教皇フランシスコ、2016年7月24日「お告げの祈り」でのことば 主の祈り

7月24日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。祈りの後、教皇はドイツとアフガニスタンで起きたテロについて、次のよう訴えました。  「テロと […]

7月24日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。祈りの後、教皇はドイツとアフガニスタンで起きたテロについて、次のよう訴えました。

 「テロと暴力という悲しい行為を伝える痛ましいニュースを知って、わたしたちの心は今、再び震えています。このテロと暴力は、痛みと死をもたらしました。わたしはドイツのミュンヘンとアフガニスタンのカブールで起きた悲惨な出来事に思いを寄せています。多くの無実の人のいのちが奪われました。
 遺族と負傷者の方々にわたしは寄り添います。皆さん、主がすべての人の善と兄弟愛に対する決意を高めてくださるよう、わたしと一緒に祈ってください。乗り越えられそうもない困難に直面し、安全と平和への見通しが暗ければ暗いほど、わたしたちは何度も祈らなければならなりません。」

以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
 今日この主日の福音(ルカ11・1-13)は、イエスが人々から離れて独りで祈っておられる場面から始まります。イエスが祈り終えたとき、弟子たちは「わたしたちにも祈りを教えてください」(1節)とイエスに頼みます。イエスは答えます。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、……』」(2節)。このことばはイエスの祈りの「秘訣」であり、イエスがわたしたちに与えてくださる鍵のようなものです。このことばに従えば、イエスの全生涯に寄り添い支えておられる御父と、イエスの間の信頼に満ちた関係にわたしたちもあずかることができるでしょう。

 イエスは御父の名のもとに二つの祈りを結びつけます。「み名があがめられますように。み国が来ますように」(2節)。 このようにイエスの祈りとキリスト者の祈りは、なによりもまず、神を受け入れる場を設けます。神はわたしたちの中にご自分の聖性を示し、み国を築かれます。それは、神の愛の支配がわたしたちの人生に及ぶことから始まります。

 イエスが教えてくださったこの「主の祈り」は、他の三つの願いによって完結します。わたしたちの基本的なニーズは三つの主題として表されます。それは糧、ゆるし、そして誘惑を受けたときの助けです(3-4節)。人は糧が無ければ、ゆるしがなければ、さらには誘惑されたときに神に助けられなければ生きていけません。願い求めるようイエスがわたしたちに教えておられる「糧」とは必要とされるものであり、余らせるものではありません。それは巡礼に必要な糧です。ちょうどよい量で、ため込んだり無駄になったりしない糧であり、それゆえ歩みを進める際に負担になりません。「ゆるし」は、私たち自身が神から受けるものにほかなりません。わたしたちは神の永遠のいつくしみによってゆるされた罪びとであると自覚してはじめて、兄弟愛に基づく和解をもたらすための具体的な活動を行うことができます。もし、自分がゆるされた罪びとだと感じなければ、人は決してゆるしや和解のために行動することはできないでしょう。自分がゆるされた罪びとだと皆さんが心から感じることが出発点です。「わたしたちを誘惑にあわせないでください」という 最後の願いは、わたしたちはつねに悪と腐敗のわなにさらされているという意識を表しています。わたしたちは皆、何が誘惑なのか知っているのです。

 祈りについてのイエスの教えに、二つのたとえ話が続きます。友に対するその友人の姿勢のたとえ話と、父の子に対する姿勢のたとえ話です(5-12節参照)。両方とも、父なる神を完全に信頼するよう教えることを意図しています。神はわたしたちのニーズをわたしたち以上にご存じです。しかし、勇気をもって根気強くそれらのニーズをご自分に示すよう、神はわたしたちに求めておられます。そうしてはじめて、わたしたちは神の救いのわざにあずかることができるからです。祈りはわたしたちの手の中にある、もっとも重要で第一の「仕事道具」です。根気強く神に願うのは、神を説得するためではなく、わたしたち自身の信仰と忍耐力を強めるためです。つまり、真に重要で必要なものをわたしたちが神とともに求められるようにするためです。祈りの中には、神と自分の二人しかいません。神とともに大切なもののために尽くすのです。

 今日の福音の中で、イエスは非常に大切なもの、わたしたちがあまり願い求めていないものについて語っておられます。それは聖霊です。「聖霊をお与えください」。イエスは言います。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」 (13節)。聖霊です。聖霊が来てくださるよう願わなければなりません。それでは聖霊はどんな役割を果たすのでしょうか。聖霊は、わたしたちが正しく生きるために、知恵と愛をもって生きるために、そしてみ旨を行うために必要です。もしわたしたち一人ひとりが「父よ、聖霊をお与えください」と御父に祈ったら、それはなんと美しい祈りになることでしょう。聖母マリアはこのことをご自分の生涯を通して表しました。マリアの全生涯が、神の霊に力づけられていました。イエスとともにおられるマリアの支えのもとに、わたしたちが世俗的な生き方ではなく、聖霊の導きのもとに福音に沿った生き方ができるよう御父に祈り求めることができますように。

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