髙見三明大司教 広島と長崎への米軍による原爆投下75周年に当たって

日本カトリック司教協議会会長の髙見三明大司教(長崎教区)は広島と長崎への米軍による原爆投下75周年に当たって、米国カトリック司教協議会が運営するカトリック・ニュース・サービス(CNS)のインタビューに応じ、米国民に向けて […]

日本カトリック司教協議会会長の髙見三明大司教(長崎教区)は広島と長崎への米軍による原爆投下75周年に当たって、米国カトリック司教協議会が運営するカトリック・ニュース・サービス(CNS)のインタビューに応じ、米国民に向けて平和の福音をあかしするよう呼びかけました。CNSの英文記事の抄訳を以下に掲載します(記事の著作権はCNSにあり、いかなる形の転載もできません)。


【クリーブランド(米中西部オハイオ州)7月15日CNS】広島と長崎への原爆投下から75周年を迎えるに当たって、日本カトリック司教協議会会長の髙見三明大司教(長崎教区)は、「キリスト教国と言える」アメリカに、イエスが生きた平和の福音を証しするよう呼びかけた。
 髙見大司教は7月8日、CNSのメールによるインタビューに応え、「アメリカは、キリストの教える平和の神髄を正しく理解し、それを実践する必要があります」と指摘した。
 「アメリカ国民のほとんどの人は、自分や家族のいのち、あるいは国を守るためには武器が『是非必要である』と確信しているように思えます。しかし武器がどれだけ悲劇を生んでいるかは現実が示しています。武器の所有と使用ではない方法で平和をつくることをぜひ模索してほしいです」と同大司教は強く願っている。
 74歳の髙見大司教は、出身地の長崎に投下された原爆で胎内被爆し、司祭叙階後の48年間、一貫して核兵器廃絶を提唱してきた。同大司教は長崎の原爆投下で破壊された浦上天主堂の焼け跡から見つかった「被爆マリア像」を国連本部に運ぶなどして、原爆の悲惨さと戦争の不条理を世界に示し続けている。
 髙見大司教のメールの文面には、核兵器をめぐる現状に対する憂慮がにじんでいる。同大司教は「教皇フランシスコが言われたように、世界は広島と長崎の悲劇から何も学んでいないと思います」と強調した。
 教皇フランシスコは昨年11月に訪問した長崎と広島で、核の脅威で世界の安全が保たれるとする考え方は「倒錯」していると指摘し、核兵器廃絶への新たな決意と、核兵器の削減または廃絶を可能にする国際条約の締結と履行を促していた。
 髙見大司教はさらに、核兵器の脅威に対する世界の無関心を嘆いている。
 「特に当事者以外の人はその事に対して関心が薄いのは世の常です。世界中のほとんどの人々は当事者ではないので、関心が薄いのも仕方ないかもしれません。しかし、当時のアメリカ政府と軍は(原爆投下の)加害者の立場ですから、当事者であるはずです」
 「現代の核兵器は、広島・長崎の原子爆弾の数百倍の破壊力を持っていると言われています。しかもトランプ大統領は、軽少で破壊力のある新しい核兵器の開発を口にしました。核兵器削減の条約は破棄されていっています。核兵器の脅威は増す一方です。そのために天文学的な桁の財力を費やしています」と髙見大司教は続ける。
 教皇フランシスコも「わたしたち司教団も、声を上げることだけで十分とは考えていません。しかし声を上げ、大きくする必要があります。それは、問題があることを指摘し、為政者たちをはじめ世界中のすべての人々に理解していただく必要があるからです」。
 「それに耳を傾け、核兵器を放棄するのは、為政者の責任です。わたしたちは、彼らの意識に訴える力しかありません。その意味で、キリスト信者の政治家は大きな責任を持っていると感じていただきたいと思います」と髙見大司教は付け加えた。
 髙見大司教はまた、信仰者、とくにカトリック信者に向けて、「まずキリストの教える平和について正しく知る必要があります」と訴えかける。
 「その平和は、キリストが人間の暴力の犠牲になりながら、その死よりも強い愛によって暴力に打ち勝つことでもたらされた平和です。…キリストの教える平和を確信して、その平和を広めるために、全世界のすべての人と協力して核非武装の実現に向けてたゆまない努力を続けなければなりません」と髙見大司教は呼びかけている。
 髙見大司教はインタビューの最後に、全教会内で、「子どもから大人に至るまで、キリストの平和について学ぶ、いわゆる平和教育、それも持続的な平和教育が必要ではないでしょうか」と問いかけた。
 「平和は、一人ひとりのこころの問題とはいえ、神への信仰、人間関係(差別や憎悪がなく、ゆるしと信頼がある、など)、社会環境(教育や医療の制度)、地球環境など、生活環境全体が、より充実したものになることが必要条件でもあると思います」と同大司教は説明した。

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