教皇フランシスコ、2016年1月27日の一般謁見演説:5. 神は叫び声を聞いて、契約を思い起こされた

1月27日、教皇フランシスコは、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、一般謁見を行いました。この謁見の中で教皇は、いつくしみの特別聖年に関する連続講話の5回目として、「神は叫び声を聞いて、契約を思い起こされた」(出エジプト2・23-24参照)という聖書の一節について語りました。以下はその全訳です。

5. 神は叫び声を聞いて、契約を思い起こされた

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。

 聖書の中で、神のいつくしみは、イスラエルの民の歴史全体の中に存在しています。

 ヨセフとその兄弟たちの話に記されているように、主はいつくしみをもって父祖たちの旅に寄り添い、子どもに恵まれない人々に子を授け、恩恵と和解の道へと導いてくださいます(創世記37―50)。わたしは、家族でありながらも、離ればなれになり、互いに話し合うこともない兄弟姉妹のことを考えます。このいつくしみの特別聖年は、彼らが再会し、互いに抱擁し、ゆるし合い、嫌なことを忘れるのに良い機会です。しかし、ご存じのように、エジプトでの生活は、人々にとって困難なものでした。それはまさに、イスラエルの民が挫折しそうになり、主が介入され、救いのわざを行われるときです。

 出エジプト記には、次のように記されています。「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」(2・23-25)。いつくしみの心があれば、抑圧された人々の苦しみ、さらには暴力の被害者、奴隷のように扱われている人々、死を宣告された人々の叫びに無関心ではいられません。このような痛ましい現状は、わたしたちの住む地域を含むすべての地域に見られます。そうした状況を前にして、わたしたちは自分が無力であると感じ、心をかたくなにして、別のことを考える誘惑にかられます。しかし、神は「無関心ではありません」(2016年「世界平和の日教皇メッセージ」、1)。神は人間の苦しみから目をそらしません。いつくしみ深い神は、貧しい人々、絶望のうちに嘆いている人々の声に応え、彼らを気遣ってくださいます。神は、苦しみのうめきを聞き、抑圧されている人々に尽くすために、耳を傾け、介入してくださいます。

 そこで、人々を解放するための仲介者であるモーセの話が始まります。モーセは、エジプト王と向き合い、イスラエルの民を出発させるよう彼を説得します。そして、イスラエルの民を、紅海や砂漠を越えて自由へと導きます。産まれて直ぐにナイル河で神のいつくしみによって救われたモーセが、そのいつくしみの仲介者となり、紅海で人々を大海から救い出し、自由の身にします。このいつくしみの特別聖年にあたり、わたしたちも人々に寄り添い、いやし、一致をもたらすために慈善のわざを行うことによって、いつくしみの仲介者として働くことができます。非常に多くの善行が行われることでしょう。

 神のいつくしみは、つねに救うために働きます。それは、戦争をする人々のような、常に殺すために行動する人々の働きとはまったく違います。主は、ご自分のしもべであるモーセを通して砂漠の中でイスラエルの民を息子のように導き、信仰を教え、契約を結び、父と子、花嫁と花婿の間のきずなのような強い愛のきずなを結んでくださいます。

 神のいつくしみはそこまで達します。特別で、唯一で、特権のある愛の関係を神は結んでくださいます。神は契約についてモーセに教えるにあたり、次のように語っておられます。「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト19・5-6)。

 もちろん、神は地上のすべてのものを創造されたのですから、それらはすべて神のものです。しかし神にとって、ご自分の民は他とは異なる特別なもの、ダビデ王が神殿の建設のために作ったと記されている「金銀の宝」のようなものです。

 このように、わたしたちは神との契約を受け入れ、神によって救われるがままに任せることにより、神に向けて回心します。主のいつくしみは、人間を神の宝のように貴重なものにします。神はその宝を守り、その宝を深く喜んでくださるのです。

 このように、神のいつくしみは素晴らしいものです。それは主イエスのうちに、イエスの御血において頂点に達する「新しい永遠の契約」のうちに完全に成就します。御血は、ゆるすことによってわたしたちの罪を消し去り、わたしたちを、優しくいつくしみ深い御父の手中にある貴重な宝石のような完全な神の子にします(一ヨハネ3・1参照)。わたしたちは神の子であり、他者とのかかわりの中で善といつくしみという宝を受けることができます。ですから、わたしたちもこのいつくしみの特別聖年の間に慈善のわざを行えるよう、主に願い求めましょう。慈善のわざをもってあらゆる人のもとに行き、御父がわたしたちに示してくださるいつくしみのうちに働くために、心を開きましょう。

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