教皇フランシスコ、2014年5月14日の一般謁見演説:勇気のたまもの

5月14日(水)午前10時15分から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコの一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、4月9日から開始した「聖霊のたまもの」に関する連続講話の第4回として、「勇気」について解説しました。以下はその全訳です。
謁見の終わりに、教皇はいくつかの呼びかけを行いました。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。

 これまでの講話の中で、上智、聡明、賢慮という、三つの聖霊のたまものについて考察しました。今日は主が何をなさるかについて考えます。主はつねに、弱いわたしたちを支えるために来られます。そしてこのことを主は、勇気のたまものという特別なたまものによって行うのです。

 1 このたまものの大切さを理解するために助けとなる、イエスの語った一つのたとえ話があります。種を蒔く人が種蒔きに出て行きます。しかし、蒔いた種が皆、実を結ぶわけではありません。道端に落ちた種は、鳥に食べられてしまいます。石だらけの土地や、茨の中に落ちた種は、芽を出しても日に焼かれるか、茨に覆いふさがれてしまいます。よい土地に落ちた種だけが、育って実を結ぶことができます(マルコ4・3-9、マタイ13・3-9、ルカ8・4-8参照)。イエスご自身が弟子たちに説明されたとおり、種を蒔く人は、ご自身のみことばの種を豊かに蒔く御父を表します。しかし、種はしばしばわたしたちの冷ややかな心で迎えられ、受け入れられても実らない恐れがあります。これに対して、聖霊は勇気のたまものにより、わたしたちの心の土地を解放します。すなわち、怠惰や不信や、心を押さえつけるあらゆる恐れから解放します。こうして主のことばが正しく喜ばしいしかたで働くようになります。勇気のたまものは真の助けです。それはわたしたちに力を与え、多くの妨げから解放してくれるからです。

 2 勇気のたまものが特別な、模範的な形で示される、困難なときや、ぎりぎりの状況もあります。自分や愛する人の人生が引っくり返されるような、特別に辛く悲しい経験に直面する場合がそれです。教会は、主とその福音に忠実にとどまるために自分のいのちを与えることもいとわない、多くの兄弟姉妹のあかしによって輝きます。現代においても、世界の多くの地域で、深い確信と落ち着いた心をもって信仰を祝い、あかしし、たとえ高い代償を払うことになると分かっていても抵抗する、多くのキリスト信者がいます。わたしたちも皆、困難な状況や多くの苦しみのうちにある人々を知っています。ところで、困難な生活を送り、家族を養い、教育するために苦心する人々のことを考えてみましょう。彼らにそれができるのは、彼らを助ける勇気の霊がいるおかげです。わたしたちがその名を知らない、どれほど多くの人が、わたしたちの民に、わたしたちの教会に栄誉を与えていることでしょうか。それは、彼らが勇気をもっているからです。彼らは勇気をもって、自分の人生、家庭、仕事、信仰を生きています。これらのわたしたちの兄弟姉妹は聖人です。日常生活における聖人、わたしたちのただ中に隠れている聖人です。彼らは、人間、父母、兄弟、市民としての義務を果たすために、まさしく勇気のたまものをもっています。そのような多くの人がいます。このような隠れた聖性をもつキリスト信者のゆえに、主に感謝しましょう。そして、これらの人々を内面から助けるのは、聖霊です。このような人々のことを思うことは、ためになります。彼らがこのように行うなら、また彼らにそれができるなら、どうしてわたしにできないことがあるでしょうか。勇気のたまものを与えてくださるよう主に願い求めることも、ためになります。

 3 勇気のたまものは、特定の機会や特別な状況のためだけに必要だと考える必要はありません。このたまものは、日常生活の普通のことがらのうちで、わたしたちがキリスト信者であることを示す根本的なしるしです。すでに述べたとおり、わたしたちは毎日の日常生活の中で、人生、家庭、信仰を生きるために、勇気をもたなければならず、また勇気のたまものを必要とします。使徒パウロは、わたしたちが聞いてためになることばを述べています。「わたしを強めてくださるかたのおかげで、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ4・13)。日常生活の中で、困難に出会うとき、このことばを思い起こしてください。「わたしを強めてくださるかたのおかげで、わたしにはすべてが可能です」。主はつねにたしたちを強めてくださいます。主の助けがなくなることはありません。主はわたしたちを耐えられないような試練に遭わせることはなさいません。主はつねにわたしたちとともにおられます。「わたしを強めてくださるかたのおかげで、わたしにはすべてが可能です」。

 親愛なる友人の皆さん。わたしたちは時として、とくに労苦や人生の試練に直面したとき、怠惰や失意に負ける誘惑に駆られます。そのようなときに、失望することなく、聖霊に祈り求めてください。勇気のたまものによってわたしたちの心を上げ、生きるため、またイエスに従うために新たな力と熱意を注ぐことができますようにと。


謁見の終わりに、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。

「親愛なる兄弟の皆さん、昨日トルコのソマ炭鉱で亡くなった炭鉱労働者と、今なお坑内に閉じ込められている人々のために祈ってくださるようお願いします。主が亡くなった人々をご自分の家に迎え入れ、そのご家族に慰めを与えてくださいますように。

最近地中海でいのちを落としたかたがたのためにも祈りましょう。人権を第一に優先しなければなりません――このことのために祈りましょう。人権が第一に優先されますように――。そして、このような恥ずべき大量殺戮が起こらないように、力を合わせましょう」。

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