2017年平和旬間 日本カトリック司教協議会 会長談話

2017年「平和旬間」にあたって 日本カトリック司教協議会 会長談話  「世界平和の日」の教皇メッセージは、今年の元旦で50回目を数えました。その中で教皇は、ベトナム戦争最中の1968年に発表された第1回「世界平和の日」 […]

2017年「平和旬間」にあたって
日本カトリック司教協議会 会長談話

 「世界平和の日」の教皇メッセージは、今年の元旦で50回目を数えました。その中で教皇は、ベトナム戦争最中の1968年に発表された第1回「世界平和の日」の福者パウロ六世教皇のメッセージに言及しておられます。同教皇は、「今(20)世紀の最近数十年を通して、平和が人類の進歩の唯一かつ真の道筋であることが浮き彫りにされました」と述べられました。今年のメッセージで、フランシスコ教皇は、「非暴力」が“平和を築くひとつの方策”であるという考えを説明しておられます。そして「争いにまみれた状況の中で『(他者の)尊厳への深い敬意』を抱き、積極的な非暴力に基づく生き方を実践しましょう」(1項)と呼びかけ、「今、イエスの真の弟子であることは、非暴力というイエスの提案を受け入れることでもあります」(3項)と断言しておられます。
 「積極的な非暴力」とは、愛が暴力に打ちかつということです。教皇は、この表現の意味について、マザー・テレサが1979年にノーベル平和賞を受賞した際の言葉を引用します。「わたしたちの家庭には、爆弾や銃は必要ありません。平和のために破壊すべきではありません。ただ一緒にいて、互いに愛し合ってください。……そうすれば世界のあらゆる悪に打ちかつことができます」(4項)。
 日本の司教団が、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の『広島平和アピール』(1981年)を受けて、戦後50年、60年、そして70年にくり返し表明してきた、戦前・戦中の教会の戦争責任への反省に基づく平和への決意と教皇の今年の平和メッセージは合致しています。
 わたしは、憲法施行70年にあたる今年、改めて日本国憲法が保障する平和的生存権を確認したいと思います。平和は軍事では築けません。特に今、近隣諸国やテロの脅威に軍備で応じるのではなく、北東アジアと世界の平和のために真摯な粘り強い対話を実践することを日本政府と国民に訴えます。
 安倍晋三首相は、憲法記念日の5月3日に、国会以外の場で、具体的な日程を挙げつつ、第9条に自衛隊の存在を明記したいという考えを示しました。もしそれが実施されるならば、これまで「自衛のための必要最小限度を越えない実力」を有する部隊と説明され、防衛予算や軍事行動に厳しい制約を課せられていた自衛隊は「軍隊」となり、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定める第9条第2項が効力を失うことになりかねません。そうなれば、北東アジア、さらには世界の緊張はますます高まるでしょう。
 さて、今年は宗教改革500周年でもあります。日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会の共同主催で、11月23日に、長崎の浦上天主堂において合同礼拝と対話フォーラム・シンポジウムを行います。長崎は、キリスト教の弾圧と迫害を経験した町でもあり、20世紀の世界の悲劇を象徴する原爆の第二の被爆地でもあるからです。争い分裂していたキリスト教の諸教会・教派が「祈り」と「対話」を通して「対立から和解へ」歩み出す姿を、「対立から平和の実現に向かうモデル」として世界に示すことができれば幸いです。
 その長崎にとって、今年はいわゆる「浦上四番崩れ」が始まって150年目、来年は20藩22カ所に流配された信徒たちの「旅」立ち150年目にあたります。司祭との出会いから力を得て、幕末から明治の初めに自らの信仰を表明して立ち上がったこの潜伏キリシタンたちは、日本の歴史において「思想・良心・信条の自由」に目覚め、国家権力が個人の内心にまで侵入してくることにいのちをかけて抵抗した数少ない人々であったとも言えるでしょう。こうした日本のカトリック教会の歴史に照らして、先の国会で強行に採決され、「共謀」を取り締まることで「監視社会」の到来や市民的自由への萎縮効果が懸念される「組織犯罪処罰法改正」にも慎重な注視が求められます。戦前・戦中の時代、国家権力が治安維持法などで人々の言論・思想・信条の自由を侵害したことにより、日本は戦争への道をひた走り、周辺国を含めて2000万人以上といわれる犠牲者を生じさせました。二度と戦争への道を歩むことなく、また、信条の自由をはじめとする基本的人権と人間の尊厳が最大限に尊重される社会を子や孫に残すことがわたしたちの務めです。
 世界のさまざまな場所で、テロが頻発しています。自国の利害を優先するあまり、紛争や内戦、難民の増加、人身売買や虐待、環境破壊などのグローバルな問題の解決に、各国が共同歩調をとれない風潮も危惧されます。強い者たちの争いで最も被害を受けるのは、いつも子どもと女性、高齢者など、無防備な人々です。日本においても、東京電力福島第一原発事故の被災者は、生活と人生そのものを奪われた傷に苦しんでいます。基地負担の多くをひとり押しつけられている沖縄の人々も理不尽さを噛みしめています。こうした人々のために祈り、平和で公正な社会が実現するために、わたしたちに何ができるかを考え、実行するようにしましょう。
 「地域的、日常的な局面から国際的な秩序に至るまで、非暴力がわたしたちの決断、わたしたちの人間関係、わたしたちの活動、そしてあらゆる種類の政治の特徴となりますように」(1項)と訴える教皇とともに、今年、「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5・9)というイエス・キリストの教えを思い起こしながら平和旬間を過ごしましょう。

2017年7月6日
日本カトリック司教協議会会長
カトリック長崎大司教区 大司教 ヨセフ 髙見 三明

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