教皇フランシスコの2014年2月23日の「お告げの祈り」のことば 新枢機卿の親任

教皇フランシスコは、年間第七主日の2月23日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。 […]

教皇フランシスコは、年間第七主日の2月23日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

この日、教皇は、午前10時からサンピエトロ大聖堂で、前日の22日に親任された新枢機卿と、20日から21日まで開催された枢機卿会議に参加した枢機卿とともにミサを共同司式しました。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様、こんにちは。

 今日の主日の第二朗読の中で聖パウロはいいます。「だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファ――すなわちペトロ――も、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」(一コリント3・22-24)。なぜ使徒はこのようなことを述べたのでしょうか。使徒はコリントの共同体の分裂という問題に直面したからです。コリントの共同体では、それぞれの指導者を自称する説教者によるグループが形成されていました。「『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』……」(同1・12)。聖パウロは、このような考え方は誤りだと説明します。共同体は使徒たちのものではなく、彼ら――使徒たち――が共同体のものだからです。しかし、共同体全体はキリストのものです。

 このように共同体がキリストのものだということから、次のことが由来します。キリスト教共同体――教区、小教区、キリスト信者の会、運動団体――において、違いは、わたしたちが皆、洗礼により同じ尊厳をもっていることと矛盾しません。わたしたちは皆、イエス・キリストにおいて神の子です。これがわたしたちの尊厳です。わたしたちはイエス・キリストにおいて神の子なのです。指導し、説教し、秘跡を授ける役務を与えられた人々は、自分を特別な権能をもった主人とみなしてはなりません。むしろ彼らは共同体に奉仕し、共同体が喜びをもって聖性への道を歩むための助けとなるのです。

 今日、教会は、このような司牧的生活様式のあかしを新しい枢機卿たちにゆだねます。わたしは今朝、彼らとともにミサをささげました。新枢機卿の皆様全員に拍手をもってごあいさつしたいと思います。ご一緒にあいさつ致しましょう。昨日の叙任式と今日の感謝の祭儀は、教会のカトリック性、普遍性を体験する貴重な機会をわたしたちに与えてくれました。この教会の普遍性は、ペトロの後継者を囲む密接な交わりのうちに集まった枢機卿団の構成員のさまざまな出身地によってよく表されます。主が、教会の一致のために働き、この一致を築く恵みを与えてくださいますように。一致は争いよりも大切だからです。教会の一致はキリストに由来し、争いはつねにキリストに由来しない問題です。

 この二日間に体験することのできた典礼と祝いの時は、わたしたち皆のうちで、キリストとその教会への信仰と愛を強めてくれました。さらに皆様にお願いします。これらの牧者を支え、祈りをもって助けてください。それは、彼らがつねにゆだねられた民を熱心に導き、すべての人に主の優しさと愛を示すことができるためです。司教も、枢機卿も、教皇も、神の民が前進するのを助けるために、このような祈りをとても必要としています。「助ける」とは、神の民に奉仕することです。司教、枢機卿、教皇の召命とは、奉仕者となること、キリストのみ名に奉仕することだからです。わたしたちがよい奉仕者に――すなわち、よい主人ではなく、よい奉仕者に――なれるよう、わたしたちのためにお祈りください。司教も、司祭も、奉献生活者も、信徒も含めて、わたしたちは皆、兄弟に仕え、現代人の期待と霊的な必要に預言的な勇気をもって進んでこたえたいという望みに促されながら、キリストに忠実な教会をあかししなければなりません。聖母がこのように歩むわたしたちに同伴し、わたしたちを守ってくださいますように。

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