教皇フランシスコ、2016年7月17日「お告げの祈り」でのことば マルタとマリア

7月17日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。 祈りの後、教皇は7月14日、フランス革命記念日の夜にニースで起きたテロについて、次のよう訴 […]

7月17日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。

祈りの後、教皇は7月14日、フランス革命記念日の夜にニースで起きたテロについて、次のよう訴えました。
 「兄弟姉妹の皆さん、木曜夜、ニースで起きた大量殺人のために、わたしたちの心は深い悲しみに包まれています。多くの子どもを含む、大勢の無実の人のいのちが奪われました。わたしは哀悼の意をもって各家庭とフランスの全国民に寄り添います。いつくしみ深い父なる神がすべての犠牲者をご自身の平安の中に受け入れ、負傷者をいたわり、家庭の皆さんをなぐさめてくださいますように。神があらゆる恐怖と死の計画を一掃してくださり、もうだれも兄弟の血を流さないよう導いてくださいますように。わたしはニースとフランス全土に住んでいる人々を親のように、兄弟のように抱擁したいと思います。皆さん、この大惨事のことを考え、犠牲者とその遺族に思いを寄せつつ、静かに祈りをささげましょう。」

以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
 今日の福音には、エルサレムに行く途中で二人の姉妹の家に迎え入れられたイエスの姿(ルカ10・38-42参照)が記されています。二人の名前はマルタとマリアです。二人とも主を歓迎しますが、その方法は異なります。マリアはイエスの足もとに座って、イエスの話に聞き入っています(39節参照)。一方、マルタはもてなしの準備に追われています。マルタはある時点でイエスに言います。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 (40節)。イエスはマルタに答えます。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」 (41-42節)。

 マルタはせわしく立ち働くことによって、もっとも大切なことを忘れています。それが問題です。マルタは客人がいることを、この場合はイエスがいることを忘れています。彼女は客人がそこにいることを忘れています。客人に仕え、食事をふるまい、あらゆるもてなしをするだけでは十分ではありません。もっとも重要なことは、耳を傾けることです。「聞き入る」ということばを忘れないでください。豊かな感情と思いを心に抱き、自らの物語をもっている一人の人間として、客人を迎え入れるべきです。そうすればその人は家族の中にいるように実感できることでしょう。もしあなたが客人を家に迎えても、他の用事を続け、客人をそこにただ座らせたまま何も会話しなければ、客人は石であるかのようです。石の客人です。それは違います。客人は耳を傾けるべき存在です。もちろん、「必要なことはただ一つである」というイエスのマルタへの返答は、イエスのことばを聞くことを意味しています。そのことばは、わたしたちの存在と行いのすべてを照らし、支えます。たとえば、祈るために十字架のもとに行っても、しゃべってばかりいて去ってしまったら、イエスに耳を傾けたことにはなりません。自分たちの心にイエスが話かけられるように身をゆだねてはいません。聞き入ること。これがキーワードです。忘れないでください。マルタとマリアの家ではイエスは主であり師である以前に、一人の巡礼者であり客人であることも忘れないでください。したがって、イエスの答えはまさに次のような意味です。「マルタ、マルタ、どうしてあなたはこの客人がいることを忘れてしまうほど、自ら忙しくしているのですか。客人は石ではありません。客人を迎え入れるには、多くのことは必要ありません。必要なのはたった一つだけです。聞き入ることです。そうです。耳を傾けるのです。客人を兄弟のよう迎え入れ、臨時の避難所ではなく、家族の中にいるようにその客人が感じられるようにするのです」。

 こうした視点から見ると、いつくしみのわざの一つであるもてなしは、真に人間的でキリスト教的な美徳であることが分かります。この徳は現代社会の中では見過ごされる恐れがあります。実際、老人ホームやホスピスの数は増えていますが、そこでは真のもてなしは必ずしも行われていません。あらゆる種類の病気や孤独、疎外をケアするための施設はいくつも設立されていますが、外国籍の人々、社会の片隅に追いやられた人々、疎外された人々が自分たちの話に耳を傾けてくれる人を見出す機会は少なくなっています。彼らは外国人であり難民、移住者だからです。痛みを伴う話に耳を傾けてください。たとえ自分の家で家族と一緒にいても、自分が耳を傾けて受け入れるよりも、さまざまなかたちのサービスやケアを見つけてあげるほうが容易だと思っているかもしれません。今日、わたしたちは娯楽やさまざまな悩みにあまりにもとらわれているために、――中には大して重要でないものもありますが――耳を傾ける時間がありません。自分自身に次のように問いかけ、心の中で各自、答えてください。夫である皆さんは妻の、妻である皆さんは夫の話を聞くために時間をさいていますか。親である皆さんは自分の子どもの話を聞くために時間を「すり減らして」いますか。高齢の祖父母に対してはどうですか。「でも、おじいさんもおばあさんも同じことばかり言って、退屈なのです」。それでも、彼らの話を聞く必要があります。聞き入ってください。耳を傾け、より多くの自分の時間をささげるすべをどうか身につけてください、平和の源は傾聴する力にあるのです。

 耳を傾け、尽くし、細心の注意を払ってくださる母であるおとめマリアが、兄弟姉妹を受け入れ、もてなすすべを教えてくださいますように。

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