教皇フランシスコ、2014年11月9日「お告げの祈り」でのことば 神の愛の生きた神殿

11月9日、教皇フランシスコは、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。 「お告げの祈り」の後、教皇は「ベルリンの壁 […]

11月9日、教皇フランシスコは、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。

「お告げの祈り」の後、教皇は「ベルリンの壁」崩壊から25年が経過したことを記念して次のように呼びかけました。
「25年前、1989年11月9日に『ベルリンの壁』が崩壊しました。この壁は、長い間、一つの都市を二つに分かち、ヨーロッパと全世界のイデオロギー上の分断の象徴となってきました。崩壊は突然、起こりました。しかしそれは、長い間、戦い、祈り、苦しみ、時にはいのちまで捧げてきた多くの人々のたゆみない努力によって実現したのです。
 その中で聖ヨハネ・パウロ二世教皇は指導的役割を果たしました。祈りましょう。主の助けと善意の人の協力によって、出会いの文化が拡大し、今も世界を分断しているすべての障壁を崩すことができますように。そして、もう二度と無実の人が、信念や信仰のために迫害されたり、殺されたりしませんように。壁があるところでは、心は閉ざされたままです。わたしたちに必要なのは壁ではなく、架け橋です。」

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 今日の典礼は、ローマの大聖堂、ラテラン教会の献堂を記念しています。ラテラン教会は古くから「ローマと世界のすべての教会堂の母」と呼ばれてきました。「母」ということばは、大聖堂という聖なる建物のことを指しているだけではありません。この建物に表れる聖霊の働きが、ローマの司教が司式するこの聖堂と一致しているすべての共同体に、その司教職を通して実りをもたらすことをも表わしています。

 わたしたちは、教会の献堂を祝うたびに、一つの本質的な真理を思い起こします。すなわち、レンガで築かれた建物としての聖堂は、歴史の中で働く生きた教会のしるしであり、「霊的な神殿」であるという真理です。キリストは、「人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石」(一ペトロ2・4-8)であると、聖ペトロが言っているとおりです。今日の福音朗読の中で、イエスは神殿のことを語り、衝撃的な事実を明らかにしました。すなわち、神の神殿は、レンガで築かれた建物であるだけでなく、生きた石によって形作られたキリストのからだです。洗礼によって、あらゆるキリスト者は「神の建物」(一コリント3・9)、神の教会の一部になります。この霊的な建物、すなわちキリストの血と復活した主の霊によって、聖なる者とされた人々の教会共同体は、わたしたち一人ひとりが信仰のたまものに従い、キリスト者としてあかしする道を歩むよう求めます。ご存じのように、それらを一貫して行うことは容易ではありません。しかし、わたしたちは歩みを進めながら、日々一貫して信仰を生き、あかしし続けなければなりません。それがキリスト者です。ことばだけでなく、行いと生き方によるキリスト者です。わたしたちにいのちをもたらすこの一貫性は、聖霊の恵みです。わたしたちはその恵みを願い求めなければなりません。教会は、その起源においても世の使命においても、神の御子であり人類の救い主であるイエス・キリストへの信仰と、愛を通して行われる信仰を告白するために造られた一つの共同体以外の何ものでもありません。これらの信仰は、共に歩みを進めます。教会は世界の中で今日においても、洗礼によってキリストに根付き、謙虚に勇気をもってキリストへの信仰を告白し、愛のうちにあかしする共同体になるよう求められています。組織内の諸要素、司牧団体は、愛のうちに信仰をあかしするという根本的な目的のために整えられたものです。愛は信仰の表れであり、信仰は愛の動機であり礎です。

 この祝日は、すべての教会、このキリスト教共同体の交わりについて考えるようにわたしたちを招きます。そして、人類が敵対心と無関心さという障壁を克服し、理解と対話の架け橋を築き、全世界が友愛と連帯の内に互いにゆるし合う一つの家族となることを、比喩的に促しています。福音はすべての人に希望と和解を伝えます。教会が福音を生き、あかしによって福音を広めるとき、教会そのものがこの新しい人類のしるしと先取りになるのです。

 至聖なるマリアの取り次ぎを祈り求めましょう。マリアのように「神の家」、神の愛の生きた神殿となれるよう、わたしたちを助けくださいますように。

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