教皇フランシスコ、2015年6月3日の一般謁見演説:家庭—17.家庭と貧困

6月3日朝、教皇フランシスコは、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、一般謁見を行いました。この謁見の中で教皇は、家庭に関する連続講話の20回目として、貧困について語りました。以下はその全訳です。

家庭—17.家庭と貧困

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。

 わたしたちは最近、水曜日ごとに家庭について考えていますが、これからも、家庭に関するこの講話を進めていきます。今日は、家庭の弱さについて考えます。家庭はさまざまな生活環境ゆえに試練に直面しています。家庭は多くの試練を抱えているのです。

 その試練の一つが貧困です。大都市の周辺部や、農村に住む多くの家族のことを考えましょう。そこは、あまりにも悲惨で荒廃しています。さらに悪いことに、戦争が起きている地域もあります。戦争はつねに過酷です。戦争はさらに、あらゆる市民や家庭を攻撃します。戦争はまさに「あらゆる貧困の母」です。戦争は、家庭を弱めます。戦争は、いのち、魂、そしてもっとも神聖な愛のきずなを奪う略奪者なのです。

 それでも、多くの貧しい家庭が、神の祝福に自らを心からゆだねつつ、尊厳をもって日々を送るよう努めています。だからといって、わたしたちの無関心さが正当化されるわけではありません。むしろ、そんなに悲惨な貧困が存在するという事実について、わたしたちはもっと自らを恥じなければなりません。貧困にあっても、家庭が人間的な特別なきずなを懸命に保ち続けていることは、奇跡のようです。しかし、福祉行政の担当者は、この事実がおもしろくありません。彼らは、人々の生活の質を考える上で、家族愛、家庭内でいのちが育まれること、さらには家族のきずなを二次的なものととらえているのです。彼らは何も分かっていません。わたしたちは逆に、こうした家庭の前で膝まずくべきです。このような家庭は、荒廃した社会を救う人類の真の学びやだからです。

 わたしたちがカエサル(皇帝)やマンモン(富)の力に屈し、暴力や金銭の力に負けて、家庭のきずなを手放してしまったら、何が残るでしょう。行政責任者が、家庭と貧困が陥っている悪循環を断ち切り、社会のきずなを見直す時にはじめて、新しい市民の倫理は確立します。

 今日の経済は、個人が幸せな生活を楽しむことを重視し、家庭のきずなに大きな犠牲を強いる傾向にあります。これは大きな矛盾です。家庭による計り知れない貢献は、財務諸表には、まったく表れません。経済学も政治学も、このことを認めようとしません。しかし、個人の内面の育成や社会における兄弟愛の実践は、おもに家庭で行われます。したがって、家庭という要素が排除されたら、すべてのものがバラバラになってしまいます。

 それはパンだけの問題ではありません。雇用と教育、医療もかかわります。このことがしっかりと理解されることが重要です。世界の多くの地域にいる、病気で栄養失調の子どもたちの映像を見ると、わたしたちの心はいつも痛みます。また、多くの子どもたちが、すべてを奪われ、粗末な教室にいながらも、輝く瞳で、誇らしげに鉛筆とノートをかざしている様を見ると、心を深く揺さぶられます。こうした子どもたちは、何と愛らしいまなざしで先生を見ていることでしょう。子どもたちは、人はパンだけでは生きられないことをすでに知っています。家族の愛情が欠けている場合にも、子どもたちは苦しみます。子どもたちは愛情と家族のきずなを求めているのです。

 わたしたちキリスト者は、貧困という試練にある家庭にもっと寄り添わなければなりません。考えてみてください。皆さんもご存じのように、父親も母親も失業している場合もあります。そして家庭が傷つき、家族のきずなが弱まるのです。これは悲しいことです。社会的貧困が家庭を襲い、ときには破壊してしまうのです。失業していたり、非常に不安定な仕事しか得られない場合、それは家庭生活に重くのしかかり、家庭内の人間関係もひどく緊張したものになります。もっとも貧しい地域に生活し、住宅にも、移動手段にも問題を抱え、社会的、医療的、教育的サービスもあまり受けられずに生活することにより、問題は深刻化します。このような物的な要因に加えて、家庭は、消費主義と外見への執着のもとにマスメディアが生んだ「偽りのひな型」によっても傷つけられます。こうしたひな型は、もっとも貧しい階層に影響を与え、家庭のきずなをさらに崩壊へと導きます。家庭のことを考えてください。家庭が試練にあるときには、家庭の苦しみや不幸をいやしてください。

 母である教会は、自分の子どもたちの悲劇を無視してはなりません。このような悲劇に対処し、豊かな実りを結ぶためには、教会も貧しくなければなりません。貧しい教会は、貧しい人々をはじめとするすべての人々との隔ての壁を打ち崩すために、教会内の組織においても、信徒のライフスタイルにおいても、簡素に生きようとします。そのためには祈りと行動が必要です。主がわたしたちを揺り動かし、キリスト者の家庭が、家族関係の革命の主人公になるよう、祈り求めましょう。わたしたちは、家庭のきずなを強めなければなりません。教会はこのきずなによって築かれます。困窮している人、小さい人、貧しい人の評価は、神の評価を表わすことを忘れないようにしましょう(マタイ25・31-46参照)。このことを忘れないでください。そして家庭の愛情ときずなを脅かす、貧困と欠乏という試練に直面している家庭を助けるために、最善を尽くしましょう。ここで、最初に読まれた聖書の箇所をもう一度、読みたいと思います。そして各自で、貧困と欠乏に苦しんでいる家庭について考えましょう。「子よ、貧しい人の生活を脅かすな。乞い求めるまなざしの人をじらすな。飢えている人を悲しませるな。途方に暮れている人を怒らせるな。いらだっている人をさらに苦しめるな。乞い求める人に与えることをためらうな。悩んで助けを求める人を拒むな。貧しい人から顔を背けるな。物乞いをする人から目を背けるな。お前を呪う口実を彼に与えるな」(シラ書4・1-5)。福音書に記されているように、もしわたしたちがこれらの命令に従っているとしたら、それは主がなさっていることなのです。

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