教皇フランシスコの2013年11月17日の「お告げの祈り」のことば 忍耐によって、あなたがたはいのちをかち取りなさい

教皇フランシスコは、年間第33主日の11月17日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語 […]

教皇フランシスコは、年間第33主日の11月17日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、終わりに教皇はイタリア語で次のように述べました。
「今、皆様に薬を差し上げたいと思います。ある人はこう考えるかもしれません。『教皇は薬剤師になったのだろうか』。これは、間もなく終わる『信仰年』の実りを具体化するための薬です。これは心でのむ59錠の薬です。すなわち、『あわれみ』という名の『霊的な薬』です。心でのむ59錠の薬箱です。この薬箱には薬が入っています。幾人かのボランティアのかたが、皆様が広場を出るときにこれを配布します。どうぞそれを受け取ってください。それはロザリオの鎖です。皆様はこのロザリオで『あわれみのロザリオ』を唱えることもできます。『あわれみのロザリオ』は、わたしたちの霊魂のため、また至るところで愛とゆるしと兄弟愛を広めるための助けとなります。どうか受け取るのを忘れないでください。それは皆様のためになるものです。それは心と霊魂と生活全体のためになります」。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日は。

 今日の主日の福音(ルカ21・5-19)は、イエスが終わりの時について行った説教の前半の一部です。イエスはこの説教をエルサレムの神殿のそばで行いました。イエスが説教を行ったきっかけは、神殿とその美しさについて語る人々から与えられました。神殿は見事なものだったからです。するとイエスはいいました。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」(ルカ21・6)。当然、彼らはイエスに尋ねました。そのことはいつ起こるのですか。そのことが起こるときには、どんなしるしがあるのですか。しかしイエスはこれらの二義的なことがら――それはいつ、どのように起こるのか――ではなく、真の問いに目を転じます。二つの問いがあります。第一はこれです。メシアに惑わされないようにしなさい。恐れでおびえてはならない。第二はこれです。期待の時を、あかしと堅忍の時として過ごしなさい。わたしたちも期待の時、主の訪れを待ち望む時を過ごしています。
 このイエスの説教は、21世紀に生きるわたしたちにとっても、変わることのない意味をもっています。イエスはわたしたちに繰り返していいます。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れる」(8節)。それは識別への招きです。識別は、主の霊がどこにあり、悪霊がどこにあるかを理解するためのキリスト教的な徳です。実際、現代においても、イエスに取って代わろうとする、偽りの「救い主」が存在します。この世の指導者、聖者、占い師、そして、人々とくに若者の心を自分に引き寄せようとする人たちです。イエスはわたしたちに警戒を呼びかけます。「これらの人々について行ってはならない」と。
 主はまた、わたしたちが恐れることのないよう、助けてくださいます。戦争、革命、また自然災害、伝染病を前にしたとき、イエスはわたしたちを運命論と偽りの終末観から解放してくれます。
 第二の点は、キリスト信者であり教会の成員であるわたしたちに問いかけます。イエスは、弟子たちがご自分のために苦しまなければならない、辛い試練と迫害を前もって告げます。にもかかわらずイエスは約束します。「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」(18節)。イエスは、わたしたちが完全に神のみ手の中にいることを思い起こさせます。わたしたちが信仰と福音への忠実のゆえに遭う災いは、あかしを行う機会です。それらの災いは、わたしたちを主から遠ざけるのではなく、むしろますます主とその霊と恵みに身をささげるよう促します。
 このときにあたり、わたしは、またわたしたち皆は思いを致します。どうかご一緒に、信仰のゆえに迫害を受けている多くの兄弟姉妹のことを考えてください。その数は多いのです。おそらく最初の数世紀よりも多いのです。イエスは彼らとともにおられます。わたしたちも祈りと愛をもって彼らと一つに結ばれます。わたしたちは彼らの勇気とあかしにも感嘆を覚えます。このわたしたちの兄弟姉妹は、世界の多くの地域でイエス・キリストへの忠実のゆえに苦しんでいます。心から、愛情を込めて、彼らに祝福を送ります。
 最後にイエスは、勝利を保証する約束を行います。「忍耐によって、あなたがたはいのちをかち取りなさい」(19節)。このことばのうちにどれほど希望があることでしょうか。それは希望と忍耐への招きです。人生と歴史の深い意味に信頼しながら、救いの確かな実りを待ち望むことを知ることへの招きです。試練と困難はより偉大な計画の一部にすぎません。歴史の支配者である主が、万事を完成させてくださいます。世を戸惑わせる無秩序と災厄にもかかわらず、神のいつくしみとあわれみの計画は実現されます。これがわたしたちの希望です。ですから、実現される神の計画に従って、この道を歩んでいこうではありませんか。
 このイエスのメッセージは、わたしたちに現在の時を顧みさせるとともに、勇気と希望をもってこの時に立ち向かう力を与えてくれます。それも聖母に伴われながら。聖母はつねにわたしたちともに歩んでくださるからです。

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