教皇訪日一周年を迎えて 日本カトリック司教協議会 会長メッセージ

教皇訪日一周年を迎えて 日本カトリック司教協議会 会長メッセージ  この11月23日~26日は、教皇フランシスコの訪日一周年です。この1年の大半は世界中が、新型コロナウイルス感染への対応やその予防に明け暮れ、これまで5, […]

教皇訪日一周年を迎えて
日本カトリック司教協議会 会長メッセージ

 この11月23日~26日は、教皇フランシスコの訪日一周年です。この1年の大半は世界中が、新型コロナウイルス感染への対応やその予防に明け暮れ、これまで5,500万以上の感染者と130万以上の死者を出し、人の交流や経済が大きく停滞し、先行きも不透明なままです。
 このような状況の中で教皇訪日一周年をどのように迎えたらよいでしょうか。すでに個人的に、各家庭、各共同体、各小教区、各教区において教皇メッセージに応えようと努力しておられると思いますが、あらためて呼びかけをさせていただきたいと思います。

1. 「すべてのいのちを守るため」を生活の指針に
 この教皇訪日のテーマはいつの時代の誰もが実践すべきものです。このテーマをこれからもわたしたちの生活の重要な指針としてはいかがでしょうか。
 「すべてのいのち」とは、わたしたち皆がともに暮らす家1である地球とその環境の中で神に造られ生かされているすべてのもの、人間はもちろん、ありとあらゆる生き物2を指します。それに、いのちあるものが生きていくために必要不可欠な水や空気なども大切にしなければなりません。「わたしたちの身体そのものが地球の諸元素からできています。わたしたちは地球の大気を呼吸し、地球の水によって生かされ元気をもらっている」3からです。
 いのちは、身体的ないのちだけではありません。動植物にもそれぞれ魂のようなものがあると考えられていますが、特に神に似せてその像として造られ、神の霊によって生かされて肉体と霊魂とが一体となった人間には、心と知恵、知性と自由意志という能力、良心といった、いわば内面のいのちがあります4。そして「人間はその内面性によって事物の世界を超越している」だけでなく、神と出会うことができるのです5。その内面のいのちを生かすのが愛の霊です(ローマ5・5参照)。それゆえ人は、その身体および内面のいのちによって神と他の人々と自然環境とつながり、そのつながりによって真に生きることができるのです。すべてのいのちを大切にするということは、それらの生きた愛のつながりを大切にすることでもあります。

2. 平和な世界をつくり続ける
 多数のいのちを破壊する人間の最悪の行為が戦争です6。その戦争を準備し行うために、人類はその歴史の過程でさまざまな武器を開発してきました。その頂点に核兵器があります。実際、一つの核爆弾で数十万のいのちを破壊できるということは広島と長崎で実証済みですが、現在はその数十倍あるいは数百倍の破壊力を持つといわれる核兵器が開発されています。
 この核兵器が他の国に与える脅威を土台に核保有国の間で核抑止が働き、それによって平和が維持されている、という考えがあります。しかし、「人の心にあるもっとも深い望みの一つ」である平和と安定、従って国際的な平和と安定は、核兵器という「相互破壊への不安や壊滅の脅威」の上に成り立つことはできません7
 核兵器を製造することも所有することも倫理に反します8。すなわち、神に対しても人に対しても悪いことなのです。おびただしい人々が飢えで苦しんでいる一方で、全人的発展のために活用すべき資源を無駄遣いし、破壊的な武器を製造、改良、維持、商いに財を費やすことは神に対するテロ行為だからです9
 国際的な平和と安定は、相互の信頼に基づく連帯と協働によって得られます。そのためには、このような「絶対悪」とも言える核兵器は完全に廃絶するほかありません。それを実現させる効果的な手段が「核兵器禁止条約」です。これは、核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用および脅威としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約です10。バチカンは、最初の批准国の一つでした。教皇は長崎でこう訴えました。「核兵器から解放された平和な世界」、「この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです」。カトリック教会は、民族間、また国家間の平和の実現のために、「核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際条約に則り、たゆむことなく、迅速に行動し、訴えていきます」11
 長崎と広島での教皇メッセージの影響もあったと考えられますが、今年10月24日核兵器禁止条約の批准国が50に達したため、規定により、90日後、すなわち2021年1月22日に発効することになりました。しかし核保有国や、日本を含む、核の傘のもとにある国々はこの条約に反対しています。そのため世界的に世論を喚起して、核保有国に圧力をかける必要があります。その中で被爆国である日本が先頭に立つべきだと思います。
 もちろん、真の平和を実現するためには、核兵器廃絶だけでなく、すべての人が互いに基本的人権を認め、愛をもって自由に義務を果たし、キリストの平和(ヨハネ14・27; 20・21参照)を生き、広めることこそ必要です。

3. 地球環境を守る
 教皇フランシスコのご意向に沿って、日本の教会でも司教協議会は、2016年に9月の第一日曜日を「被造物を大切にする世界祈願日」とし、今年から9月1日~10月4日を「すべてのいのちを大切にするための月間」と定め、地球環境を守るため全国の教会を挙げて具体的な行動をとるように呼びかけました12。今年は新型コロナウイルス感染防止を考慮して活動は限定されましたが、この月間に限らず、年間を通して行われることが望まれます。
 地球環境をこれ以上汚染させ傷つけないで守るために、各自、各共同体が具体的な行動をとる必要があります。以下の具体例を参考にしていただければ幸いです。
① 資源の消費・浪費・廃棄量の削減(水・電気・食料など)
② 化学物質を含む洗剤やプラスチック製品など、環境汚染物質の不使用、使用量の削減
③ 美化活動(海浜、里地里山、街中など、身近な場所でのゴミ拾い・清掃)

4. いのちの福音を証しする
 教皇フランシスコの訪日で残されたメッセージや説教を思い起してみましょう。
1) 殉教
 自分の死をもって復活の信仰を証しした殉教者は、わたしたちが宣教する弟子として生きるよう招いています。それは、「日々黙々と務める働きによる『殉教』を通して、すべてのいのち、とくにもっとも助けを必要としている人を保護し守る文化のために働く」ようになることです13
2) 王であるキリスト
 イエスが十字架に付けられた場所には、秩序も正義もなく、無理解と無関心のため罪のない人の死を茶化す一方、自分は正しいと主張する人々がいます。そういう場で、犯罪人のひとりが十字架上のイエスに救いを求めたのです。わたしたちも彼と同じように、苦しむ罪のない主イエスに寄り添い、その孤独を支え、弁護し、その方に仕えたいものです。なぜなら、その主イエスは、病人、障がい者、高齢者、難民、見捨てられた人たちだからです。そのためには「十字架上のキリストから与えられ、差し出され、約束された愛こそが、あらゆるたぐいの憎しみ、利己心、嘲笑、言い逃れを打ち破るという信仰」を持つ必要があります14
3) 被災
 わたしたちは、自然災害に見舞われた人々に対して、尊厳ある生活を保障するための衣食住の支援と地域の復興に寄与することはもちろん、「展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠」15だという考えをもって積極的に関わる必要があります。また、環境汚染で苦しむ貧しい人々、難民生活を余儀なくされている人々、その日の食べ物にも事欠く人々、経済格差の犠牲になっている人々と共感し、連帯することができれば幸いです。
4) 差別といじめ
 東日本大震災の後、福島から別の地域に移転した家庭のこどもたちは、放射能に汚染された人間と見なされて除外されたり、いじめられたりしました。また若い人の中には、体形や外国人というだけでいじめられる人もいます。教皇は若者たちにこう訴えました。いじめという「疫病に対して使える最良の薬は、皆さん自身です。……皆さんの間で、友人どうし仲間どうしで、『絶対だめ』」16、人を攻撃するのは「間違っている」というべきです。
 ちなみに、新型コロナウイルス感染拡大の中で、わたしたちは、人のいのちの脆さと同時に、いかに多くの人たちのおかげで生活ができているかを実感しています。神の恵みと人々の支えを感謝しなければなりません。しかし、その一方で感染者とその家族、医療従事者に至るまで、差別されたり、誹謗中傷されたりするという事態が起こっています。わたしたちは、むしろ、苦しんでいる人たちに寄り添い、彼らを支え、励ますべきです。「傷をいやし、和解とゆるしの道をつねに差し出す準備のある、野戦病院となること」、これが「いのちの福音を告げる」ということです17
5) 生きる目的
 教皇は若者たちにこう語りかけました。「何のために生きているかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。肝心なのはだれのために生きているのかということです。次の問いを問うことを習慣としてください。『何のために生きているかではなく、だれのために生きているのか。だれと、人生を共有しているのか』と。」18
6) すべてのいのちを守る
 「この世での己の利益や利潤のみを追い求める世俗の姿勢と、個人の幸せを主張する利己主義」は、わたしたちを不幸にし、「真に調和のある人間的な社会の発展」を阻みます。必要なことは、自分の現実も自由さえも神からの恵みとして喜んで受け取り、与えられたものを分かち合い、他者に差し出し、交わることです19

むすび
 教皇フランシスコは、その最新の回勅20において、新型コロナウイルス感染の世界的な拡大を目の当たりにして、世界中の人々が、「だれも一人だけで救われない」ということに気づき、皆互いを兄弟姉妹として認め、日常の個人的関係、社会、政治、公共制度において、兄弟愛(fraternity)と対話(dialogue)と友愛(fellowship)を土台とするよう諭しています。なぜなら、現代世界は、利己主義と共通善への無関心、利益追求と市場論理の支配、人種差別、貧困、権利の不平等、女性への抑圧、難民、人身取引など、兄弟としての関係を否定あるいは破壊する思想と行動にあふれているからです。このような中でわたしたちは、イエスのたとえの善いサマリア人のように、苦しむ人や弱い立場の人のために善い隣人とならなければなりません。そのためには、自分自身から外に出て、他者のよりよい人生を望むという、神の愛といつくしみに倣う必要があります。わたしたちもまたみじめな存在であり、神のいつくしみを受けているからです。なお、教皇は、軍備拡張の費用で、飢餓の撲滅のための国際基金を設立することを提唱されました(262)。この基金が設立された暁には、協力を惜しまないようにしたいものです。
 キリスト信者として、すべてのいのちを守るために、世界の平和と正義と兄弟愛を推進していきましょう。そのために神の名と人類兄弟愛の名のもとに「道筋として対話の文化を、態度として相互協力を、方法・規範として相互理解を採り入れる」(285)ようにしましょう。今後、教皇訪日の実りが一つでも多くもたらされるよう祈りたいと思います。

2020年11月23日
日本カトリック司教協議会 会長 髙見 三明

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