教皇フランシスコの2014年1月5日の「お告げの祈り」のことば みことばの受肉

教皇フランシスコは、1月5日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。 「お告げの祈り […]

教皇フランシスコは、1月5日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で、5月24日(土)から26日(月)まで聖地訪問を行うことを発表しました。
「兄弟姉妹の皆様。
 降誕節に特有の喜びの雰囲気のうちに、神が望まれるなら、来たる5月24日から26日まで聖地巡礼を行うことをお知らせします。この訪問のおもな目的は、50年前のちょうど今日の1月5日、教皇パウロ六世と総主教アテナゴラスの間で行われた歴史的会見を記念することです。訪問ではアンマン、ベツレヘム、エルサレムの三箇所を訪ねます。三日間です。わたしたちは聖墳墓で、バルトロマイ・コンスタンチノ-プル総主教とともに、エルサレムのキリスト教会のすべての代表者とエキュメニカル集会を行います。祈りの巡礼となるこの巡礼のために、今から祈ってくださるよう皆様にお願いします」。
教皇の聖地訪問は、パウロ六世(1964年1月4日-6日)、ヨハネ・パウロ二世(2000年3月20日-26日)、ベネディクト十六世(2009年5月8日-15日)に続いて4回目となります。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日は。

 今日の主日の典礼は、ヨハネによる福音書の序文を通じて、イエスの降誕のもっとも深い意味をあらためて示します。イエスは人となってご自分の「天幕」を張り、人々の間に住まわれた、神のことばです。福音書記者はこう述べます。「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1・14)。わたしたちを驚かせてやまないこのことばのうちに、キリスト教のすべてがあります。神はわたしたちと同じように、死すべき弱い者となりました。神は罪を除いてわたしたちの人間的状況を共有しましたが、ご自分のもののように、わたしたちの罪を身に負いました。神はわたしたちの歴史の中に歩み入り、完全な意味でわたしたちとともにおられる神となったのです。それゆえイエスの降誕はわたしたちに次のことを示します。神はすべての人と、すなわちわたしたち一人ひとりと、ご自分を結びつけ、ご自分のいのちと喜びをわたしたちに伝えることを望まれました。

 このようなしかたで、神はわたしたちとともにおられる神であり、わたしたちとともに歩む神なのです。降誕祭のメッセージはこれです。みことばは肉となりました。だから降誕祭は人類に対する神の深い愛をわたしたちに現します。わたしたちキリスト信者の熱意と希望もここから生まれます。キリスト信者は貧しさのうちにあっても、神が自分を愛し、訪れ、ともに歩んでくださることを知っています。そしてわたしたちは世と歴史を、神とともに、また互いに、新しい天と新しい地を目指して歩むべき場として見いだします。イエスの降誕によって新しい約束と新しい世が生まれました。しかしそれだけでなく、つねに新たにすることができる世も生まれました。神はつねにともにいて、人間を新たに立ち上がらせ、世を罪から清めます。世を年老いさせ、堕落させる罪から清めます。人類の歴史とわたしたち一人ひとりの個人の歴史は困難と弱さによって特徴づけられています。しかし、それと同じくらいに、神の受肉への信仰は、神が人間とその歴史と連帯してくださることをわたしたちに語ります。このように、神が人間に、それもすべての人、わたしたち一人ひとりに近づいてくださることは、決して消えてなくならないたまものです。神はわたしたちとともにおられます。神はわたしたちとともにおられる神です。神が近くにいてくださることは決して消えてなくなりません。降誕祭の喜ばしい知らせはこれです。おとめマリアと聖ヨセフの心を満たし、羊飼いと占星術の学者たちの歩みを導いた神の光が、現代のわたしたちにも輝きます。

 神の子の受肉の神秘のうちには、人間の自由、すなわちわたしたち皆の自由とかかわる側面もあります。実際、神のことばは、罪人であり、あわれみを必要とするわたしたちの間に天幕を張りました。だからわたしたちは皆急いで、神が与えてくださる恵みを受けなければなりません。しかし、聖ヨハネによる福音書は続けていいます。「民は受け入れなかった」(11節)。わたしたちもしばしば神を拒絶し、自分の過ちに閉じこもり、罪の苦しみのうちにとどまることを選びます。しかしイエスは、ご自身と、わたしたちを救うご自身の恵みを与えることをやめません。イエスは忍耐強いかたです。イエスは待つことを知っておられます。イエスはつねにわたしたちを待っておられます。これが希望のメッセージです。古くかつつねに新しい、救いのメッセージです。わたしたちは、このいのちと、光と、希望と愛の福音のメッセージを喜びをもってあかしするよう招かれています。いのちと光と希望と愛――これこそがイエスのメッセージだからです。

 神の母であり、わたしたちの優しい母であるマリアが、つねにわたしたちを支えてくださいますように。こうしてわたしたちがキリスト信者としての召命に忠実にとどまり、新年の初めにあたって心のうちに抱く正義と平和への望みを実現することができますように。

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