教皇フランシスコ、2021年1月31日「お告げの祈り」でのことばと、「祖父母と高齢者のための世界祈願日(仮称)」に向けた呼びかけ

 

教皇フランシスコ、2021年1月31日「お告げの祈り」でのことばと、
「祖父母と高齢者のための世界祈願日(仮称)」に向けた呼びかけ

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 明後日、2月2日は、イエスが神殿で捧げられたことを記念する、主の奉献の祝日です。そのとき、シメオンとアンナは二人とも年老いていましたが、聖霊に導かれ、イエスがメシアであると認めました。聖霊は、知恵に満ちた考えやことばを高齢者の内にわき上がらせます。高齢者の声はかけがえのないものです。神をたたえて歌い、人々のルーツを守っているからです。年を重ねることはたまものであり、祖父母はその人生体験や信仰を若者に伝えることにより、世代を結びつける輪となっていることを、この二人は思い起こさせてくれます。祖父母は忘れられがちですし、ルーツを守り、伝えるというその宝もないがしろにされています。だからこそ、7月第四主日を「祖父母と高齢者のための世界祈願日(仮称)」とし、教会全体で毎年祝うことにしたのです。この日のころには、イエスの「祖父母」にあたる聖ヨアキムと聖アンナの記念日があります。祖父母が孫と会うのは重要なことですし、孫にとっても祖父母と会うのは大切なことです。預言者ヨエルが語っているように、祖父母は孫に夢を描き、大きな期待を寄せますが、若者も、祖父母から力を受けて前に進み、預言するのです。2月2日はまさに、祖父母と孫が会うための祝日です。

(「お告げの祈り」後のことばからの抜粋)

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 今日の福音朗読(マルコ1・21-28参照)は、イエスの公生活のある典型的な一日のことを伝えています。その日はまさに、祈りと休息の日、人々が会堂に行く安息日でした。カファルナウムの会堂でイエスは聖書を読み、お教えになりました。そこにいた人々はイエスの話し方に心を引き寄せられました。律法学者とは異なる権威をお示しになったので、とても驚いたのです(22節参照)。しかもイエスは、ご自分の力を行いにおいても示されました。実際、会堂にいた男がイエスに向かって「神の聖者だ」と叫びましたが、イエスは汚れた霊がいることに気づき、その人から出て行くよう霊に命じ、その霊を追い払いました(23-26節参照)。

 この箇所には、イエスの行いの二つの特徴が表れています。教えることと、いやしをもたらす奇跡のわざです。イエスは教えて、いやしておられます。どちらの特徴も、マルコによる福音書の中で際立っていますが、教えることの方が強調されています。悪霊を追い払ったことは、イエスの唯一の「権威」とその教えを揺るぎないものとするために示されています。イエスは、ご自分の教えを示すかたとして、独自の権威をもってお教えになります。過去の伝統や教えを繰り返すだけの律法学者とは違います。偉大な歌手ミナの歌にもあるように、彼らはことばだけを、何度も何度も繰り返します。それが律法学者たちの姿です。ことばしかありません。一方、イエスのことばには権威があり、イエスご自身にも権威があります。ですから、人々の心に響きます。イエスの教えには、語っておられる神と同じ権威があります。だからこそ、一言命じただけで、悪霊に捕らわれた人をたやすく解放し、いやすことができたのです。どうしてでしょうか。イエスが言われたことは、その通りになるからです。イエスは最後の預言者だからです。それにしても、なぜここでイエスが最後の預言者だと言うのでしょうか。モーセの約束を思い起こしてください。「わたしの後に、わたしのような――わたしのような――預言者が現れ、あなたがたに教えるであろう」(申命記18・15参照)。モーセは最後の預言者であるイエスのことを伝えています。このように、イエスは最後の預言者の力、わたしたちを救い、いやしてくださる神の御子の力をもっておられるからこそ、人間の権威ではなく、神の権威をもって話されるのです。

 二つめの特徴であるいやしは、人々や世界の中にある悪を滅ぼすことを、イエスの教えは目指していることを示しています。イエスのことばは、悪魔の領域に鋭く向けられます。そして悪魔を追いつめ、後ずさりさせ、この世から追い払います。悪霊に取りつかれたこの男は、主の命令に触れたおかげで解き放たれ、新しい人となります。イエスの教えは、この世や悪魔の論理とは正反対です。イエスのことばは、物事の誤った秩序をくつがえします。イエスが近づくと、この男に取りついていた悪霊は実に、こう叫びます。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか」(24節)。このことばは、イエスと悪魔がまったく相容れないことを物語っています。その間には共通点はまったくありません。互いに相反しています。権威あるイエスは、その権威をもって人々を引き寄せますが、それと同時に、解放をもたらす預言者、約束された預言者、いやしてくださる御子でもあります。イエスの権威あることばに、つねに耳を傾けましょう。一日中、イエスの権威あることばに触れられるようにするために、福音書のポケット版をバッグやポケットに入れて持ち歩きましょう。どうかこのことを忘れないでください。そして、わたしたちのだれもが問題を抱え、罪を犯し、心に不安を抱えています。イエスにこう呼びかけましょう。「イエスよ。あなたは預言者、神の子、わたしたちをいやすよう定められたかたです。どうかわたしをいやしてください」。わたしたちの罪をゆるし、病をいやしてくださるよう、イエスに願い求めましょう。

 おとめマリアは、イエスのことばと行いを大切に心におさめ、完全な忠実さと、役立ちたいという意欲をもってイエスに従いました。わたしたちも、イエスに耳を傾け、イエスに従い、実生活の中でイエスの救いのしるしを受けられるよう、マリアが助けてくださいますように。
 

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