2016年平和旬間 日本カトリック司教協議会 会長談話

2016年「平和旬間」にあたって ~平和を自分たちの足元から~
日本カトリック司教協議会 会長談話


2016年「平和旬間」にあたって ~平和を自分たちの足元から~
日本カトリック司教協議会 会長談話

 日本カトリック司教協議会は、35年前の1981年2月25日、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が広島でなさった力強い「平和アピール」に応えて、翌年から8月6日~15日を「日本カトリック平和旬間」と定めました。今年で35回目を迎えます。
 この10日間を平和旬間としたのは、広島と長崎の原爆記念日および終戦記念日が集中しているからです。言うまでもありませんが、平和のために祈り、平和について学び、考え、平和のために活動することは、決してこの期間に限定されることではありません。6月23日の沖縄「慰霊の日」を忘れてはなりませんし、一年を通して平和のために祈り、平和について学び、考え、平和のために必要な行動をとるよう努めなければならないのです。しかし、特にこの期間を、いつもより有意義に過ごすことが望まれます。
 シリア内戦、宗教的原理主義者などによるテロ活動、資源開発の利権にからむ武力紛争、覇権主義的威嚇行動などによって、世界の平和は壊され、絶えず脅かされています。子どもや女性を含む、おびただしい数の人が殺されあるいは負傷し、避難を余儀なくされてふつうの生活と人生そのものを奪われています。テロ事件は、欧米の主要都市でも、イスラームの都市でも起こっています。日本人も多数犠牲になりました。テロはもはやいつ、どこで起こってもおかしくない状況です。だからこそ、東西の大国が冷戦ではなく友和に向かい、欧州連合(EU)の平和の精神が広まり、東アジアの緊張がなくなるよう祈りたいと思います。オバマ米大統領は、7年前プラハで、今年5月末広島で「核兵器のない世界」を希求すると表明しました。わたしたちには、「連帯して協力し、相互連携と相互依存のもとにもっとも弱い立場にある兄弟姉妹を思いやり、共通善を守る力」(「2016年『世界平和の日』教皇メッセージ」2参照)があるはずです。そのような人間の力と神の恵みによって、世界から核兵器だけでなくあらゆる武器と暴力をなくすという高い理想を実現していきたいものです。国内でも、毎日のように起こる殺人事件、国籍や文化や性などによる差別、DV、ヘイトスピーチ、セクハラやパワハラなどに無関心ではいられません。絶えず適切な対策を講じる必要があります。また、日本国民を暴力の連鎖に巻き込むにちがいない安全保障関連法や改憲の動きにも警戒を怠ってはなりません。
 ところで、「平和」の原語であるヘブライ語の「シャローム」は、1) 繁栄、成功、2) 無傷の状態、3) あいさつ用語、4) 福利、健康な状態、5) 平和(公的、私的)、6) 友好、7) 解放、救い、を意味しています。つまり「平和」は、一人ひとりが自らと他者のいのちの尊厳を大切にし、神および他者と友好な関係を築きながら、充実した生活を送ることにあると言えます。フランシスコ教皇様が指摘しておられるように、わたしたちは、誰一人排除することなく、互いを愛(いと)おしみ、赦し、受け入れるよう努めなければなりません。わたしたちは皆、神のいつくしみに包まれているからです。誰かを排除したり、支配したり、軽視したり、差別したりするところに平和はありません。こころとからだ、仕事と家庭生活、特に神との関係と人間関係を、より充実した幸せなものにするよう努力することによって、平和を自分たちの足元からつくることは皆ができることですし、またしなければならないことです。それが世界平和の実現につながることを確信しつつ。

 愛と平和の神がわたしたち皆と共にいてくださいますように(二コリント13・11参照)。

2016年7月7日
日本カトリック司教協議会 会長
カトリック長崎大司教区 大司教 ヨセフ 髙見 三明

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