教皇フランシスコ、2015年2月22日「お告げの祈り」でのことば 荒れ野の誘惑

2月22日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下はその祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。 「お告げの祈り」の後、教皇は四旬節にあた […]

2月22日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下はその祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。

「お告げの祈り」の後、教皇は四旬節にあたり次のように述べました。

「四旬節は、心の中心で回心に向けて歩む季節です。わたしたちは主に向かって回心しなければなりません。したがって、四旬節第一主日の今日、わたしはこの広場にいる皆さんに、『心を守るために』という小冊子を配りたいと思います。これがその本です。この本にはイエスの教えと、わたしたちの信仰にとって重要なことが記されています。たとえば、聖霊のたまもの、十戒、さまざまな徳、いつくしみのわざなどです。
 多くのホームレスの方々をはじめとする巡礼者の皆さんが、ボランティアとしてこの冊子を配ります。いつの時代にも、今日も、困窮している人々が豊かな富を与えてくれます。皆さんの心を守るための教えをいう富です。この冊子を、回心と心の成長を助けるものとして持ち歩くよう皆さん一人ひとりにお願いします。わたしたちは日々、善か悪か、世俗社会か福音か、無関心か分かち合いか、どちらを取るべきか心の中で選択しています。人間には正義と平和と愛が必要です。それらは、あらゆるものの源である神に完全に心を向けることによってのみ実現します。この冊子を手に取って、読んでください。」

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 先週の水曜日に灰の水曜日の典礼が行われ、四旬節が始まりました。今日は四旬節第一主日です。四旬節は、イエスがヨルダン川で洗礼を受けた後、荒れ野で40日間、過ごしたことに由来する典礼の季節です。今日の福音の中で聖マルコは次のように語っています。「それから、霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」(1・12―13)。福音記者マルコは、イエスが救い主としての使命を果たす前に自ら進んで試練を受けたことを、この短い記述によって描いています。主はそれらの試練に打ち勝ち、神の国の福音を告げ知らせる備えをしました。この孤独な40日の間に、イエスはサタンと向き合い、その誘惑を退け、悪魔に打ち勝ちました。わたしたちも皆、イエスを通して勝利しますが、その勝利を守るために日々、努力しなければなりません。

 教会は、闘いの季節である四旬節の全体像と意義を示すために、四旬節の始めにこの神秘をわたしたちに伝えます。四旬節は闘いの季節です。それは悪に対する霊的な闘いです(灰の水曜日、集会祈願参照)。わたしたちは四旬節の「荒れ野」を横切り、復活祭を見つめています。復活祭は、サタンと罪、死に対するイエスの完全な勝利です。四旬節第一主日は、次のことの意味を明らかにします。それは、いのちに至るイエスの道を歩むこと。イエスを見つめ、イエスのわざに目を向け、イエスとともに歩むことです。

 イエスの道は、荒れ野を通ります。荒れ野は、神の声も、誘惑者の声も聞こえる場所です。騒音や混乱のある所では、そうはいきません。うわべの声しか聞こえません。しかし、荒れ野では、心の奥底に分け入り、生死にかかわる運命に真に向き合うことができます。それでは、どのように神の声を聞くのでしょうか。神の声はみことばの内に聞くことができます。だからこそ、聖書を知ることが重要なのです。そうでなければ、サタンの誘惑を退ける方法が分かりません。ここでわたしはもう一度、福音書を毎日読むよう、お勧めしたいと思います。福音書を毎日、読んでください。そして、その箇所についてすこしの間、10分ほど考えてください。また、福音書をポケットやバッグに入れて持ち歩いてください。いつも福音書を手元に置いてください。四旬節の荒れ野は、この世の誘惑や「偶像」を退ける助けとなります。そして、勇気をもって福音に沿った選択をするのを助け、兄弟姉妹との連帯を強化するよう促すのです。

 さあ、恐れずに荒れ野に向かいましょう。わたしたちは独りではありません。イエス、御父、そして聖霊がともにいてくださいます。イエスのときのように、聖霊が四旬節の旅路を導いてくださいます。その霊は、イエスの上に注がれた霊であり、洗礼のときにわたしたちに注がれた霊でもあります。

 したがって、四旬節は、洗礼によって受けた聖霊がどれほどわたしたちの中で働いてきたか、また働くことができるかをさらに深く認識するのにふさわしい時です。そして四旬節の終わりに行われる復活徹夜祭に、わたしたちは洗礼の約束と、それによってなされた行いを再び思い起こし、新たにします。

 祝福されたおとめであり、霊に従順であることの模範であるマリアの助けによって、わたしたち一人ひとりを「新たに」しようと望んでおられる主の導きに、わたしたちが自分自身をゆだねることができますように。

 わたしは今日の午後から始まる一週間の霊操を、とりわけマリアにゆだねます。その霊操には、教皇庁におけるわたしの協力者たちも参加します。わたしたちがこの霊操の「荒れ野」でイエスの声を聞き、自分の多くの過ちを正し、日々の誘惑に立ち向かえるように、わたしたちのために祈ってください。祈りを通して、わたしたちに寄り添ってください。

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