教皇フランシスコ、2015年5月24日「アレルヤの祈り」でのことば  聖霊がくだる

聖霊降臨の祭日である5月24日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「アレルヤの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。 教皇は祈りの後、次のよ […]

聖霊降臨の祭日である5月24日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「アレルヤの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。

教皇は祈りの後、次のように述べました。
「わたしは、ベンガル湾とアンダマン海に多くの難民が漂流していることに心を痛め、事態の進展を見守っています。大きな苦しみと危険にさらされている難民の方々を受け入れる意思を表明した国々に感謝します。そして、必要とされる人道支援を彼らに提供するよう国際社会に求めます。
 昨日、エルサルバドルとケニアで大司教と修道女が列福されました。サン・サルバドールのオスカル・ロメロ大司教は、ミサを捧げている最中に、その信仰ゆえに射殺されました。熱い心をもったこの司牧者は、イエスの模範にならい、いのちをかけて人々とともに、とりわけ貧しく抑圧された人々とともにいることを選びました。また、イタリア人のイレーネ・ステファニ修道女は、喜びといつくしみと優しさをもってケニアの人々のために尽くしました。これらの福者の素晴らしい模範は、献身的な心と勇気をもって福音をあかしする強い意志をわたしたちの中に呼び覚まします。」

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 聖霊降臨の祭日に、わたしたちは教会の始まりを再び体験します。使徒言行録に記されているように、過越祭の50日後、弟子たちが一同に集まっていると、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ……一同は聖霊に満たされ」(2・1-2)ました。聖霊に満たされたこの時から、弟子たちは完全に変わりました。恐れが勇気に変わり、閉ざされた心が告げ知らせる方向に向かい、愛に満ちた信仰が疑いを退けました。そして、聖霊の働きに導かれ、教会は「洗礼」を受け、歴史を旅し始めたのです。

 使徒とその他の弟子たちの心と生活を変えたこの出来事は、高間の外にすぐに影響をもたらしました。実際、50日間、ずっと閉ざされていた扉がとうとう開かれ、初期キリスト教共同体は、もはや閉じこもることなく、イエスが十字架につけられて復活したという神の偉大なわざ(11節)を、さまざまな背景をもつ群衆に語り始めました。そして、すべての人が、弟子たちが語っていることを自分の国のことばで聞いたのです。聖霊のたまものは、バベルで失われたことばの調和を復活させ、使徒たちの使命が普遍的であることを前もって示しました。教会は孤立したものではなく、普遍的なもの、すなわちカトリック教会として誕生しました。教会は明確かつ開かれたアイデンティティーを持っています。そして、誰一人、欠けることなく全世界を受け入れます。母なる教会は、どんな人にも扉を閉ざすことはありません。どんなに罪深い人にも、扉を開きます。それは、聖霊の恵みの力のおかげです。母なる教会は、母であるがゆえに、すべての人にその扉を開くのです。

 聖霊降臨において弟子たちの心に注がれた聖霊により、新たな時代が開けます。あかしと兄弟愛の時代です。それは、一人ひとりの弟子の頭上にともった炎と同じように、天から、神から与えられた時代です。その炎は、苦しみを焼き払う愛の炎であり、福音を知らせることばでもあります。福音は、人間が定めた境界線を越えて、言語や人種、国籍に関係なくすべての人の心に触れます。聖霊は、聖霊降臨の日に注がれたように、今でも、教会とわたしたちすべての上に注がれ続けます。それは、わたしたちが自分自身の凡庸さと閉じこもった心から脱して、主のいつくしみ深い愛を世界に伝えられるようにするためです。それこそが、わたしたちの使命です。わたしたちも、福音を伝える「ことば」と聖霊の「炎」を与えられています。それは、復活して今もわたしたちの中に生きておられるイエスを告げ知らせ、人々の心を熱くし、道であり真理でありいのちであるかたに人々を引き寄せるためです。

 高間で弟子たちとともにおられた至聖なるマリアの母としてのとりつぎに、わたしたちの願いをゆだねます。マリアは教会の母です。イエスの母が教会の母となられました。現代の教会に聖霊が豊かに注がれ、すべての信者の心を満たし、その心に愛の炎がともされますように。

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