教皇フランシスコ、2015年10月7日の一般謁見演説:家庭—28.家庭の精神

10月7日、教皇フランシスコは、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、一般謁見を行いました。この謁見の中で教皇は、家庭に関する連続講話の31回目として、数日前に開会した世界代表司教会議(シノドス)第14回通常総会のテーマである「教会と現代世界における家庭の召命と使命」に焦点を当てながら、家庭の精神について語りました。以下はその全訳です。

家庭—28.家庭の精神

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。

 世界代表司教会議(シノドス)が数日前、「教会と現代世界における家庭の召命と使命」というテーマのもとに開会しました。主の道を歩む家庭は、神の愛をあかしするための基盤であり、教会のあらゆる営みの恩恵を受けるに値します。シノドスは、現代の教会のこうした配慮と視点を解き明かすよう求められています。まず、共に祈り、注意を傾けることによって、シノドスのすべての歩みに寄り添いましょう。最近の霊的講話は、教会と家庭の間の関係――解消できないきずな――のさまざまな側面からインスピレーションを受けています。その地平は、キリスト教共同体全体の善に向けて開かれています。

 現代人の日常生活に注意深く目を向けると、「家庭の精神」をあらゆる分野にしっかりと根付かせる必要があることがすぐに分かります。実際、市民生活上の、または経済的、法律的、職業的、行政上といった、さまざまな人間関係の形態は、非常に合理的、組織的で、正規のもののように思えますが、極めて「無味乾燥」で生気のない、画一化されたものでもあります。ときには、耐え難いこともあります。その様式の中にすべてを取り込もうとするあまり、実際には人々がどんどん孤立し、見捨てられています。

 だからこそ家庭が、社会全体のために人々の視野をさらに広げるのです。家庭は子どもたちの目を――視覚だけでなく、他の感覚をも――いのちに向けて開き、愛の自由な契約のもとに築かれた人間関係のビジョンを示します。家庭は、忠誠と誠実さ、信頼、協力、尊重に基づく結びつきが必要であることを提示します。家庭は、住みやすい社会を計画し、たとえ難局にあっても信頼関係を信じるよう家族一人ひとりに促します。家庭は、人々のことばを尊重し、互いに敬い合い、自分自身や他者が抱える限界の中で互いに分かち合うよう教えます。ご存じのように、家庭はもっとも小さい人、もっとも傷ついた人、そしてもっとも弱い人に、日々の生活の中でつねに注意を向けます。社会の中でそうした姿勢で生きる人々は、その姿勢を、競争や自己満足のためではなく、家庭の精神から学んだのです。

 現代社会の政治や経済の仕組みの中で、家庭はあまり重要視されていませんし、しかるべき認識も支援も得ていません。適切に認識されていないだけでなく、もはや学びの場にもなっていません。現代社会は、科学や技術のすべてを傾けても、この学びをより良い共生社会のために生かすことができません。社会生活のしくみが、人間の基本的な結びつきから完全に離れて、官僚主義に陥っています。それだけでなく、社会や政治における慣習にも、腐敗の表れ――攻撃、俗悪、侮辱――がしばしば見られます。それは、最低限の家庭教育の域にも達していません。こうした状況において、これらの人間関係の堕落の両極端――技術官僚の鈍感さと道徳に反する家庭第一主義――が合わさり、互いに刺激し合っています。これは一つの逆説です。

 教会は今まさに、家庭と、家庭の真の精神に関する自らの使命の歴史的な意味を確認しています。まずは、いのちに注目し、いのちを注意深く見直しています。「家庭の精神」は、教会の本質的な要素であると言えるでしょう。それがキリスト教のあるべき姿であり、キリスト教はそうならなければなりません。パウロははっきりと記しています。「遠く離れているあなたがた……は、もはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています」(エフェソ2・17,19)。教会は、神の家族であり、そうあるべきものです。

 ご自分に従うようペトロに呼びかけたとき、イエスは彼を「人間をとる漁師」にすると言いました。そのためには新しい種類の網が必要です。現代の家庭こそが、ペトロと教会の使命のためのもっとも重要な網の一つであると言えます。それは囚人を捕えるための網ではなく、孤独と無関心の海で多くの人をおぼれさせている疎外や無関心の荒波から人々を解放するための網です。各個人は奴隷でも、よそ者でも、ただのIDカードの番号でもなく、人の子であり、それゆえに尊厳を与えられていることを、家庭は十分認識しているのです。

 ここから、つまり家庭からイエスは、人々の間を旅し始めました。それは、神は人間をお忘れにならないことを人々に説くためでした。ペトロはそこから、自らの奉仕職の活力を得ました。教会はそこから、師であるキリストのことばに従い、深い海に漁に出かけます。そうすれば、教会は驚くほど多くの魚を獲ることでしょう。聖霊により強められたシノドス教父たちの熱意が、主のことばに信頼しつつ、古い網を捨て去り、再び漁をするよう教会を促しますように。そのために心から祈りましょう。キリストはどんな時もわたしたちに約束し、力づけてくださいます。悪い父親でさえ、飢えた子にパンを与えることを拒否しないのですから、神は、心から願い求めている人々に――たとえ不完全な者であっても――必ず聖霊を送ってくださいます。

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