教皇フランシスコの2014年1月12日の「お告げの祈り」のことば 主の洗礼

教皇フランシスコは、主の洗礼の祝日の1月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前後に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語 […]

教皇フランシスコは、主の洗礼の祝日の1月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前後に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇は2月22日に枢機卿に叙任する19名の新枢機卿を発表しました。2014年1月2日現在、枢機卿総数は199名、教皇選挙権を有する80歳未満の枢機卿は107名、80歳以上の枢機卿は92名です。2月22日の枢機卿叙任により、枢機卿総数は218名、教皇選挙権を有する80歳未満の枢機卿は122名、80歳以上の枢機卿は96名となる予定です。

この日、教皇は午前9時30分から主の洗礼の祝日のミサをシスティーナ礼拝堂でささげ、ミサの中で32人の新生児(女児18人、男児14人)に洗礼を授けました。
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  親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日は。

 今日は主の洗礼の祝日です。今朝わたしは32人の新生児に洗礼を授けました。これらの子どもたちとすべての新しいいのちのゆえに、皆様とともに主に感謝します。幼児に洗礼を授けることはわたしの喜びです。大きな喜びです。生まれてきた子どもは皆、喜びと希望のたまものです。洗礼を授けられた子どもは皆、信仰の奇跡であり、神の家族にとっての祝いです。

 今日の福音の箇所は、イエスがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたとき、「天がイエスに向かって開いた」(マタイ3・16)ことを強調します。このことは預言を成就します。実際、待降節の典礼の中で繰り返し次の祈願が唱えられます。「どうか、天を裂いて降ってください」(イザヤ63・19)。もし天が閉ざされたままなら、地上の生におけるわたしたちの地平は暗く、希望がありません。しかし、降誕祭を祝うことにより、信仰はあらためて、イエスの到来によって天が開かれたことへの確信をわたしたちに与えました。そしてキリストの洗礼の日に、わたしたちはあらためて開かれた天を仰ぎ見ます。神の子の地上における顕現は、罪が天を閉ざし、人間とその造り主との間の障壁のようになった後、大いなるあわれみの時が始まったことを示します。イエスの誕生により、天が開きました。神はキリストのうちに、だれも壊すことのできない愛の保証をわたしたちに与えてくださいます。それゆえ、みことばが肉となったときから、開かれた天を見ることが可能になりました。ベツレヘムの羊飼いたち、東方の占星術の学者たち、洗礼者、イエスの使徒たち、最初の殉教者聖ステファノにとって、それが可能になりました。聖ステファノは叫んでいいます。「天が開いて……いるのが見える」(使徒言行録7・56)。わたしたちが神の愛に満たしていただくなら、それはわたしたち皆にも可能です。神の愛は洗礼のときに聖霊を通じて初めてわたしたちに与えられました。神の愛に満たしていただこうではありませんか。今は大いなるあわれみの時です。今は大いなるあわれみの時です。このことを忘れないでください。

 イエスが洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受け、悔い改める人々と連帯したとき――イエスは罪を犯しておらず、回心する必要がなかったのです――、父である神は天から声を聞かせました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(17節)。イエスは天の父から認められました。天の父は、わたしたちの状況を、すなわちわたしたちの貧しさを共有することを受け入れるために、イエスを遣わされたからです。共有することこそが、まことの愛し方です。イエスはご自分をわたしたちと切り離さず、わたしたちを兄弟とみなし、わたしたちと共有します。このようにしてイエスは、ご自身とともに、わたしたちを天の父の子としてくださるのです。これがまことの愛の啓示であり、泉です。今は大いなるあわれみの時です。

 現代において、わたしたちはさらなる兄弟の分かち合いと愛を必要としているように思われないでしょうか。わたしたちは皆、さらなる愛のわざを必要としているように思われないでしょうか。それは、自分がかかわることも、自分を賭けることもない、その場かぎりの援助にとどまる愛のわざではありません。むしろ、分かち合い、兄弟の不自由さと苦しみを担う愛のわざです。神の愛に満たしていただくなら、生活はどれほどの香りを帯びるようになることでしょうか。

 聖なるおとめに願います。あなたの執り成しによって、キリストに従って信仰と愛の道を、洗礼によって示された道を歩もうと努めるわたしたちを支えてください。(お告げの祈り)

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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 皆様に、とくにイタリアと他の国々のさまざまな小教区から来られた家族と信者の皆様と、諸団体、諸グループの皆様に心からごあいさつ申し上げます。

 今日は、自分たちの子どもに洗礼を授けたご両親、また子どもの洗礼の準備をしておられるご両親に特別な思いを向けます。これらのご家族と喜びをともにし、このご家族とともに主に感謝します。そして、子どもの洗礼が、ご両親にとっても、信仰のすばらしさを再発見し、秘跡と共同体に新たなしかたで立ち帰るための助けとなるように祈ります。

 すでに発表したとおり、来たる2月22日の聖ペトロの使徒座の祝日に、枢機卿会議を開催できることをうれしく思います。この枢機卿会議において、16名の新枢機卿を叙任します。世界のあらゆる地域の12か国に属するこれらの新枢機卿は、ローマ教会と世界中に散らばる他の教会の深い教会的関係を表します。

 翌日(2月23日)、わたしは新枢機卿とともに荘厳な祭儀を司式します。また、2月20日と21日には家庭というテーマを考察するために全枢機卿とともに枢機卿会議を開催します。

 新枢機卿の名前は次のとおりです。

ピエトロ・パロリン(Pietro Parolin 1955年1月17日生まれ、58歳)、アクアペンデンテ名義大司教、教皇庁国務省長官。
ロレンツォ・バルディッセーリ(Lorenzo Baldisseri 1940年9月29日生まれ、73歳)、ディオクレツィアーナ名義大司教、教皇庁シノドス事務総長。
ゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー(Gerhard Ludwig Müller 1947年12月31日生まれ、66歳)、レーゲンスブルク名誉大司教、教皇庁教理省長官。
ベニアミーノ・ステラ(Beniamino Stella 1941年8月18日生まれ、72歳)、ミディラ名義大司教、教皇庁聖職者省長官。
ヴィンセント・ジェラルド・ニコルズ(Vincent Gerard Nichols 1945年11月8日生まれ、68歳)、英国、ウェスミンスター大司教。
レオポルド・ホセ・ブレネス・ソロルサノ(Leopoldo José Brenes Solórzano 1949年3月7日生まれ、64歳)、ニカラグア、マナグア大司教。
ジェラール・シプリアン・ラクロワ(Gérald Cyprien Lacroix 1957年7月27日生まれ、56歳)、カナダ、ケベック大司教。
ジャン=ピエール・クトゥワ(Jean-Pierre Kutwa 1945年12月22日生まれ、68歳)、コートジボワール、アビジャン大司教。
オラニ・ジョアン・テンペスタ(Orani João Tempesta, O.Cist. 1950年6月23日生まれ、63歳)、ブラジル、リオデジャネイロ大司教。
グアルティエロ・バッセッティ(Gualtiero Bassetti 1942年4月7日生まれ、71歳)、イタリア、ペルージャ=チッタ・デッラ・ピエーヴェ大司教。
マリオ・アウレリオ・ポーリ(Mario Aurelio Poli 1947年11月29日生まれ、66歳)、アルゼンチン、ブエノスアイレス大司教。
アンドリュー廉洙政(ヨム・スジョン 1943年12月5日生まれ、70歳)、韓国、ソウル大司教。
リカルド・エザティ・アンドレロ(Ricardo Ezzati Andrello, S.D.B. 1942年1月7日生まれ、72歳)、チリ、サンティアゴ・デ・チレ大司教。
フィリップ・ナケレントゥバ・ケドラオゴ(Philippe Nakellentuba Ouédraogo 1945年1月25日生まれ、68歳)、ブルキナファソ、ワガドゥグー大司教。
オランド・B・ケベド(Orlando B. Quevedo, O.M.I. 1939年3月11日生まれ、74歳)、フィリピン、コタバト大司教。
チブリィ・ラングロワ(Chibly Langlois 1958年11月29日生まれ、55歳)、ハイチ、レカイ司教。
 以上の人々のほかに、わたしは、聖座と教会への奉仕のゆえに際立った3名の名誉大司教を枢機卿団の構成員に加えます。

ローリス・フランチェスコ・カポヴィッラ(Loris Francesco Capovilla 1915年10月14日生まれ、98歳)、メセンブリア名義大司教。
フェルナンド・セバスティアン・アギラール(Fernando Sebastián Aguilar 1929年12月14日生まれ、84歳)、パンプローナ名誉大司教。
カルヴァン・エドワード・フェリクス(Kelvin Edward Felix 1933年2月15日生まれ、80歳)、セントルシア、カストリーズ名誉大司教。
 新枢機卿のために祈ります。彼らがよい牧者である主イエスの徳と思いを身にまとって、ローマ司教の普遍教会への奉仕を力強く助けることができますように。

 皆様がよい主日とよい昼食をとられますように。またお会いしましょう。

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