教皇フランシスコの2014年5月11日の「アレルヤの祈り」のことば よい牧者

教皇フランシスコは、復活節第四主日の5月11日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語 […]

教皇フランシスコは、復活節第四主日の5月11日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

この日教皇は午前9時30分からサンピエトロ大聖堂で司祭叙階式を司式し、ローマ教区などの13名の助祭を司祭に叙階しました。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 復活節第四主日にあたり、福音書記者ヨハネはよい羊飼いであるイエスの姿をわたしたちに示します。この福音書の箇所を観想することにより、わたしたちは、イエスが弟子たちとどのような関係をもっておられたかを理解できます。それは、柔和、愛、相互の認識、はかりしれないたまものを与える約束に基づく関係です。イエスはいいます。「わたしが来たのは、羊がいのちを受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10・10)。この関係は、キリスト信者どうしの関係と人間関係の模範です。

 イエスの時代と同じように、現代においても、多くの人がわたしたちの生活の「牧者」だと自称します。しかし、復活した主のみが、わたしたちに豊かにいのちを与えるまことの牧者です。皆様にお願いします。わたしたちを導いてくださる主に信頼してください。しかし、主はわたしたちを導いてくださるだけでなく、わたしたちに同伴してくださいます。わたしたちとともに歩んでくださいます。開かれた思いと心をもって主のことばに耳を傾けましょう。それは、自分の信仰を深め、良心を照らし、福音の教えに従うためです。

 今日の主日にあたり、教会の牧者のために、すなわち、ローマ司教を含めたすべての司教と、すべての司祭のために祈りましょう。とくに、わたしがすこし前にサンピエトロ大聖堂で叙階したローマ教区の新司祭のために祈りましょう。13名の司祭の皆さん、おめでとうございます。主の助けにより、わたしたち牧者が、つねに師であるかたへの忠実を保ち、賢明で神の照らしを受けた、ゆだねられた神の民の指導者であり続けることができますように。皆様にも、どうかわたしたちを助けてくださるようお願いします。よい牧者でいることができるよう、わたしたちを助けてください。神の民が、よい牧者でいられるように司教と司祭を助けた、美しい話を読んだことがあります。それは、古代教会の教父であるアルルの聖カエサリウス(Caesarius Arelatensis 468/470-542年)が書いた記事です。聖カエサリウスは、神の民が牧者を助けなければならないことを説明するために、次の例を挙げます。おなかをすかせた子牛は、お乳をもらうために、雌牛すなわち母牛のもとに行きます。しかし、雌牛はすぐには乳を与えません。雌牛はあたかも乳を自分のために取っておこうとするかのように思われます。そのとき子牛はどうするでしょうか。乳をもらうために鼻で乳房をつつくのです。これは美しいたとえです。聖カエサリウスはいいます。「あなたがたも牧者に対してこのようにしなければなりません。教えと恵みと導きの乳を与えてくれるように、牧者の門を、その心をつねにたたきなさい」。皆さんにもお願いします。牧者に、わたしたち牧者皆に、しつこく願ってください。わずらわせてください。それは、わたしたちが恵みと教えと導きの乳を皆さんに与えることができるためです。しつこく願ってください。子牛が食べ物をもらうために母親にしつこく願うという、このすばらしいたとえのことを考えてください。

 すべての牧者は、イエスに倣って「時には民の前を歩んで、道を示し、民の希望を支えなければなりません」。牧者は時には民の前を歩まなければなりません。「また時には、単にあわれみをもって寄り添いながら、すべての人のただ中にいなければなりません。他の場合には、民の後ろを歩み、遅れている人を助けなければなりません」(使徒的勧告『福音の喜び』31)。牧者が皆、このような者でありますように。しかし、皆さんは、教えと恵みの導きが与えられるように、牧者にしつこく願ってください。

 今日の主日は「世界召命祈願の日」です。今年の「『世界召命祈願の日』メッセージ」の中で、わたしは次のことを思い起こさせました。「すべての召命は、自分の人生をキリストと福音を中心としたものにするために自分自身から脱することをつねに必要とします」(同2)。だから、イエスに従うことへ呼びかけは、わたしたちをわくわくさせるものであると同時に、努力を要求するのです。召命にこたえるには、つねに主との深い友愛を築くことが必要です。主によって、主のために生きるためです。

 現代においても多くの若者が主のみ声を聞くことができるように、祈りましょう。主のみ声は他の多くの声によってかき消される恐れがつねにあるからです。若者のために祈りましょう。もしかすると、このサンピエトロ広場にも、司祭職へと招く主のみ声を聞いている人がいるかもしれません。そのような人がいるなら、彼のために祈りましょう。そして、召命を受けたすべての若者のために祈りましょう。

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