教皇フランシスコ、2016年4月17日「アレルヤの祈り」でのことば イエスはよい羊飼い

4月17日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「アレルヤの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。祈りの後、教皇はその前の日に訪れたギリシャの […]

4月17日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「アレルヤの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。祈りの後、教皇はその前の日に訪れたギリシャのレスボス島での体験を振り返るとともに、日本とエクアドルで起きた地震の被災者のために祈るよう次のように呼びかけました。

 「兄弟姉妹の皆さん、わたしは昨日、ギリシャのレスボス島を訪問しました。この訪問に祈りをもって寄り添ってくださった方々に感謝します。わたしは難民の皆さんとギリシャの人々への教会の連帯の意を伝えました。東方正教会のコンスタンティノープル総主教バルトロマイ一世とアテネと全ギリシャ大主教イエロニモス二世も同行し、主のすべての弟子が愛のもとに一致していることを示しました。わたしたち三人はイラク、アフガニスタン、シリア、アフリカなど、数多くの国から来た難民がいるキャンプを訪れ、約300名の難民一人ひとりに声をかけました。彼らの多くは子どもで、その内の何人かは、自分の両親や仲間の死を目撃していました。中には海でおぼれた人もいました。彼らはあまりにも大きな痛みを抱えていたのです。……
 昨晩、エクアドルで大地震が起き、多くの方が亡くなり、深刻な被害が生じました。それらの人々のために、また最近、群発地震にみまわれている日本の人々のために祈りましょう。神と兄弟姉妹の助けによって、彼らに力と支援が送られますように。」

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
 今日の福音(ヨハネ10・27-30)は、エルサレムで年末に行われる神殿奉献記念祭におけるイエスのことばを伝えています。イエスは神殿の境内におられました。おそらくその神聖な回廊が、羊小屋と羊飼いの姿を思わせたのでしょう。イエスは「よい羊飼い」としてご自分のことを説明し、こう言います。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠のいのちを与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(27―28節)。 このことばは、もしイエスの声を聞かなければ、誰も自らをイエスに従う者と呼べないことを理解する助けとなります。「聞く」ということは、うわべだけで理解されるべきではありません。それは、「彼らはわたしに従う」(27節)と記されているように、心から従うことができるほど分かり合えるところまで、互いにかかわり合うこととして理解されるべきです。それは耳で聞くだけでなく、心で聞くことなのです。

 したがって羊飼いと羊の姿は、イエスがわたしたち一人ひとりと結びたいと願っておられる固いきずなを表わします。イエスはわたしたちの導き手であり先生、友、模範ですが、何よりもまずわたしたちの救い主です。まさに福音の中で確認されているとおりです。「わたしは彼らに永遠のいのちを与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(28節)。 こう言えるのは誰でしょうか。イエスお一人です。なぜならイエスの「手」は、御父の「手」と一体であり、御父は「すべてのものより偉大」(29節参照)だからです。

 このことばは、十分な安心感と計り知れない優しさを伝えています。わたしたちの人生は、イエスと御父の手の中で完全な安心感に包まれます。それらの手は一つのもの、すなわち十字架のいけにえのうちに決定的に示される、唯一の愛、唯一のいつくしみです。わたしたちという迷い出た羊を救うために、羊飼いは小羊となられ、ご自分をいけにえとしてささげました。それは、世の罪をご自分で担い、消し去るためでした。このように、イエスはわたしたちにいのちを「豊かに」(10節)に与えてくださいます。この神秘は感謝の祭儀の食卓の上で驚くほど謙虚に、つねに新たにされます。そこは羊が食物を得るために集まるところであり、羊同士が一つになり、よい羊飼いと羊が一つになる場なのです。

 ですから、わたしたちはもう恐れることはありません。わたしたちのいのちはもう破滅から救われています。誰も何もわたしたちをイエスの手から引き離すことはできません。なぜなら、誰も何もイエスの愛をしのぐことはできないからです。イエスの愛は無敵です。神とその被造物の強力な敵である悪魔が、あらゆる手をつくしてわたしたちから永遠のいのちを奪おうとします。しかし、もしわたしたちが人々を惑わす悪魔の誘惑に従って、自分の心の扉を悪魔に向けて開かなければ、悪魔は何もできません。

 おとめマリアはよい羊飼いの声を聞いて、従順に従いました。ご自分の弟子になるよう招くイエスの招きを、わたしたちが喜んで受け入れ、御父の手の中にいるという確信をもってつねに生きられるよう、マリアが助けてくださいますように。

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