教皇フランシスコ、2015年5月6日の一般謁見演説:家庭—13.結婚②

5月6日朝、教皇フランシスコは、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、一般謁見を行いました。この謁見の中で教皇は、家庭に関する連続講話の16回目として、キリスト者の結婚について語りました。以下はその全訳です。
謁見の終わりに、教皇は第二次世界大戦終戦70周年にあたり、それに言及しました。

家庭—13.結婚②

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。

 わたしたちは家庭に関する講話を進めていますが、今日はキリスト者の結婚の美に直接、触れたいと思います。それは、花やドレス、写真にあふれる教会内のセレモニーのことだけを指しているのではありません。キリスト者の結婚は、教会で行われる秘跡であると同時に、新しい家庭共同体を誕生させることを通して教会を築くものです。

 使徒パウロがその有名なことばによって表現している通りです。「この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです」(エフェソ5・32)。夫婦間の愛は、キリストと教会の間の愛の写しであると、パウロは聖霊に促されて語ります。これは、想像もできないほど崇高なことです。しかし、それは神の創造の計画に実際に刻まれています。そしてキリストの恵みを受けて、数え切れないほど多くのキリスト者が、限界や罪を抱えながらも、このことを実現しているのです。

 聖パウロは、キリストにおける新しいいのちについて語る中で、キリスト者は、キリストが愛してくださるように、互いに愛し合わなければならないと言います。それは「互いに仕え合う」(エフェソ5・21)ことであり、互いに奉仕し合うことを意味します。パウロはここで、夫婦関係とキリストと教会の関係が類似していると記しています。もちろん、完全に同じなわけではありません。しかし、わたしたちは、このことを、崇高で革新的なもの、さらには神の恵みに自らをゆだねたすべての人が受けることのできる純粋なものとして霊的に受け止めなければなりません。

 パウロが言うように、夫は「自分のからだのように」(28節)妻を愛さなければなりません。キリストが「教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように」(25節)、妻を愛さなければならないのです。ここにおられる夫の皆さんは、このことが分かっていますか。キリストが教会を愛するように、皆さんの妻を愛していますか。これは冗談ではなく、真剣な話です。キリストの模範に従って、女性への愛とその尊厳のために男性が心から尽くすことは、キリスト教共同体そのものに図り知れない影響を与えます。

 この新しい福音の種は、互いに仕え、尊重し合うという、男女の原初の本来の姿をよみがえらせます。その種は歴史を通してゆっくりと育ち、最後にはすべてに打ち勝ちます。

 結婚の秘跡は、信仰と愛の偉大なわざです。つまり、神の創造のわざが持つ美を信じる勇気と、その愛を生きる勇気をあかしすることです。その愛は、自分自身を超え、自らの家庭すらも超えて歩み続けるよう、わたしたちを促し続けます。キリストの恵みによって結婚を成立させる自由な同意の根源には、無条件で限りなく愛するというキリスト者の召命があるのです。

 教会は、キリスト者一人ひとりの結婚の物語に深くかかわります。教会はキリスト者の成功の上に築かれ、キリスト者の失敗を苦しみます。しかし、わたしたちは真剣に自問しなければなりません。わたしたちは信者として、あるいは司牧者として、キリストと教会の歴史と、結婚と人類家族の歴史の間に存在する解消できないきずなを心の底から受け入れているでしょうか。あらゆる結婚は、キリストが教会に対して抱いておられる愛と同じ道をたどりますが、わたしたちはその責任を本気で担う心構えができているでしょうか。これは重大なことです。

 この創造の神秘の深みにおいて、第二の壮大な地平が開かれます。その地平は、その純粋さにおいて認められ、よみがえります。「主において結婚する」と決断することには、宣教的な側面もあります。それは、神の祝福と、すべての人に対する主の恵みを伝える使者になりたいという望みを心に抱くことを意味します。実際、キリスト者の夫婦は、教会の使命に夫婦として参加します。それには勇気が必要です。だからこそ、わたしは新婚の夫婦に会うと、「勇敢なかたがた」と声を掛けるのです。キリストが教会を愛するように、互いに愛し合うには勇気が必要だからです。

 結婚の秘跡は、愛という教会の偉大な使命を、家庭生活において共同責任として担うものでなければなりません。したがって、教会生活は、結婚の誓いが美しく交わされるたびに豊かになり、結婚が壊れるたびに衰えます。教会が信仰と希望、愛をすべての人に与えるためには、夫婦が自分たちの受けた秘跡の恵みに、勇気をもって忠実に従う必要があります。神の民は、結婚生活や家庭生活においてどんな喜びや苦しみを受けても、信仰と愛と希望のうちに日々、歩み続けなければなりません。

 それは、いつの時代にもはっきりと定められた道です。それは愛の道です。神が愛してくださるように、とこしえに愛するのです。キリストはつねに教会に心を配ってくださいます。キリストはご自分のからだのように教会を愛し、守ってくださいます。キリストは、しみやしわやそのたぐいのものを人間の顔から取り去ってくださいます。この神の力と優しさから放たれた力が夫婦から夫婦へと、また家庭から家庭へと伝わる様子を目にすることは、非常に感動的で素晴らしいことです。聖パウロが言うとおりです。それは、本当に「偉大な」神秘です。わたしたち人間の「土の器」にこの宝を入れて持ち運べるほど勇敢な男女は、勇気あふれる人です。彼らは、教会にとっても、世界にとっても欠かせない源です。このことにおいて、神が彼らを何度でも祝福してくださいますように。


謁見の終わりに、教皇は第二次世界大戦終戦70周年にあたり、次のように述べました。

「これから数日間、欧州では、第二次世界大戦終戦を記念する行事がさまざまな都市で行われます。この機会に、平和の元后であるマリアの取り次ぎによって、わたしの願いを主にゆだねます。社会の人々が過去の過ちから学ぶことができますように。世界のさまざまな紛争地域で分裂に直面しても、あらゆる指導者がすべての人の幸せを求め、平和の文化を促し続けることができますように。」

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