教皇フランシスコ、2014年8月10日「お告げの祈り」でのことば 湖の上を歩く

8月10日正午、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。 「お告げの祈り」の後、教皇は次のように呼 […]

8月10日正午、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。

「お告げの祈り」の後、教皇は次のように呼びかけ、イラクの人々のために黙祷をささげました。
「信じられないような悲惨なニュースがイラクから寄せられています。多くのキリスト者をはじめとする何万人もの人々が乱暴に家を追われています。逃げまどう中、子どもたちは飢餓と渇きのために命を落とし、女性たちは誘拐され、人々が虐殺されています。あらゆる種類の暴力が行われ、いたるところで破壊が起きています。住宅も、宗教も、歴史的文化的財産も破壊されています。これらは、神と人類に対する重大なぼうとくです。神の名のもとに憎しみを抱いてはなりません。神の名のもとに争ってはなりません。こうした事態、これらの人々に思いを寄せつつ、共に黙祷をささげましょう。
(黙祷)
わたしはこれらの兄弟姉妹を勇気をもって助けている人々に感謝します。そして、国際レベル、地域レベルで効果的な政治解決が図られ、この犯罪行為が終わり、法に基づく秩序が回復するよう望みます。これらの人々に寄り添うことのあかしとして、わたしは教皇庁福音宣教省長官フェルナンド・フィローニ枢機卿を、イラクにおけるわたしの個人特使に任命しました。彼は明日、ローマを出発します。」
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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 今日の福音朗読には、湖の上を歩くイエスの話が記されています(マタイ14・22-33)。イエスはパンと魚を増やす奇跡を行った後、弟子たちを舟に乗せて向こう岸に先に行かせ、その間に群衆を解散させました。それから祈るために一人で山に登り、夜遅くまでそこにおられました。その間、湖にはひどい嵐が起こります。そしてイエスは湖の上を歩きながら弟子たちの舟に近づきました。ここがこの話の中心部です。弟子たちはイエスを見て、幽霊ではないかと思っておびえます。しかしイエスは、こう言って彼らを安心させました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(27)。ペトロは、彼らしい情熱をもって試しているかのように尋ねます。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。そして、イエスは「来なさい」と答えます(28-29)。ペトロは舟から降りて水の上を歩き始めます。しかし、強い風が吹いてきて、ペトロは沈みそうになり、「主よ、助けてください」と叫びます。イエスはすぐに手を伸ばしてペトロを捕まえます。

 この話は使徒ペトロの信仰を素晴らしい形で象徴しています。「来なさい」というイエスの声の中に、ペトロは同じ湖の岸辺でイエスに最初に出会った時の声が反響しているのを感じとります。彼は即座に舟を降りて、再び主のもとに向かいます。そして水の上を歩いたのです。主の呼びかけに忠実に、即座に応えることは、つねに途方もないことを引き起こします。信仰があれば、イエスを信じれば、イエスのことばを信じれば、イエスの声を信じれば、わたしたちも奇跡を行うことができるとイエスご自身が言っておられます。しかし、イエスから目をそらしたとたん、ペトロは沈み始め、自分の周りの逆境に押し流されそうになります。しかし、イエスはいつもそこにおられます。そしてペトロがイエスに呼びかけたとき、イエスは彼を危険から救います。ペトロの人柄、衝動、弱さ、信仰のうちに、わたしたちの信仰が表現されています。わたしたちの信仰は、つねに弱く、貧しく、落ち着きがありませんが、勝利を得ます。キリスト者の信仰は復活した主に出会うために、嵐やこの世の危険の中を歩みます。最後の場面は非常に重要です。「そして、二人が舟に乗りこむと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ」(32-33)。この舟にはすべての弟子たちが乗り込んでいます。彼らは弱さ、疑い、恐れ、「信仰の欠乏」を共に体験しています。しかし、イエスが舟に戻ると、天候がすぐに変わり、皆がイエスへの信仰のうちに一つになっていると感じます。主の前にひざまずき、主が神の子であることに気づくとき、小さく、おびえていた人も偉大な人となります。わたしたちも、同じことを何回、体験したことでしょう。イエスがいなければ、イエスから遠ざかってしまったら、わたしたちは恐れを抱き、もうできないと感じるくらい自分が無能だと感じます。信仰が欠乏しています。それでも、イエスはいつもわたしたちと共におられます。もしかしたら隠れているかもしれませんが、イエスはそこにおられ、いつでもわたしたちを助けてくださいます。

 教会の力強い姿は次のようです。舟は嵐に立ち向かい、時には転覆しそうになります。それを救うのは、人間の才能や勇気ではなく、信仰です。信仰があれば、暗闇の中でも、困難の中でも、歩んでいくことができます。信仰はイエスがおられることから得る安心感を与えてくれます。イエスはいつもわたしたちのそばにいて、手を伸ばしてわたしたちを捕まえて、危険から救ってくださいます。わたしたちは皆、この舟に乗っています。そして、限界や弱さを持ちながらも、その中で安心感を抱いています。わたしたちの人生における唯一の主であるイエスにひざまずき、イエスをあがめるとき、わたしたちはとりわけ安心していられるのです。わたしたちは母なるおとめマリアを信頼し、いつもこのことを願い求めています。

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