常任 今こそ武力によらない平和を――安全保障関連法の施行にあたって――

今こそ武力によらない平和を ――安全保障関連法の施行にあたって―― キリストにおける兄弟姉妹の皆さん、 ならびに平和を願うすべての方々へ  2016年3月29日に安全保障関連法が施行されました(注1)。日本のカトリック教 […]

今こそ武力によらない平和を
――安全保障関連法の施行にあたって――

キリストにおける兄弟姉妹の皆さん、
ならびに平和を願うすべての方々へ

 2016年3月29日に安全保障関連法が施行されました(注1)。日本のカトリック教会が平和のために働く使命を果たすために、この安全保障関連法が神の望まれる平和の道にふさわしいかどうか今一度識別することは重要なことだと思います。そこで、平和を願う皆さんに、昨年の戦後70年司教団メッセージ「平和を実現する人は幸い~今こそ武力によらない平和を」を、もう一度読んでくださるよう、お願いしたいと思います。
 その際、以下の説明を参考にしてください。

1. 安全保障関連法に関する日本の司教団のこれまでの声明

 日本の司教団は、2014年7月1日に安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行なったとき、日本カトリック司教協議会の常任司教委員会名で7月3日に抗議声明を発表しました。憲法の基本理念に抵触し、軍備増強と武力行使への歯止めを失わせ、戦後70年近くにわたって保たれてきた国の形を変えるような憲法の解釈上の変更を一内閣の判断で行ったことについて、非常に大きな問題があると考えたからです。

 さらに、戦後70年にあたる昨年2015年の2月25日、司教団メッセージ「平和を実現する人は幸い~今こそ武力によらない平和を」を発表しました。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認によって、事実上、憲法九条の内実を変え、海外で武力行使できるようにする今の政治の流れに、懸念を覚えずにはいられませんでした。

2.平和についてのカトリック教会の使命

 戦後70年司教団メッセージに関して、なぜ司教団が政治的な発言をするのかという批判や、政教分離の精神に反するのではないかという指摘があります。これらについては、昨年のメッセージの最初の段落で、「教会は人間のいのちと尊厳に関する問題に沈黙できない」と述べました。カトリック教会は、特定の政治的立場に立つものではありません。ただ、司教団には、最近の日本の政治の流れが、将来わたしたちの生活の場で「人間のいのちと尊厳に関する問題」となる危険をはらんでいることに、信仰者として注視する必要があることを表明する務めがあるのです。

 また、「政教分離」とは「政治と宗教の分離」ではなく、「国家と教団の分離」を意味しています。特定の宗教団体が国家と権力支配・被支配の関係に入ることを禁じ、宗教団体が国家権力を行使したり権力と癒着したり、便宜の提供を受けたりしてはならない、といっているのです。このことと、政治活動の是非は区別されます。むしろ、わたしたちは信者としての良心に基づいて政治活動を行うべきであり、その権利と義務を持っているのです(第二バチカン公会議「現代世界憲章」75参照)。さらに、教会の権威者は政治についても、信仰と道徳に関することであれば、必要に応じ、適宜、教えと見解を表明する義務と権利を有するのです(同76参照、教会法747条第2項)。安全保障関連法は、まさにいのちと尊厳にかかわる問題であり、したがって、教会は沈黙していることはできません。これを、人間の問題として受けとめ、福音の精神でもって判断し、行動しなければなりません。

 日本の司教団は、特別に平和のために働く使命を自覚しています。この使命の自覚は、戦前・戦中に日本の教会がとった姿勢に対する深い反省と、広島と長崎で核兵器の惨禍を体験したことから生まれてきたものです。

3. 日本国憲法と戦争放棄

 憲法とは、国家の仕組み、基本的人権や社会権、行政機構や国際関係、立法精神や国家体制を明示するものです。日本国憲法は、平和主義を国是としています。ところが、憲法九条と集団的自衛権に関して国政の流れを見てみると、安全保障関連法が成立することで、事実上憲法とは本来両立しない政治を正当化しようとする解釈改憲がなされました(注2)。さらには、憲法自体を変える明文改憲の動きがにわかに現実味を帯びてきています。これらの一連の流れに、わたしたちは、将来に向けての看過できない重大な懸念を表明せざるを得ません。

 さらに、政府は改憲に向けた作業の中で、「緊急事態条項」を新設しようとしています。緊急事態条項とは、災害・戦争などの緊急事態に一時的に政府に立法権を付与し、個人の自由や権利を制限する国家緊急権を認める規定です(注3)

 日本の司教団が今、日本国憲法の不戦の理念を支持し尊重するのは当然のことです。戦争放棄は、キリスト者にとってキリストの福音そのものからの要請であり、宗教者としていのちを尊重する立場からの切なる願いであり、人類全体にとっての手放すことのできない理想なのです。カトリック教会は、平和とは、単に戦争がないことでもなければ、敵対する力の均衡を保持することでもなく、他者および他国民と、また彼らの尊厳を尊重する確固たる意志および兄弟愛の実践によって築かれるものと考えます。(「現代世界憲章」78参照)

4.集団的自衛権行使の是非

 集団的自衛権の行使を実現する安全保障関連法は、カトリック教会が目指す平和への道とは相容れない法律ではないでしょうか。なぜなら、それは、国際的緊張を高めて、敵がい心をあおり、人を戦争へと駆り立てているからです。安全保障関連法は、日本が攻撃されていないのに、他国間の戦争に参加できるとする集団的自衛権の行使を中心としています。日本が攻撃を受けたときに限って自らを守ることができるとする個別的自衛権と異なり、集団的自衛権は他国の戦争に自ら参加していくもので、憲法九条が明白に禁じるものです。

 こうして「戦争放棄」の大原則を覆してしまうと、日本は「戦争をする国」として、これまでになかった危険にさらされることになりかねません。また、この法制は、基本的に軍事的な抑止力をもって平和を維持しようとするものです。これは、他国との際限のない軍拡競争を招く恐れがあり、防衛費が増大していくと、わたしたちの生活も大きな影響を受けることになるでしょう。そもそも武力で武力を封じ込めようとして平和を守ることなどできるのか、わたしたちは考えるべきでしょう。

 平和を願う皆さん、わたしたちは今、本当に大きな時代の岐路に立っています。わたしたちは先の大戦から、近代戦争のもたらす大量破壊すなわち一般市民に対する甚大な被害を体験しました。それは、日本が受けた被害のみならず、日本がアジア諸国へ与えた被害をも含め、一般市民に対する無差別な攻撃による殺戮の体験でした。ことに、原爆による被害は言語を絶するものでした。わたしたちはこの被害の悲惨さと苦しみを共有したところから、その原因となった戦争自体を二度と起こしてはならないと強く決心し、不戦の理念を掲げた憲法を受け入れ支持し続けて来たのです。そして、世代をついで受け継がれてきたこの体験は、わたしたちの心の奥底に恒久平和の希求と不戦の誓いとして刻み込まれています。

 戦後70年以上を経て、この悲惨な体験の実感とそれへの共感が薄れ、戦争を観念的にしかとらえない机上の議論がなされていることに危惧を感じます。かつての過ちを再び繰り返すことのないように、わたしたち一人ひとりがこの時代を生きる一人の人間として、またキリスト者として、今何を選び行動すべきかを真剣に考えていきましょう。そして、武力に頼らず、相互の信頼に基づく平和をともに祈り求めてまいりましょう。

2016年4月7日

日本カトリック司教協議会
常任司教委員会

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