教皇フランシスコの2014年3月16日の「お告げの祈り」のことば  主の変容

教皇フランシスコは、四旬節第二主日の3月16日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語) […]

教皇フランシスコは、四旬節第二主日の3月16日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後のあいさつの中で、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「祈りの中で、マレーシア航空の乗客と搭乗員とそのご家族を心に留めてくださるよう皆様にお願いします。わたしもこの困難な時を過ごす彼らに寄り添います」。
3月8日未明、マレーシア航空370便がマレーシアの首都クアラルンプールから北京に向かう途中で消息を絶ち、各国の捜索活動にもかかわらず消息は依然不明です。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 今日の福音は主の変容の出来事をわたしたちに示します。主の変容は四旬節の歩みの第二段階です。第一段階は、先週の主日の、荒れ野の誘惑です。第二は主の変容です。イエスは「ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」(マタイ17・1)。聖書の中で、山は、神に近づき、神と出会う場所を表します。山は祈りの場です。人はそこで主のみ前に立ちます。イエスは山に登り、三人の弟子に、ご自分が変容した、美しく光輝く姿を示します。その後、モーセとエリヤが現れて、イエスと語り合います。イエスの顔が輝き、服が白くなったので、ペトロは恐れに襲われ、あたかもその時を止めて、そこにとどまりたいと望みました。すぐにイエスがご自分の愛する子であると宣言する御父の声が天上から聞こえました、その声は「これに聞け」(5節)といいます。このことばは重要です。この使徒たちに語りかけたわたしたちの父は、わたしたちにも語りかけます。「イエスに聞きなさい。イエスはわたしの愛する子だからです」。今週、このことばを頭と心に留めましょう。「イエスに聞きなさい」。これは教皇がいっているのではなく、父である神がすべての人にいうのです。わたしも、皆さんも含めた、すべての人にいうのです。これは四旬節の道を前進するための、一種の助けとなります。「イエスに聞きなさい」。忘れないでください。

 御父のこの招きはたいへん重要です。わたしたちイエスの弟子は、イエスの声を聞き、イエスのことばを真剣に受け取る者となるよう招かれています。イエスに聞くためには、イエスに近づき、イエスに従う必要があります。パレスチナの道でイエスを追いかけた、福音書の中の群衆がしたのと同じように。イエスは、教壇も、固定した説教壇ももっていませんでした。むしろイエスは、旅する教師として、自分の教えを――彼の教えは御父から与えられた教えでした――路上で示しました。つねには予測できず、時として容易でない道のりを歩きながら。しかし、書かれたことば、すなわち福音のうちにもイエスに聞こうではありませんか。皆さんに一つの質問をします。毎日、福音の箇所を読んでいますか。読んでいる人、いない人、半分ずつくらいでしょうか。ある人は読んでおり、ある人は読んでいません。しかし、これは重要なことです。福音を読んでいますか。福音を読むのはよいことです。小型の福音書をもち、それをポケットや鞄に入れて持ち歩き、一日のうちのどんなときでも読めるようにするのはよいことです。わたしも一日のどんなときでもポケットに福音書を入れて持ち歩き、どこかの小さな箇所を読みます。イエスはそこにいて、福音書の中でわたしたちに語りかけます。このことを考えてください。それはむずかしいことではありません。四つの福音書でなければならないわけでもありません。小型の福音書の一つを携えればよいのです。いつも福音書を持ち歩くべきです。それは、わたしたちが聞くべき、イエスのことばだからです。

 この主の変容の出来事から、二つの重要な要素を引き出したいと思います。わたしはそれを二つのことばで要約します。「登る」と「下りる」です。わたしたちは人々から離れ、山に、すなわち沈黙の場所に登らなければなりません。それは、自分自身を見いだし、主の声をよく聞き取るためです。わたしたちはこれを祈りの中で行います。しかし、ここにとどまってはなりません。祈りの中での神との出会いは、新たに「山を下り」、低いところに、平地に戻るようわたしたちを促します。わたしたちはこの平地で、労苦、病気、不正、無知、物質的・精神的な貧困にあえぐ多くの兄弟と出会います。わたしたちは、困難のうちにあるこれらの兄弟に、神とともに体験したことの実りを伝え、受けた恵みを分かち合うよう招かれています。これは不思議なことです。わたしたちがイエスのことばを耳にし、これを聞いて、心に保つと、このことばは成長します。イエスのことばが成長するのがどのようにして分かるでしょうか。他の人に与えることによってです。キリストのことばは、わたしたちがそれを告げ知らせ、他の人に与えるときに、わたしたちのうちで成長するのです。これがキリスト教的生活です。イエスに聞き、イエスを他の人に伝えること――それは全教会の、洗礼を受けたすべての人の、わたしたち皆の使命です。忘れないでください。今週、イエスに聞いてください。そして福音書に書かれたこのことを考えてください。そうしてくださいますか。やってくれますか。来週の主日に、このことをしたかどうか、わたしに話してください。つまり、小型の福音書をポケットか鞄に入れ、毎日、小さな箇所を読むということです。

 今、聖母に向かい、その導きに身をゆだねたいと思います。わたしたちが信仰と惜しみない心をもって四旬節の旅を歩み、祈りをもって「登り」、イエスに聞き、兄弟愛をもって「下り」、イエスを告げ知らせることを少しずつ学ぶことができますように。

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