教皇フランシスコ、2020年6月7日「お告げの祈り」でのことば

 

教皇フランシスコ、2020年6月7日「お告げの祈り」でのことば

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

 ローマ市民と巡礼者の皆さん、それぞれの信者、家族、そして宗教共同体にご挨拶申し上げます。こうしてこの広場に集まった皆さんにお会いできることは、イタリアにおけるパンデミックの緊急事態が終わったことの表れです。それでも気を抜かないでください。まだ勝利宣言はしないでください。勝利をおう歌するのはまだ早すぎます。感染拡大防止のための規則を引き続きしっかり守らなければなりません。神のおかげでわたしたちは、最悪な事態から脱しつつありますが、それは行政当局が絶えず規則を示してきたおかげでもあるのです。残念ながら、他の国々ではこの感染症のために大勢の死者が出ています。先週の金曜日、ある国では一分間に一人が亡くなりました。恐ろしい事態です。わたしは、それらの国の人々、患者とその家族、そして彼らをケアするすべての人に寄り添うことをお伝えしたいと思います。祈りのうちに、彼らに寄り添いましょう。

(「お告げの祈り」後のことばからの抜粋)

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 三位一体の祭日である今日の福音(ヨハネ3・16-18参照)では、この世界とご自分の被造物に対する神の愛の神秘が――使徒ヨハネの簡潔な口調によって――語られます。ニコデモとの短い会話の中でイエスは、ご自分のことを、この世を救うという御父の計画を成し遂げる存在として示しておられます。イエスは断言します。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(16節)。この箇所が明らかにしようとしていることは、三位一体の神――父と子と聖霊――が働いてくださるのは、まさに人類とこの世界を救うという唯一の愛の計画のためであり、その計画はわたしたちにも向けられているということです。

 神はこの世界を良いもの、美しいものとしてお造りになりました。しかし、罪が犯された後、世界には悪と腐敗が横行し、わたしたち人間は皆、罪びととなっています。ですから神は、この世を裁くために悪を滅ぼし、罪びとを戒めるために介入することもおできになりました。しかしそうではなく、たとえ罪があっても、神はこの世を愛しておられます。たとえわたしたちが過ちを犯し、神から遠ざかっても、神はわたしたち一人ひとりを愛してくださいます。神はこの世を救うためにご自分のもっとも大切な独り子をお与えになるほどに、この世界を愛しておられます。御独り子は、人間のためにいのちをささげ、復活し、御父のもとに昇り、御父とともに聖霊を遣わしてくださいます。だからこそ三位一体の神は愛なのです。それは、ご自分が救い、新たに創造したいと望んでおられるこの世界に完全に向けられた愛です。そして今日、わたしたちは父と子と聖霊の三位一体の神について考え、神の愛を思い巡らします。自分は神に愛されていると感じられるなら、どんなに素晴らしいでしょう。「神はわたしを愛しておられる。」これこそが、今日、感じるべきことです。

 御父はご自分の独り子をお与えになったというイエスのことばを聞くと、わたしたちはすぐに、創世記の中でアブラハムがその息子イサクをささげたことを思い浮かべます(22・1-14)。これは、神の愛の「限りなさ」です。神がどのようにモーセにご自分を啓示されたかを考えましょう。神は優しさにあふれ、あわれみ深く、恵みに富み、忍耐強く、いつくしみとまことに満ちておられます(出エジプト34・6参照)。出エジプト記に記されているように、モーセは主と民の間に入ることを恐れませんでしたが、神に出会ったことにより、神にこのように語りかける力を得ました。「確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください」(34・9)。これこそが、神が御子を遣わしてなさったことです。わたしたちは聖霊の力をもった、御子における子らです。わたしたちは神の嗣業なのです。

 兄弟姉妹の皆さん、この祭日は、神の美に、つまり神の美しさと善と永遠の真理に改めて思いを巡らせるよう招いています。神は美であり善であり謙遜な真理ですが、それと同時に近くにおられるかたでもあります。神はわたしたちの生活に、わたしたちの歴史に、わたしの人生に、それぞれの人の人生に入るために人となられました。それは、あらゆる人が神の美に触れ、永遠のいのちを受けるためです。信仰とは、愛である神を受け入れることです。キリストのうちにご自身を与えておられ、聖霊によってわたしたちに働きかけておられる、愛である神を受け入れ、神との出会いに身をゆだね、神を信頼することです。キリスト者の生き方とは愛すること、神と出会うこと、そして神を求めることです。そして神が最初にわたしたちを探し、わたしたちと会ってくださるのです。

 神の愛を開かれた心で受け入れられるよう、三位一体の神を宿されたおとめマリアがわたしたちを助けてくださいますように。神の愛は、わたしたちを喜びで満たし、この世における旅路に意味を与え、天の国という目的地へとわたしたちを絶えず導いているのです。

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