教皇、『カテキズム』中の死刑に関する項目改訂を承認

 バチカン公式サイトの8月2日の発表によりますと、教皇フランシスコは、『カトリック教会のカテキズム』中の、死刑に関する2267番の変更を承認しました。改訂された箇所では、「国家が科す刑事制裁の意義に関して、新たな理解が広 […]

 バチカン公式サイトの8月2日の発表によりますと、教皇フランシスコは、『カトリック教会のカテキズム』中の、死刑に関する2267番の変更を承認しました。改訂された箇所では、「国家が科す刑事制裁の意義に関して、新たな理解が広まってきて」おり、「死刑は許容できません」と述べられています。

 またこれに関し、教皇庁教理省長官のルイス・フランシスコ・ラダリア・フェレール枢機卿が全世界の司教たちに宛てた書簡も発表されています。この中で同枢機卿は、「以前の教えは実際、共通善を守るという公権の主要な責任という点から見れば、刑事制裁が異なったかたちで理解されていた社会的状況の中で説明されうる」と述べています。

 改訂された2267番の暫定訳は、以下のとおりです(正式な訳文は、後日発表されます)。

2267 合法的権威がしかるべき手続きを経た後に死刑を科すことは、ある種の犯罪の重大性に応じた適切なこたえであり、極端ではあっても、共通善を守るために容認できる手段であると長い間考えられてきました。
 しかし今日、たとえ非常に重大な罪を犯した後であっても人格の尊厳は失われないという意識がますます高まっています。加えて、国家が科す刑事制裁の意義に関して、新たな理解が広まってきています。最後に、市民にしかるべき安全を保障すると同時に、犯罪者から回心の可能性を決定的に奪うことのない、より効果的な拘禁体制が整えられてきています。
 したがって教会は、福音の光のもとに「死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」【注1】と教え、また、全世界で死刑が廃止されるために意を決して努力をします。

【注1】教皇フランシスコ「教皇庁新福音化推進評議会の会議参加者へのあいさつ(2017年10月11日)」(オッセルバトーレ・ロマーノ2017年10月13日号)

[資料]死刑現場の悲惨さを伝える写真家、トシ・カザマ氏の講演から(2009年)

 また、改訂前の文章は以下のとおりです。

2267 教会の伝統的な教えによれば、違反者の身元や責任が完全に確認された場合、それが不当な侵犯者から効果的に人命を守ることが可能な唯一の道であるならば、死刑を科すことも排除されていません。
 攻撃する者に対して血を流さずにすむ手段で人命を十分に守ることができ、また公共の秩序と人々の安全を守ることができるのであれば、公権の発動はそのような手段に制限されるべきです。そのような手段は、公共善の具体的な状況にいっそうよく合致するからであり、人間の尊厳にいっそうかなうからです。
 実際、今日では、国家が犯罪を効果的に防ぎ、償いの機会を罪びとから決定的に取り上げることなしに罪びとにそれ以上罪を犯させないようにすることが可能になってきたので、死刑執行が絶対に必要とされる事例は、「皆無ではないにしても、非常にまれなことになりました」。

外部サイト

PAGE TOP