「カトリック情報ハンドブック2020」巻頭特集

「カトリック情報ハンドブック2020」 に掲載された巻頭特集の全文をお読みいただけます。 ※最新号はこちらから 特集 わたしはあなたに賛美をささげます ~「教会の祈り」に親しむために~ 宮越俊光  「神よ、わたしの口を開 […]


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特集 わたしはあなたに賛美をささげます
~「教会の祈り」に親しむために~

宮越俊光

 「神よ、わたしの口を開いてください。」
 「わたしはあなたに賛美をささげます。」
 「教会の祈り」の一日の初めの祈りは、司式者と会衆によるこのことばから始まります。「教会の祈り」の基本には、神への賛美があるといってよいでしょう。詩編の作者が、「主を賛美するために民は創造された」(詩編102・19)と歌うように、わたしたちはいついかなるときも神を賛美することが求められています。わたしたちを造り、よいものと認め、先に愛してくださった神を受け入れる者にとって、まずなすべきことは神を仰ぎ見て、賛美の祈りをささげることでしょう。
 神への賛美を基本とする「教会の祈り」は、第2バチカン公会議を境に大きく刷新され、司祭や修道者が義務として唱える祈りという従来の考え方ではなく、神の民全体の公の祈りとして位置づけられました。しかしながら、信徒の間に定着したとはいいがたく、さらなる普及が求められます。「教会の祈り」の成り立ち、構成要素、その内容に関して解説するこの特集を通して、多くの皆さんに「教会の祈り」に親しんでいただきたいと思います(なお本稿では「教会の祈り」は聖務日課と呼ばれてきた典礼を示し、『教会の祈り』は実際に唱える際に用いる日本語版の儀式書を示しています)。

1.「教会の祈り」―教会の公的な祈り

 「たえず祈りなさい」(一テサロニケ5・17)、「どのような時にも、〝霊〟に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、たえず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェソ6・18)。使徒パウロのこの勧めに従って、信者は一人でも、また共同体としても祈りを大切にし、聖務日課として整えられた典礼の中で、「教会の公的な祈り」(『典礼憲章』98)をささげてきました。
 『カトリック教会のカテキズム』は、「教会の祈り」のあり方を、祝福と礼拝(2626-2628)、懇願の祈り(2629-2633)、執り成しの祈り(2634-2636)、感謝の祈り(2637-2638)、賛美の祈り(2639-2643)の5つの側面から説明しています。祝福も礼拝も、わたしたちにたえず恵みを注いでくださる神に対する人間の応答です。懇願の祈りとは、神の国の到来に希望をおいて、ひたすらに祈り求めることです。執り成しの祈りとは、自分のためではなく他者のために、すべての人のためにささげるキリスト者の祈りの基本です。感謝は、「どんなことにも感謝しなさい」(一テサロニケ5・18)というパウロのことばを受け入れた教会の祈りの特徴です。そして賛美は、「神を神としてもっともはっきりと認める祈りの形」、「神ご自身のゆえに神をほめ歌い、神に栄光を帰するもの」といわれています。
 このようなキリスト者の祈りの多様な側面を、「教会の祈り」を構成する一つ一つの要素は示しています。こうした祈りの特徴をすべて含んでいるからこそ、「教会の祈り」は教会の公的な祈りであるといわれるのでしょう。

2.3つの名称―「聖務日課」「時課の典礼」「教会の祈り」

 現在、日本で用いられている「教会の祈り」の本は、1973年9月に発行されました。書名は『教会の祈り(新しい聖務日課)』です。従来は、「聖務日課」や「聖務」あるいは英語で「オフィス」などと呼ぶことが多かったのではないでしょうか。
 「聖務日課」とはラテン語のOfficium Divinum(英語ではDivine Office)の訳です。直訳すれば「神聖な務め」すなわち「聖務」に相当しますが、「日課」は含まれていません。日本語訳に加えられたこの「日課」は、後述するようにこの祈りの変遷の中で強調されるようになった一つの側面といえます。「聖務日課」は、従来は広く用いられた名称でしたし、現在でも使用される名称ですが、司祭や修道者が務めとして唱える祈りという印象を与えたかもしれません。
 第2バチカン公会議の『典礼憲章』は、第4章で聖務日課の改訂について述べています。その中で伝統的な「時課」に立ち返ることが示されたことにより、聖務日課のための公式の儀式書にLiturgia Horarum、すなわち「時課の典礼」という名称が与えられました。第2バチカン公会議前には、各時課に定められた祈りを唱えることが難しくなり、一日のうちに唱えるべき祈りという「日課」の側面に傾いてきたことを踏まえ、伝統的な「時課」を回復するためにどのような改訂が必要かが検討されました。したがって、「時課」とは、一日の一定の時刻に割り振られた祈りを通してその日を神にささげ、聖化されることを大切にした名称です。また、「典礼」には、この祈りが個人の祈りではなく教会共同体としてささげる賛美の祈りであるという意味が込められています。
 こうした共同体の祈りとしての側面を表す名称が「教会の祈り」です。『教会の祈り』の序文で、当時の典礼委員会委員長であった長江恵司教は、この名称について次のように述べています。
 「聖務日課はラテン語では『時課の典礼』と呼ばれることになり、一日を時間割にして、つまり日常生活の中で、神を賛美する公の祈りの面が表わされることになったが、日本語では『教会の祈り』と呼ぶことによって、司祭・修道者など特定の人びとのためのものではなく、神の民みんなの祈りであることを表わすことになった。本書が多くの信者にとって祈りの書となるようにとの期待がこめられているのである」。
 キリストの名のもとに集う人々、すなわち教会(エクレシア)がともに唱える賛美の祈りであることを表すため、儀式書の名称として『教会の祈り』が採用されました。

3.「教会の祈り」の歴史

ユダヤ教の伝統と初代教会の時代
 一日の決まった時刻に神に祈りをささげるキリスト教の習慣は、ユダヤ教から受け継いだものです。聖務日課のように厳密なかたちではありませんが、旧約時代からすでに一定の時刻に祈る習慣がありました。
 もっとも代表的なものは、「聞け(シェマー)、イスラエルよ」(申命記6・4)で始まる「シェマーの祈り」と呼ばれる信仰告白の祈りです。申命記6・4-9、同11・13-21、民数記15・37-41に基づく祈りで、朝と晩に唱えることになっていました。
 旧約にはほかに、一日に複数回の祈りがささげられたという記述もあります。「ダニエルは……エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた」(ダニエル6・11)。「王様、ユダヤからの捕囚の一人ダニエルは……日に三度祈りをささげています」(同6・14)。また、詩編では、「夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる」(詩編55・18)、「日に七たび、わたしはあなたを賛美します」(同119・164)とも歌われています。
 使徒の時代、最初のキリスト者たちは生活の中で祈りを大切にしていました。「彼らは……祈ることに熱心であった」(使徒言行録2・42)。新約の記述だけでは、キリスト者たちの間で特定の時刻の祈りがどの程度広まっていたのかは不明ですが、たとえば、聖霊降臨の出来事は朝の9時と関連づけられています(同2・15)。また、ペトロとヨハネは午後3時の祈りのときに神殿に上り(同3・1)、ヤッファという町に近づき、ペトロが祈るために屋上に上がったのは昼の12時ごろでした(同10・9)。
 キリスト者の祈りに関する規定について初めて言及しているのは、2世紀初めごろの『ディダケー(12使徒の教え)』と呼ばれる文書です。「主の祈り」に言及する箇所(8・3)で、一日に3回このように祈りなさいと勧めています。3世紀の教父テルトゥリアヌスは、上記の使徒言行録の3箇所に言及しながら第3時、第6時、第9時の祈りについて説明しています。また、朝と晩の祈りはキリスト者にとって当然の義務であるとも述べています。
 3~4世紀に書かれた『使徒伝承』41は祈るべき時について述べ、信者は朝、目覚めたら、仕事に取りかかる前に神に祈るよう勧めています。さらに、第3時、第6時、第9時、寝る前、そして真夜中に祈ることについて述べ、それぞれの時刻をキリストの生涯の出来事に関連づけて説明しています。
 このように一日の特定の時刻に祈りをささげる実践の中で、朝と晩の祈りがとくに大切にされました。朝の祈りでは新しい朝の賛美の要素が強調され、晩の祈りでは暗闇を照らす不滅の光であるキリストへの感謝が強調されました。このことを象徴するように、晩の祈りでは助祭がともし火を持って参加しました(『使徒伝承』25)。
 
司教座聖堂と修道院における聖務日課
 4世紀初めにキリスト教がローマ帝国で公認されると、キリスト者たちの祈りの実践に変化が見られます。それまでは修道院や個人の家庭などで行われていた祈りが、朝と晩に共同で公に行われるようになり、都市の司教座聖堂(カテドラル)がその場となりました。信者はおもに朝と晩に司教座聖堂に集まり、司教や司祭とともに教会共同体としての祈りをささげることが広まりました。この司教座聖堂で行われる聖務日課は、賛歌、詩編の唱和、教会と世界のための祈願などによって構成され、上述したように、朝には新しい朝の光を賛美し、夜はともし火をともして、キリストの光が世を照らすことへの感謝の祈りがささげられました。
 こうした司教座聖堂で行われる聖務日課とともに、修道院の聖務日課も独自の発展を遂げました。修道院では絶えざる祈り(一テサロニケ5・17)をささげることを基本としており、エジプトの修道士で共住修道生活の創始者であるパコミオス(290年頃~347年)は、修道者にとって絶えざる祈りは義務であるとしました。修道院では、朝・日中・晩、寝る前、そして深夜の5回の祈りを詩編と聖書の朗読とともに行う習慣があり、東方教会の各地では独自の発展を遂げました。
 西方教会では、6世紀以降、ローマ式の聖務日課として確立される時課の祈りが定着していきました。これに貢献したのがヌルシアの聖ベネディクト(480年頃~547/60年)です。彼は後の西方修道院制の基礎となる『戒律(Regula)』を著し、その中で修道者の生活様式はもちろん、たえず祈ることの実践として7つの時課を定めました。
 「預言者の言葉に『日に七度わたしはあなたを賛美する』(詩編119・164)とあります。この七の聖数は、朝課、一時課、三時課、六時課、九時課、晩課、終課の時間に、わたしたちの奉仕の義務を果たすことで守られます。『日に七度わたしはあなたを賛美する』とあるのは、これらの日中の時課を指します」(『戒律』16章、古田暁訳)。
 そしてこれら7つの時課に加えて、「夜半に起きてあなたを賛美する」(同。詩編119・62)という詩編に倣って、深夜に起きて祈ることも勧めています。さらにベネディクトは、これらの各時課に詩編をどのように割り振るかを定め、150編の詩編を毎週唱えることとしましたが、これについて、「一週間のうちに全詩編と慣例の詠頌とを唱えられない修道士は、このうえもなく怠惰で、神に対する奉仕にあまりにも熱心さが欠けていると考えなければなりません」(『戒律』18章)と述べています。
 ベネディクトの『戒律』に基づく聖務日課の実践は、その後修道院だけにとどまらず、ローマ教会においては司教座聖堂や小教区教会堂での聖務日課にも影響を与えるようになり、修道院の聖堂のように、中央通路の両側に歌隊席を設け、詩編を交互に唱える交唱も行われました。
 こうして修道院的な聖務日課が実践されていく中で、一般民衆にとっては、聖務日課は近づきがたい祈りの形となっていったようです。すなわち、民衆にとって理解できなくなったラテン語でささげられる長い祈りは、人々の信仰生活を支える祈りとはなりえず、聖務日課は聖職者や修道者などの特定の人が義務として唱えるものという理解へと変わっていきました。

時課の典礼から「ブレヴィアリウム」へ
 聖務日課のためには専用の儀式書が編集されましたが、それらは通常、聖務日課の中での役割に応じて別々の書物として作られました。詩編をまとめた詩編書(Psalterium)、聖書朗読箇所をまとめた朗読書(Lectionarium)、賛歌をまとめた賛歌集(Hymnarium)、交唱や先唱句を収めた交唱集(Antiphonarium)、司式者が唱える祈願を集めた祈願集(Collectarium)などです。このように個別に編集された儀式書は、修道院のように役割を分担して聖務日課を唱える場合には便利でしたが、小教区での司牧にあたる司祭やローマ教皇庁で働く司祭などにとっては不便だったため、10世紀ごろから、聖務日課に必要な要素をまとめた簡便な書物が編集されました。これはラテン語で「短くされたもの」「縮約版」という意味で「ブレヴィアリウム(Breviarium)」と呼ばれました。これは後に、聖務日課で用いる儀式書の書名として定着することになります。
 こうした簡便な聖務日課の書物の代表的なものとして、教皇インノチェンチオ3世(在位1198年~1216年)の時代の『ローマ教皇庁のブレヴィアリウム(Breviarium Romanae Curiae)』 があります。この書は、定住生活を行わない修道者、とくにフランシスコ会のような托鉢生活をしながら街角で説教をするような活動的な修道会に歓迎されました。同時に、教区の司祭たちの間にも広まり、やがて教会全体へと普及していきました。また、司祭や修道者が共同体としてではなく個人的な祈りのためにブレヴィアリウムを使用するようになると、個人的な信心の祈りが書き加えられました。こうした信心的要素は修道会ごとにも加えられ、会に固有の歌や祈りが聖務日課に採用されました。そして、かつては共同で集まって祈ることを大切にしていましたが、しだいに個人的に祈ることのほうが主流になり、特定の時刻に集まって決まった祈りを唱える「時課」の概念は稀薄になっていきました。
 こうした状況に鑑み、聖務日課の改訂が考えられ、教皇クレメンス7世(在位1523年~34年)が改訂の仕事をゆだねた枢機卿のキニョネス(1482年頃~1540年)によって、1535年に通称「十字架の聖務日課」と呼ばれるものが発表されました。これは、後から聖務日課に付加された信心的内容を取り除いたという点で評価されますが、共唱の要素を取り去り、個人的な使用のために編集されたため、根本的な改訂には至りませんでしたが、多くの版を重ねました。
 聖務日課の大きな改訂は、トリエント公会議後に行われました。教皇ピオ5世(在位1566年~72年)はいわゆる「トリエントのミサ」として知られる『ローマ・ミサ典礼書』を1570年に公布しましたが、これに先立って1568年に、『ローマ聖務日課(Breviarium Romamun)』の規範版を全教会で共通に用いる公式版として公布しました。基本的には修道院での時課の伝統を受け継ぎ、教会全体のための祈りとなることが意図されていました。けれども、司牧活動を行う司祭には、特定の時刻に決まった祈りを唱える「時課」を守ることは負担となり、唱えられなかった時課の分をまとめて別の時刻に唱える場合もありました。そのため、「聖務日課」が文字どおり表しているように、「聖職者が一日のうちに義務として唱えなければならない日課」の側面が強調されました。
 こうした『ローマ聖務日課』に対して、17~18世紀ころから何度か改訂が試みられましたが根本的な改訂には至らず、20世紀になって教皇ピオ10世(在位1903年~14年)の時代にようやく詩編書の改訂が始まり、教皇ピオ12世(在位1939年~58年)は1945年に新しく改訂された詩編書の使用を認めましたが、部分的な改訂にとどまっており、抜本的な改訂は第2バチカン公会議を待たねばなりませんでした。

第2バチカン公会議による刷新
 第2バチカン公会議による典礼刷新は多岐にわたりますが、聖務日課についても大きな刷新がなされました。『典礼憲章』は第4章で聖務日課の刷新について取り上げ、方向性を示しました。その特徴をいくつか挙げておきましょう。

①教会がキリストとともにささげる神への賛美(『典礼憲章』83-84)
 典礼が頭であるキリストとそのからだである教会による神への礼拝であること(『典礼憲章』7)に基づき、聖務日課においても、キリストが祭司としての務めを「ご自分の教会を通して果たし続けて」おり、教会はミサだけでなく「とくに聖務日課を果たすことによって主を絶え間なく賛美し、全世界の救いのために執り成す」と述べています。この「神への賛美を通して昼も夜も一日のすべてが聖別され」、教会が唱える賛美の祈りは、「花婿に語りかける花嫁の声そのものであり、まさに自分のからだとともに御父にささげられるキリストの祈り」となります。

②時課の構成の刷新(『典礼憲章』88-89、94)
 「聖務日課の目的は一日の聖化であるので、伝統的な諸時課の流れを改訂し、できるかぎり諸時課の本来の時刻が復元される」という方針が示されました。その際、「とくに使徒職に携わる人々の置かれている今日の生活状況も考慮」され、現代の人々の多様な生活形態に適応できる聖務日課となることが目指されました。
 具体的には、「朝の祈り」と「晩の祈り」が、「毎日の聖務日課の二大枢軸、主要時課」となり、中心となるべき時課であることが再確認されました。また、終課は、一日を締めくくるにふさわしい「寝る前の祈り」として位置づけられました。夜半や未明に唱えていた朝課は、夜の賛美としての性格を残しながらも、「一日のどの時刻にでも唱えることができるよう」になり、「読書」と呼ばれるようになりました。さらに、「朝の祈り」との重複を避けるために従来の一時課は廃止され、観想修道院などでは三時課、六時課、九時課の小時課が守られるとともに、それ以外の人々は3つの時課から一つを選ぶことが認められ、これは「昼の祈り」という時課になりました。

③詩編の配分の見直し(『典礼憲章』91)
 時課の構成の刷新に伴い、各時課で唱える詩編の配分も見直されました。従来の1週間で詩編全体を唱える配分では、時課を実際に守ることができない人が生じるようになったことから、より長い期間にわたる配分へと改訂されることとなり、最終的には4週間の配分へと変更されました。

④共同体の祈りとしての聖務日課(『典礼憲章』99-100)
 聖務日課は、「教会すなわち神を公的にたたえる全神秘体の声」という理解に基づき、司祭が共同生活をしていたり一同に集まったりする場合に共同で唱えることが望ましいこと、司牧者は主要な時課である「晩の祈り」が、主日と祭日に教会で共同で唱えられるよう配慮し、「信徒自身も、司祭とともに、または互いに集まって、あるいは各自単独であっても、聖務日課を唱えることが」勧められています。日本語版の『教会の祈り』という名称が示しているように、神に呼び集められた教会全体のための祈りであることが強調されました。

⑤キリストの過越の神秘の記念
 キリストの死と復活、すなわち過越の神秘の記念はミサにおいて頂点に達しますが、第2バチカン公会議はすべての典礼が、キリストの過越の神秘と固く結ばれていることを強調しました。このことは聖務日課にも当てはまります。従来はミサと聖務日課との関連性はあまり意識されませんでしたが、現在はその日のミサで記念するキリストの救いの出来事とのつながりをより強く意識することとなりました。そのことは、福音の歌、聖書の朗読、詩編の配分などを通して示されています。

4.時課を構成する要素

初めの祈り(「総則」34-36)
 一日の最初に「教会の祈り」を唱えるとき、すなわち「読書」の前か「朝の祈り」の前には、「初めの祈り」から始めます。「神よ、わたしの口を開いてください。わたしはあなたに賛美をささげます」という唱句に続いて、詩編交唱が行われます。詩編交唱では、詩編95のほかに詩編100、67、24から選ぶことができますが、その日に同じ詩編を2回唱えないようにします。詩編95はほかでは用いられないのでいつでも用いることができますが、他の3つの詩編は詩編の配分と重なる場合があるので注意が必要です。詩編交唱の交唱はその日の暦に従って選びますが、記念日には週日のものを使うことができます。
 共唱する場合は、先唱者が交唱を唱えてから一同が交唱を繰り返し、さらに詩編の段落ごとに交唱を繰り返します。『教会の祈り』では、上段に詩編が掲げられ、下段に交唱が掲げられているので、その日に使う交唱を決めてそのページを開き、上段の詩編の段落ごとに交唱を挿入し、詩編の最後に栄唱を唱えてから、もう一度交唱を唱えます。個人で唱える場合は、交唱は詩編の初めと終わりのみに唱え、途中の交唱を省くこともできます。

初め(「総則」41、69、79、85)
 「初めの祈り」を唱えた時課を除く他の時課は、「初め」から始めます。「神よ、わたしを力づけ、急いで助けに来てください」に続いて栄唱を唱えます。栄唱の「アレルヤ」は四旬節にのみ省き、主日にも週日にも唱えます。

賛歌(「総則」42、61、79、87、173-178)
 詩編唱和の前に、どの時課でも賛歌(hymnus)を歌います。賛歌の役割は、「各時課あるいは祝日に固有の色彩を与え、また、特に会衆とともに『教会の祈り』をささげるときに、よりたやすく、より楽しく祈りに導入すること」にあります。『典礼憲章』93は聖務日課における賛歌の改訂について言及しており、膨大な賛歌の中から250曲を超える賛歌が選ばれました。
 ミラノのアンブロシウスやシリアのエフレムに代表されるように、古代から西方教会においても東方教会においても、詩としての美しさを備えた多くの賛歌が作られました。こうした詩の美しさを保ちつつ国語に翻訳することは非常に難しい作業となります。司教協議会には、ラテン語の伝統的な賛歌を国語の性質に合わせて改め、新しい賛歌を作る権限が与えられています。
 日本語版の『教会の祈り』には賛歌の訳詞は載っていないので、聖歌集から、時課、季節、祝日に合ったものを選びます。

詩編唱和(「総則」43、62、79、88、100-137)
 詩編唱和(Psalmodia)は各時課の中心です。『典礼憲章』91は、各時課で唱える詩編の配分の改訂に言及しました。それを受けて、現在の「教会の祈り」では4週間の配分が採用されています。この配分が作られるに際しては、詩編の省略はごくわずかに限られ、伝統的に大切にされてきた詩編は繰り返し唱えることになりました。また、「朝の祈り」、「晩の祈り」、「寝る前の祈り」のためには、各時課にふさわしい詩編が配分されるよう考慮されました。すなわち、「朝の祈り」と「晩の祈り」には、多くの信者の参加が望まれていることに鑑み、会衆が参加して唱えるのに適した詩編が選ばれています。また、主日には、「読書」と「昼の祈り」のためにも、主の過越の神秘を思い起こすために伝統的に用いられてきた詩編が選ばれ、金曜日には回心や受難と関連づけることのできる詩編が選ばれました。詩編119のように長い詩編は一つの時課では唱えることができないので、いくつかに分けて数日にわたって同一の時課で唱えます。なお、呪いの色彩の強い詩編58、83、109の3つは省かれました。
 詩編を唱えるときは、指定された先唱句を唱え、一つの詩編の結びには栄唱「栄光は父と子と聖霊に…」を唱えます。これは、旧約の祈りである詩編に賛美の意味を加えるとともに、キリスト論的、三位一体論的意味を与えて詩編をキリスト者の祈りとするためです。栄唱の後は、適当であれば先唱句を繰り返します。日本語版『教会の祈り』は、詩編の結びでは先唱句は原則として繰り返さないことを想定して編集されています。先唱句には「アレルヤ」を加えるときと加えないときがあります。復活節にはすべての先唱句に「アレルヤ」を加えます。一方、四旬節には主日であっても週日であっても「アレルヤ」はすべて省きます。また、年間の主日には「アレルヤ」を付けますが、週日には省きます。このような違いを通して、典礼の季節感を感じ取ることができます。
 「朝の祈り」と「晩の祈り」には、それぞれ旧約の歌、新約の歌が一つずつ含まれています。「朝の祈り」では習慣に従い、2つの詩編の間に旧約の歌が置かれています。4週間の詩編の配分の中で、主日を除く各日ごとに固有の旧約の歌が配分されています。主日にはダニエル書の3人の若者の歌が2つに分けられて隔週で歌われます。
 「晩の祈り」では、2つの詩編の後に使徒の書簡と黙示録にある新約の歌を歌います。7つの歌が選ばれ、1週間の各曜日に割り振られています。
 詩編唱和も聖書朗読も、旧約―使徒書―福音書(福音の歌)という伝統的な流れを守った構造になっています。すなわち、「朝の祈り」では、詩編・旧約の歌・詩編(旧約)―神のことば(使徒書)―福音の歌と交唱(福音書)、「晩の祈り」では、2つの詩編(旧約)―新約の歌と神のことば(使徒書)―福音の歌と交唱(福音書)という流れです。
 各詩編には、詩編の理解を助けるための要素が加えられています。第1主日の「朝の祈り」の第1唱和を例に見てみましょう(『教会の祈り』39ページ以下)。詩編63には「神を慕う心」という表題がつけられています。この表題は読み上げませんが、詩編の意味と重要性を示すものです。
 表題の次には段を下げて小さい文字で新約聖書の一節「かわいている者は、わたしのところに来て飲みなさい(ヨハネ7・37)」が記載されています。このことばも読み上げませんが、旧約の民の祈りである詩編をキリスト者が理解するための助けになることばが選ばれています。この第1唱和の詩編は表題にあるように「神を慕う心」を歌うので、そのことをヨハネ福音書のイエスのことばを通して味わい、黙想することができます。実際に唱えるときは、この新約の一節を一同が黙読できるぐらいの間を取るのもよいでしょう。
 そして、詩編の本文を唱える前に置かれているのが先唱句です。先唱句には、「詩編の文学類型を明らかにするのに役立ち、詩編を自分の祈りにかえさせ、また見のがしやすいが注目に価することばを浮きぼりにし、ある詩編には種々の状況に応じて特別の色合いを与え、さらに根拠のない適応を排除する限り、詩編のもつ象徴的または祝祭的意味を理解するのを助け、詩編唱和に楽しみと変化をもたせる」役割があります。先唱句は典礼の季節に応じて指示されているものを使います。

神のことば(「総則」44-48、79、89、156-158)
 「読書」を除く各時課では、詩編唱和に続いて短い聖書の朗読(Lectio brevis)が行われます。このラテン語を直訳すれば「短い朗読」となりますが、『教会の祈り』では「神のことば」と訳されました。
 「神のことば」は、詩編唱和の周期に従って異なる箇所が選ばれています。年間では、4週間の詩編の配分に合わせて朗読箇所が変わります。さらに、待降節、降誕節、四旬節、復活節には週による系列があり、祭日と祝日そして特定の記念日には固有の箇所が選ばれています。また、「寝る前の祈り」には1週間分の系列が用意されています。
 この神のことばの選択に際しては、福音書はミサで朗読するので福音以外から選ぶこと、可能なかぎり主日ならびに金曜日と各時課の特徴を生かすこと、「晩の祈り」では新約の歌に続くよう新約聖書から選ぶこと、という点が考慮されています。
答唱(「総則」49、89、172)
 「神のことば」の後には、読まれたことばを黙想するための沈黙のひとときをとり、それに続いて「答唱」を唱えます。「答唱」は詩編の一節を用いて、朗読された「神のことば」に答える内容になっています。

福音の歌(「総則」50、89)
 続いて、「朝の祈り」には「ザカリアの歌(Benedictus)」、「晩の祈り」には「マリアの歌(Magnificat)」、そして「寝る前の祈り」には「シメオンの歌(Nunc dimittis)」が歌われます。いずれもルカ福音書から取られたこれらの歌は、「ローマ教会の中で幾世紀もの間人々に親しまれてきたもので、あがないの賛美と感謝」を表すものです。聖ベネディクトも『戒律』の中で、福音の歌について言及しています(『戒律』12、13、17章)。
 福音の歌の前後には交唱を歌います。「ザカリアの歌」と「マリアの歌」の交唱のことばは、原則として主日・祝祭日(四旬節・復活節などには週日にも)、ミサの福音朗読から選ばれています。「教会の祈り」では福音朗読は行われませんが、この交唱を通して、「教会の祈り」においてもミサで記念されるキリストの救いのわざを思い起こすことができます。
 福音の歌は、「福音朗読を聞くときと同じ荘厳さと品位をもって」歌われるよう定められています。そのため、それぞれの歌を始めるときには起立し(「総則」263)、各自が十字架のしるしをします(同266c)。また、「ザカリアの歌」と「マリアの歌」が歌われる間には、祭壇、司祭、会衆に献香することができます(同261)。このような特別な所作などを通して、福音の歌はそれを歌う時課において、いわばミサの福音朗読のように位置づけられていることが示されています。

共同祈願(「総則」51、179-193)
 「朝の祈り」と「晩の祈り」には共同祈願(Preces)を唱えます。この祈りは神のいつくしみと恵みを願い求める嘆願の祈りで、4世紀末のエルサレムでは「晩の祈り」の中で連願形式の祈りとして行われており、こうした嘆願の祈りはその後、ミサや聖務日課に取り入れられていきました。
 共同祈願は、神への賛美の祈りと嘆願の祈りを結びつけるユダヤ教とキリスト教の伝統を受け継ぐものです。第2バチカン公会議を経て、ミサの中に共同祈願が再び採用されたのと同じように(『典礼憲章』53)、「教会の祈り」にも導入されることとなりました。
 日本語版『教会の祈り』には通常、4つの意向が掲げられています。これらは、ラテン語規範版からのそのままの訳ではなく、日本で独自に作成された意向です。「朝の祈り」の意向は、その日一日と働きを神にささげる賛美の祈りの特徴をもっています。また「晩の祈り」の意向は、一日を過ごすことができたことへの感謝と共同体のための祈りで、とくに最後の意向は亡くなった人々のためにささげられます。
 なお、各共同体でふさわしい意向を準備することもできます。その際には、ミサの共同祈願と同じように、全教会と全世界の救いのための祈りであることを踏まえ、普遍的な意向を作ることを大切にし、教会とその位階のため、国を治める人のため、困難な状況に置かれている人のため、全世界の必要のため、平和のためなどを念頭に置きます。

主の祈り(「総則」52、194-196)
 前述したように、2世紀初めころに書かれた『ディダケー(12使徒の教え)』は、主の祈りを一日に3回唱えることを勧めています。また、聖ベネディクトは『戒律』13章で、「朝の祈り」と「晩の祈り」に主の祈りを唱えることを述べています。
 現在の「教会の祈り」では、会衆とともに唱えることが勧められている「朝の祈り」と「晩の祈り」で主の祈りを唱えます。そして、教会は毎日のミサにおいても主の祈りを唱えます。こうして、主の祈りを一日に3回唱えるという古代教会の伝統に立ち返り、毎日の主要な典礼の中で、キリストが教えてくださった祈りを心を込めて唱えています。

結びの祈願(「総則」53、69、79、90)
 各時課には、締めくくりの祈りとして「結びの祈願」を唱えます。この祈願は、「読書」ではミサの集会祈願と同じものを唱えます。また、「朝の祈り」と「晩の祈り」では、主日、待降節・降誕節・四旬節・復活節の週日、祭日と祝日には固有のものを唱え、年間の週日には、各時課の性質を表すためにその日の「年間共通」から唱えます。

祝福、結び(「総則」54、69、79)
 「朝の祈り」と「晩の祈り」を司祭または助祭が司式する場合は、ミサと同じように「主は皆さんとともに」のあいさつと祝福があり、最後に「行きましょう、主の平和のうちに」ということばで派遣をして結びます。司祭または助祭が不在で信徒が司会する場合には、「賛美と感謝のうちに」「アーメン」で結びます。
 「寝る前の祈り」の祝福は「この夜を安らかに過ごし…」という、この時課の特徴に合ったことばを唱えます。

「寝る前の祈り」の聖母賛歌(「総則」92)
 日本語版『教会の祈り』では「聖母賛歌」と訳されていますが、ここで歌われる聖歌は規範版では「聖母マリアのアンティフォナ(Antiphona de B. Maria Virgine)」と呼ばれています。「寝る前の祈り」の結びにマリアのアンティフォナを歌う習慣は、13世紀ころに、シトー会、ドミニコ会、カマルドリ会などの修道会で始まりました。
 伝統的には、“Alma Redemptoris Mater”(『典礼聖歌』372「救い主を育てた母」)、“Ave, Regina caelorum”(同373「天の元后・天の女王」)、“Salve, Regina”(同374「元后あわれみの母」)、“Regina caeli”(同375「天の元后喜びたまえ」)が歌われており、かつてはこれらを一年の特定の期間に割り振って歌っていました。現在では“Regina caeli”を復活節に歌う以外に規定はありません。また、司教協議会が認可したそのほかの聖母のアンティフォナを歌うこともできます。

栄唱(「総則」41、60、79、85、123-125、174)
 時課の「初め」では、唱句に続いて栄唱「栄光は父と子と聖霊に、初めのように、今もいつも世々に。アーメン」を唱えます。
 また、詩編唱和では、一つの詩編全体が終わるときは、習慣に従って結びに栄唱を加えます。これは、旧約の祈りである詩編に、賛美の意味とキリスト論的・三位一体論的意味を付け加えるためです。
 さらに、各時課で歌われる賛歌も、通常の栄唱とことばは異なりますが、伝統的に神のペルソナである父と子と聖霊に向けた賛美で結ばれます。

「教会の祈り」を歌うこと(「総則」267-284)
 「教会の祈り」は神に対する神の民による賛美です。この神への賛美は、歌うことによっていっそうふさわしいものとなります。「『教会の祈り』を歌うことはこの祈りの性質にいっそうかなったことであり、神への賛美の中でいっそう荘厳さをあらわすとともに、人々の心の深い一致のしるし」となります。「祈りをより味わい深く表現したり心の一致を推進したり」、「荘厳さを加えて聖なる祭儀を豊かにする」(『典礼憲章』112)といった教会音楽の目的は、「教会の祈り」にとっても大切にされるべきでしょう。
 「教会の祈り」の構成要素の中には、歌われることによってこそその意味が十全に表現されるものがあります。たとえば、詩編、聖書の歌、賛歌、答唱などです。これらはいずれも歌うことを前提にして作られたものですから、できるかぎり歌うことが望ましいものです。
 ミサと同じように「教会の祈り」においても、とくに主日と祝日には歌を用いること、また時課の中でもとくに重要な「朝の祈り」と「晩の祈り」を歌によって際立たせることが勧められています。同時に、「段階的」荘厳化の原理の適用も可能です。「段階的」荘厳化の原理とは、「教会の祈り」の全体を歌うことと全体を単に唱えることとの間にいくつかの段階を設けることです。すなわち、その日や時課の特徴、「教会の祈り」を構成する各要素の特徴、共同体の人数や歌に関する習熟度、先唱者の数などを考慮して、どの部分を歌い、どの部分を唱えるかを決めることになります。こうした状況に応じた対応も場合によっては必要となります。
 「教会の祈り」を歌うときは巻末の楽譜、または『典礼聖歌』361以降を用います。詩編唱和のためには、とくに「朝の祈り」と「晩の祈り」には、他の時課よりも豊かな旋律が用意されています。『教会の祈り』でこの2つの時課の詩編と旧約・新約の歌を見ると、各行のことばの右側に傍線が付けられています。これは、この傍線の位置で音が変わることを示しています。歌うことに慣れれば、楽譜ではなく本文を見ながらでも歌うことができるでしょう。また、「福音の歌」の交唱の文字の左側につけられている傍点も音が変わる(下がる)位置を示しています。

沈黙(「総則」201-202)
 『典礼憲章』30で、「しかるべきときには、聖なる沈黙を守らなければならない」と述べられているように、第2バチカン公会議後の典礼では、沈黙に積極的な意味を与えて、一つの典礼行為として位置づけています。したがって、「教会の祈り」においても、沈黙のひとときをふさわしく挿入することが大切です。
 この沈黙は、「聖霊の声を心の中によくひびかせるため」、「個人の祈りを神のことばや教会の公の声に深く一致させるため」にふさわしいところで守られます。たとえば、各詩編の後、神のことばに続く答唱の前か後が勧められています。

5.「教会の祈り」の時課

 第2バチカン公会議を経て改訂された現在の「教会の祈り」は、「日に七たび、わたしはあなたを賛美します」(詩編119・164)という詩編のことばに基づく伝統的な7つの時課を、現代の人々の生活状況などへの適応を加えながら受け継いでいます。

「読書」(「総則」55-73、143-155、159-171)

初めの祈りまたは初め
賛歌
詩編唱和:第1唱和、第2唱和、第3唱和
唱句
読書:第1朗読(聖書から)と答唱
   第2朗読(教父や教会著述家の著作・聖人伝などから)と答唱
賛美の賛歌(四旬節以外の主日、主の降誕と復活の8日間、祭日と祝日に)
結びの祈願
結び

 第2バチカン公会議による改訂により、夜半や未明に唱えていた朝課は、一日のうちのどの時刻にも唱えることができる「読書」と呼ばれるようになり、厳密な意味での「時課」の性格はなくなりました。
 「朝の祈り」の前に「読書」を行う場合は「初めの祈り」から唱え、そうでない場合は「初め」の唱句と賛歌を唱え、詩編唱和を通常どおり唱えます。詩編唱和の後、先唱と答唱による短い唱句を唱えてから、聖書と教父の著作の朗読へと移ります。
 第1朗読では聖書が朗読されます。「読書」のための聖書の朗読配分として、1年周期と2年周期の2種類が用意されており、いずれかを自由に選ぶことができます。2年周期の配分は、聖書の大部分の書物を「教会の祈り」で読むことができるよう考えられています。また、ミサで朗読するには長い箇所や難解な箇所を読むことができるようになっています。2年周期の配分に基づく聖書の箇所は、毎年発行される『教会の祈り―日々の手引き』や『教会暦と聖書朗読』の付録に掲載されています。
 第1朗読の後には答唱を唱えますが、日本語版『教会の祈り』にはまだ掲載されていません。そのため、沈黙のひとときをとって朗読された聖書の箇所の黙想にあてます。あるいは、朗読された聖書の箇所から、祈りのために助けとなるような短い箇所を繰り返して読むこともできます。
 第2朗読は、教父や教会著作家による聖書の注解や説教、典礼季節や祝日についての解説、教会の公文書の抜粋などが朗読されます。いずれも教会の偉大な遺産と伝統の宝庫を開いて、霊的生活の基礎と信仰の糧となるような重要なものが選ばれています。また、聖人の祝祭日や記念日には、祝われる聖人自身の著作や手紙、あるいはその聖人について書かれたものの一節が読まれます。日本語版『教会の祈り』には第2朗読は掲載されていませんが、後に翻訳されて『毎日の読書』全9巻として発行されています。なお、第2朗読後の答唱も『毎日の読書』には掲載されていないので、第1朗読と同じように沈黙のひとときをとるようにします。
 2つの朗読に続いて、四旬節以外の主日、主の降誕と復活の8日間、祭日と祝日には「賛美の賛歌」(テ・デウム)が歌われます。週日と記念日には歌いません。
 「結びの祈願」は、主日と祝祭日にはその日の固有の祈願、週日には共通祈願を唱えます。記念日には祝日固有の部分の当日の箇所で指示された読書祈願から唱えます。

「朝の祈り」と「晩の祈り」(「総則」37-54)

初め
賛歌
朝の祈り:第1唱和(詩編)、第2唱和(旧約の歌)、第3唱和(詩編)
晩の祈り:第1唱和(詩編)、第2唱和(詩編)、第3唱和(新約の歌)
神のことばと答唱
福音の歌(朝の祈り:ザカリアの歌、晩の祈り:マリアの歌)
共同祈願
主の祈り
結びの祈願
派遣の祝福または結び

 「朝の祈り」と「晩の祈り」は主要時課と位置づけられる重要な時課です。「教会の祈り」を支える二本の柱である時課といえるでしょう。両者を構成する要素は基本的に同じです。
 「朝の祈り」は朝の時間を聖別することを目的としています。朝の新しい光のうちに唱えるこの祈りは、すべての人を照らすまことの光(ヨハネ1・9参照)、「義の太陽」(マラキ3・20)であるキリストの復活を思い起こす時課であると伝統的に説明されてきました。
 一方、「晩の祈り」は、一日を通して神から与えられた恵みと善を行ったことに対する感謝を表す時課です。旧約以来の晩のいけにえの時刻にささげられるこの祈りは、夕刻に起きたキリストの十字架上のいけにえを思い起こさせるとともに、キリストが弟子たちに自らのからだを与えた晩餐をも思い起こさせます。また、沈むことを知らない光に希望をおいて夜を迎え、「朝の祈り」と同じように永遠の輝きであるキリストを賛美します。
 このような理由から、「朝の祈り」と「晩の祈り」をキリスト教共同体の祈りとして大切にすることが求められています。そのため、共同生活を営む人にこれらの時課を共同で行うことを奨励するとともに、他の信者にも唱えることが勧められています。
 「朝の祈り」は、朝の詩編を1つ、旧約の歌を1つ、賛美の詩編を1つで構成されています。「晩の祈り」は、晩という時刻に適した詩編を2つ、使徒の書簡もしくは黙示録からとられた新約の歌を1つで構成されています。
 2つの時課のもう一つの特徴は「福音の歌」が歌われる点にあります。「朝の祈り」には「ザカリアの歌」を、「晩の祈り」には「マリアの歌」を歌います。これらの「福音の歌」の前後に歌う交唱は、日、季節、祝日の特徴に合わせて選ばれています。
 「福音の歌」に続いて唱える「共同祈願」では、「朝の祈り」では神にその日一日をささげる賛美の性格があり、「晩の祈り」では共同体のための祈りをささげます。続いて、主の祈りを唱え、「結びの祈願」を唱えた後、派遣の祝福が行われます。
 なお、主日と祭日および主日と重なる主の祝日の前晩には、当日の「晩の祈り」の代わりに翌日の「前晩の祈り」を唱えます。これは、日没から翌日が始まるというユダヤ教の暦の習慣に倣った実践です。

小時課と「昼の祈り」(「総則」74-83)

初め
賛歌
詩編唱和:第1詩編、第2詩編、第3詩編
神のことばと唱句
結びの祈願
結び

 伝統的に小時課と呼ばれる三時課、六時課、九時課は、前記の歴史に関する箇所で述べたように、それぞれの時刻がキリストの受難や最初の福音宣教の記念と関係づけられて説明されてきました。
 現在の日中の祈りは、ただ1つの時課、すなわち「昼の祈り」を唱える者と、3つの時課を唱える義務のある者あるいはそれらを唱えようと望む者の両者を考慮して整えられました。

「寝る前の祈り」(「総則」84-92)

初め
良心の糾明と回心の祈り
賛歌
詩編唱和
神のことばと答唱
福音の歌:シメオンの歌
結びの祈願
祝福
結びの歌:聖母賛歌

 「寝る前の祈り」は、就寝前に個人的に祈りを唱えた修道院の伝統を受け継いでいます。一日の終わりに唱える祈りという特徴から、他の時課にはない要素として、「良心の糾明」と「回心の祈り」があります。また、就寝前にすべてを神にゆだねるという側面も含まれています。このことは「福音の歌」として歌われる「シメオンの歌」によく表れています。そして、「結びの祈願」と祝福に続いて、結びの歌として聖母賛歌が歌われます。



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