考えてみてください。困難な状況に立ち向かう両親。見舞う人に落ち着いた心を伝える病人、それも重病の人。これらの人々は、その信仰のゆえに、自分のしていることを自慢したりしません。それどころか、福音書の中でイエスが求めるのと同じように、彼らはいいます。「わたしどもは取るに足りないしもべです。しなければならないことをしただけです」(ルカ17・10)。わたしたちの間でどれほど多くの人々がこのような強い信仰をもち、よいわざを行っていることでしょうか。
 特別に宣教にささげられた10月にあたり、わたしたちは多くの男女の宣教者に思いを致します。彼らは福音を伝えるために、あらゆる障害を乗り越え、実際にいのちをもささげます。聖パウロがテモテにいうとおりです。「わたしたちの主をあかしすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしとともに苦しみを忍んでください」(二テモテ1・8)。ところで、これはすべての人に当てはまります。わたしたちは皆、日々の生活の中で、神の力をもって、すなわち信仰の力をもって、キリストをあかしすることができます。わたしたちがもっている信仰は、小さくても、強いからです。この信仰の力をもって、イエス・キリストをあかししてください。生活とあかしをもってキリスト信者となってください。
 ところで、このような力をどこから得ることができるでしょうか。わたしたちはそれを、祈りの中で、神から与えられます。祈りは信仰の呼吸です。信頼と愛の関係の中で、対話が絶えることはありません。祈りは魂の神との対話です。10月はロザリオの月でもあります。そして10月の最初の日曜日には、伝統的に、ロザリオの聖なるおとめマリア、ポンペイの聖母への祈願が唱えられます。霊的な意味で、心を一つにしてこの聖母への信頼を表そうではありませんか。聖母のみ手からロザリオの珠を受けようではありませんか。ロザリオは信仰の学びやなのです。

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