教皇の日本司牧訪問 教皇のスピーチ 核兵器についてのメッセージ 長崎・爆心地公園、11月24日

 

核兵器についてのメッセージ
長崎・爆心地公園、11月24日

 愛する兄弟姉妹の皆さん。

 この場所は、わたしたち人間はこれほどのものを人間に対して負わせうる存在であるという、痛みと恐怖を意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が自身の肉体に受けた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。
 人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器の保有は、この望みに対する最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、倒錯した二分法の中にあります。それは、恐怖と不信の心理から支持された偽りの安全保障を基盤とした安定と平和を、擁護し確保しようとするもので、最終的には人と人との関係を毒し、可能なはずの対話を阻んでしまうものです。
 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来の人類家族全体が、相互依存と共同責任によって築く未来に奉仕する、連帯と協働の世界的な倫理によってのみ実現可能となります。
 この地、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結果をもたらすことの証人であるこの町では、軍備拡張競争に反対する声を上げる努力がつねに必要です。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられているにもかかわらず、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは天に対する絶え間のないテロ行為です。
 核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の風潮を打ち破る相互の信頼によって築く、困難ながらも堅固な構造に支えられるものです。1963年に聖ヨハネ二十三世教皇は、回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(同書112[邦訳60]参照)、加えてこう断言しています。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(同113[邦訳61])。
 このところ拡大しつつある、不信の風潮を壊さなくてはなりません。その風潮によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきが顕著な現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき状況を示しているのです。
 カトリック教会としては、民族間、また国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対する、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際条約に則り、たゆむことなく、迅速に行動し、訴えていきます。昨年の7月、日本の司教団は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、合意拡大のたゆまぬ追求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。
 核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の安全保障に対する脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、それを忘れないでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な影響を考えなくてはなりません。核の理論によってあおられる、恐れ、不信、敵意の空気の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な、持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ六世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』51参照)。
 こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとする構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることがきわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日もなおわたしたちの良心を締めつけ続ける、何百万もの人の苦しみに無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。
 心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。
 ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、わたしたち皆がそれぞれの祈りにできると確信しています。

  主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  いさかいがあるところにゆるしを、
  疑いのあるところに信仰を、
  絶望があるところに希望を、
  闇に光を、
  悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

 記憶をとどめるこの場所、わたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないこの場所は、神への信頼の重要性をよりいっそう示します。わたしたちが真の平和の道具となって、過去と同じ過ちを犯さないために働くようにと教えてくれるからです。
 皆さんとご家族、そして全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。

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