第1回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」 典礼に関する覚え書き

第1回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」 典礼に関する覚え書き 7月25日(日)のミサのうち一回は、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」を祝うためにささげることができる。 ミサへの高齢者の出席を推奨するために、共同体の […]

第1回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」
典礼に関する覚え書き

  • 7月25日(日)のミサのうち一回は、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」を祝うためにささげることができる。
  • ミサへの高齢者の出席を推奨するために、共同体のメンバーは、独力で来ることのできない人々のための交通手段を手配することができる。
  • ミサの間、小教区や共同体の若者は、祖父母や高齢者に教皇メッセージを朗読することができる。
  • 7月25日と、その直前直後の日に、世界祈願日のためのミサを病院や高齢者施設でささげることができる。可能な場合、衛生上の規則に従って、ミサの雰囲気づくりのために小教区のメンバーが参加すべきである。
  • この世界祈願日のためのミサの献金は、その共同体の貧しい高齢者の支援プロジェクトを支えるために用いることができる。

■説教のための資料
年間第17主日-B年
列王記下4・42-44、詩編145、エフェソ4・1-6、ヨハネ6・1-15

  • 今日、祝っているこの世界祈願日は、若者も高齢者も、祖父母も孫たちも、同じ家庭に属していてもいなくても、わたしたち全員は「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです」ということを理解するための助けとなります。このようなことを自覚することによって、わたしたちは慰められ、主がいのちのパンと救いのみことばを増やす祭壇を囲む一つの民へと形作られます。若者と同様、高齢者も大切です。高齢者がいないと、教会のからだには何かが欠けています。それだからこそ、わたしたちの各共同体の中で、高齢者が自分にとってふさわしい場を持つことが必要となります。主が御からだと御血をわたしたちに与え、イエスご自身のいのちをともにする者としてくださったように、わたしたちが高齢者のいのちをともにすることは重要です。
  • 主の周りに一つの民として集まるわたしたちは、同じ家族の一員であることの素晴らしさと、年を重ねたわたしたちであっても、唯一の御父の愛すべき子であると感じることのできる素晴らしさを見いだします。ですからわたしたちは、教皇が回勅『兄弟の皆さん(Fratelli Tutti)』で語るように、わたしたちは一人では救われないということを理解するのです。これはイエスの周りに集まった五千人の人々が経験したことであり、今日、パンデミックの影響を今もなお受けている時代に生きるわたしたち皆にとっても明らかです。高齢者は自分たちだけで救われることはできません。それは、高齢者が自分の夢を歩み出すために力強い脚を必要としているからです。若者は自分たちだけで救われることはできません。それは、闇夜からであっても新たな夜明けの太陽は昇ることができるということを、だれかが彼らに告げなければならないからです。
  • 福音書で示された場面は、日常の家庭生活にあっても、わたしたち一人ひとりが所有しているものが何であれ、それがわたしたち皆にとっていかに偉大な資源となりうるかを理解させてくれます。わたしたちが聞いた箇所の中で、一人の少年がイエスのところに「大麦のパン五つと魚二匹」を持ってきます。今日、祖父母のほうが物質的な財を所有しているのが普通です。しかし大切なのは、持っているものが多いか少ないかではなく、わたしたちのパンを増やし、生きているすべての人の望みを確実に満たしてくださる主にそれを差し出すことです(詩編145)。祖父母には、若い世代に信仰を伝え、自分の知恵をもって孫たちとともに歩むという具体的な役割があります。若い世代が自分のルーツを見失わずに、確固とした基礎の上に人生を築けるよう、祖父母たちが彼らを助ける必要があります。
  • わたしたちが持っているものは、時に物質的なものではありません。祖父母のことを思い浮かべてみると、しばしばわたしたちの家庭にもたらしてくれたのは、まさに無償の贈り物です。過保護と思われるような祖父母による孫たちの愛し方や甘やかし方は、わたしたちからすれば大げさに見えるかもしれません。けれども、大げさなことこそが唯一の愛の尺度なのです。シリアの聖エフレムは、このヨハネ福音書の一節について、自分の孫に対する祖父の態度を描写するようなことばで解説して、こう記しています。「彼はわたしたちに無償で贈り物を与えてくれただけでなく、愛情をもってわたしたちを甘やかしてくれました。……わたしたちの魂を生かすものへと導くために、この口当たりの良い食べ物でわたしたちを引き寄せたのです……」。
  • 教会は、主の周りに集まる民の母であり、また自らを養うことができないような人々の母でもあります。教会は、わたしたち一人ひとりを必要としています。ちょうど今日の福音書で、主が一人の少年の助けを認めたことを聞いたように、高齢者の信仰と知恵をいや増すことが、今日、必要だと思われます。高齢者の霊的深さの中に、発見されるべき宝があります。教皇はしばしばこのことをお話しになりました。信徒・家庭・いのちの部署が主催した「長年にわたる人生の豊かさ」という会合において、教皇は、高齢者は「子どもや若者を、信仰において教育する上で欠くことのできないきずなである」と語られました。高齢者をわたしたちの司牧の地平に加え、共同体の重要な構成メンバーの一員として、一時的ではないやり方で配慮することにわたしたちは慣れなければなりません。高齢者は単に、わたしたちが保護しなければならない人々ではありません。神の誠実な愛をあかしする栄誉を得た人として、福音化のための司牧的な奉仕職の主役となりうる人たちなのです。
  • わたしたちの中でもっとも貧しく力ない人々でさえ、愛と祈りという、これら二匹の魚を持っています。祈ることはすべての人に与えられた召命です。この世界祈願日のメッセージの中で、教皇はベネディクト十六世が、祈りは高齢者にとって特別の使命であると語ったことを引用しています。「高齢者の祈りは世界を守り、おそらく多くの人の必死のもがきよりも的確に、世界を助けることができます。あなたの祈りは価値ある資源なのです。教会と世界がそれなしではいられない『肺』なのです(使徒的勧告『福音の喜び』262参照)。とくにこの時期、……世界と教会のためのあなたの執り成しの祈りはむなしいものではなく、むしろすべての人に、到着地についての泰然たる確信を示してくれます」。
  • マルコ福音書の並行箇所(6・41)で、主イエスはパンを群衆に分ける務めを弟子たちに託します。それは、今日の教会にまで託され続けている務めです。わたしたちだけで奇跡を行うことはできません。必要としている人がパンによって養われるために、イエスはわたしたちの手を必要としています。わたしたちの小教区において、どれだけ多くの高齢者が聖体授与の奉仕者となり、また他の奉仕の務めをもっているか考えてみましょう。そして、このことがわたしたちの共同体の生活と典礼のためにどれだけ貴重なことか、考えてみましょう。

■共同祈願とパンデミックで亡くなった高齢者を思い起こすための提案

  • いのちのパンと救いのことばを増やす奇跡を日々行っている教会のために祈ります。だれひとり、体の栄養と、信仰から生まれる希望を欠くことがありませんように。教皇フランシスコの奉仕職のために祈りましょう。
  • わたしたち高齢者全員が、謙遜、優しさ、寛大さをもって、いただいた招きにふさわしく生きることができるよう祈りましょう。わたしたちの弱さが、愛において強くあること、貧しい人の慰めとなること、若者たちの支えとなることを妨げることが決してありませんように。
  • パンを求める空腹と、世界の平和への渇望に直面している若者たちのために祈ります。彼らが、もっているものの少なさに決して落胆することなく、他のすべての人を助け養うという主の招きに従うことができますように。
  • わたしたち祖父母のために祈ります。知恵をもって自分の家族とどのように寄り添うべきかを理解し、信仰の遺産を孫や若い世代に伝えることを学ぶことができますように。
  • 孤独で、抱擁のぬくもりを求める高齢者のために祈ります。だれもが、孤独な生活を送る必要はなく、すべての人が天使の訪問を受け、「わたしはいつもあなたがたとともにいる」という主の約束が一人ひとりの人生にも向けられていると感じることができますように。
  • すべての病者がいやされ、パンデミックの嵐が静まるように祈りましょう。悪の脅威に直面している人を、決して独りにしないことをわたしたちが学び、最貧国を含め、すべての人に援助が保証されますように。
  • 若者も高齢者も、わたしたち全員が、一つの召命、一つの信仰、一つの洗礼を受けたことを自覚し、自分の人生を、平和、仲間との交わり、他の人々との友情にささげることができますように。
  • 神よ、だれからも思い起こされなかった人々も含め、わたしたちの共同体で、パンデミックのためにこの数箇月の間に亡くなったすべての高齢者を思い起こして祈ります。あなたの平和といつくしみのみ国に、このかたがたを迎え入れてください。
  • とくに、・・・・・を思い起こして祈ります。

 一人ひとり、パンデミックの間に亡くなった小教区や地域の高齢者の名前を読み上げる。それぞれの名前の後に、一本のろうそくに火をともす。
 名前を読み上げるとき、奏楽を添えることもできる。

■派遣の祝福

長寿の祝福
いつくしみ深い神よ、
あなたはご自分の子らに、長寿のたまものをお与えになりました。
このかたがたは、あなたの祝福を願っています。
ともにおられるあなたの優しさと力強さを感じることができますように。
過去を振り返るとき、
あなたのいつくしみの中で喜ぶことができますように。
未来に目を向けるとき、
消えることのない希望をもち続けることができますように。
誉れと栄光があなたに、世々とこしえに。

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