「船員の日」 メッセージ 2015年

狭くて、広い世界に生きる船員さんたち  以前、「海の上のピアニスト」という映画を観たことがあります。船で生まれ、船で育ったピアニストが、一度は船を降りようとしたができず、最後は廃船となって爆破されていく船に一人残っていく […]

狭くて、広い世界に生きる船員さんたち

 以前、「海の上のピアニスト」という映画を観たことがあります。船で生まれ、船で育ったピアニストが、一度は船を降りようとしたができず、最後は廃船となって爆破されていく船に一人残っていくというストーリーです。彼の世界とその生涯は船の舳先(へさき)と艫(とも)の間に収まっていましたが、とても意味深いことを言っています。「(ピアノ)の鍵盤の数は88と決まっている。無限ではない。弾く人間が無限なのだ。人間の奏でる音楽が無限なのだ。・・・・無限じゃない鍵盤で自分の音楽を創る幸せ、それがぼくの生き方だった」と。その彼は、今度は地上の生活を見て、「あのタラップの下で広がっていたのは際限なく続く何千万、何億という鍵盤だった。無限に続く鍵盤、無限の鍵盤で人間が弾ける音楽はない」と語ります。
 私たちは小さな船の中よりも、地上の方が何でも手に入り、好きなことができると思っていますが、実は常に迷っているのかもしれません。「弾く人間が無限」と言う意味で、生活している領域の広さ、狭さで優劣をつけることは出来ないのです。 
 船員さんたちは何日も、時には何か月も狭い船の中で生活します。でも、地上で生活している私たちには普段感じていないことを感じ、見えていないものを見ているに違いありません。訪船活動をしたり、船員さんのたちの生活を知ったりすることで、実は私たち自身が開かれていくことも多いのです。
 また、その船の積み荷を地上の何万、何十万人の人たちが使い、生活の一部にしていることを思えば、実は彼らはとてつもない広がりの中で仕事をしていることになります。実際、日本で生活している私たちの衣食住から日用品にいたる生活物資の99%以上が「みなと」を経由しているからです。

 船の上のピアニストは、こう言います。「何かいい物語があって語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない」と。彼らの語る物語を聞きにいきませんか。そのことを通して、船員さんたちも私たちも「人生、捨てたものではない」と一緒に喜ぶことができれば素晴らしいと思います。
 船員の日に当たり、今一度、私たちのために海で働く人たちがいることを知り、彼らのために祈り、共に生きていることを表す訪船活動を支えて下さるようにお願いします。

2015年7月12日
日本カトリック難民移住移動者委員会
委員長 松浦 悟郎(名古屋教区司教)

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