FABC創立50周年総会の準備ための日本の教会に関する報告

アジア司教協議会連盟(FABC)の50周年を記念する総会が2022年10月9日~30日にバンコクで開催される予定です。その総会に先立ち、FABC事務局からの質問事項に日本司教協議会として回答した報告書を掲載します。 FA […]

アジア司教協議会連盟(FABC)の50周年を記念する総会が2022年10月9日~30日にバンコクで開催される予定です。その総会に先立ち、FABC事務局からの質問事項に日本司教協議会として回答した報告書を掲載します。


FABC創立50周年総会の準備ための日本の教会に関する報告

2021年9月
日本カトリック司教協議会

1. 現状 
0.1. 国土と風土

国土は4つの主要な島から成り、亜熱帯海洋性気候の沖縄から亜寒帯気候の北海道まで約2,800Kmにおよぶ弓型の細長い形状で、総面積は約378,000㎢。海洋に囲まれ、山地が60%以上を占め、自然豊かで、四季がある。火山が多く、地震、台風、津波などの自然災害が頻発する。
0. 2. 歴史的背景
紀元5~6世紀に中国から韓国を経て儒教と仏教が導入され、日本の宗教、文化、生活に大きな影響を与えてきた。16世紀にキリスト教がもたらされ、ポルトガル、スペイン、中国などとの交易もあり、発展したが、江戸幕府は、1614~1873年の間、キリスト教を禁止すると同時に、徹底して排除するために長崎港を外国との交易の唯一の窓口とした。一方、国内では日本独自の文化が開花した。日本は、1868年の明治政府樹立以降、中国やロシアと交戦し、第一次大戦に参戦した。そして太平洋戦争において全国の空襲と2発の原爆で連合国に敗れた。他方、日本はアジアと南太平洋の諸国民に苦痛をもたらした。わたしたちは彼らに対する謝罪の気持ちと平和を構築する責任を忘れてはならない。現日本国憲法は、第九条で、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、それゆえ軍隊(自衛隊は存在する)を所有しないと謳っている。幸い、この第九条の変更を試みる動きに対して国民の過半数が強い抵抗を示している。日本は、核兵器の経験を経ているので、核兵器廃絶を促進する特別な責任を持っている。
0.3. 現勢
日本の総人口は2021年7月現在で126,109,556人である。出生率は2011年に戦後初めて減少に転じ、その傾向は今も続いている(2020年:1.34)。平均寿命(男性81歳、女性87歳)は世界一であるが、2020年9月の統計で、65歳以上は36,170,000人で、人口の28.7%を占める。65歳以上が全人口の14%の場合「高齢化社会」、14~21%の場合「高齢社会」、21%以上の場合は「超高齢社会」と呼ばれる。日本は現在超高齢社会である。出生率の低下と超高齢社会は、生産年齢人口の減少をもたらし、高齢者医療などを困難にし、若い世代がさまざまな公的機関で活躍する機会を少なくしている。

1.1. 時のしるし
1.1.1 多国籍社会

人口減少と単純労働の敬遠の結果労働力が不足したため、政府は諸外国にそれを求めた。在留外国人は1989年に98万人、1990年代に日系南米人、技能実習生の受け入れが始まり、2019年は293万人、そのうち労働者は165万人になった。彼らのほぼ半数が中国人とベトナム人で、ほか多い順にフィリピン人、ブラジル人、ネパール人、韓国人、インドネシア人などがいる。
この結果、日本の教会も多文化・多国籍教会となった。現在は日本経済が低迷し、生活苦、国際結婚、日本で生まれ、成長していく子供たちのサポート、日本人信徒との関わり等、問題は複雑化しているが、豊かな教会共同体作りを共に模索している。
日本社会は、外国からの思想や知識や技術を取捨選択して同化し、利用して自らを発展させてきた。しかし今や、自国の経済に貢献する、ほかの国々や文化からくる“人々”を受け入れ統合する時である。

1.1.2 フランシスコ教皇の訪日
2019年11月の教皇訪日は時のしるしである。教皇の姿、行動、メッセージは多くの日本人にインパクトを与えた。今後、訪問のテーマ「すべてのいのちをまもるため」をどのように実現するかが課題。
1.1.3新型コロナウイルス感染(Pandemic)の影響
先進国と言われる日本でも、コロナ禍を通じて社会的格差や貧富の差が拡大しており、極度の貧困の一歩手前でいのちの危機に直面する人が増加しつつある。貧困に直面している若い女性やシングルマザーが増えている。非正規雇用が増大し、コロナ禍による経済の自粛で多くの若者や外国籍労働者が職を失い、生活苦に直面している。低賃金の技能実習生も社会的弱者へと追いやられている。
教会では、公開ミサの中止などで信者の信仰生活を活性化するための工夫が求められている。

1.2. 社会情勢
1.2.1. 社会格差と貧困

厚生労働省の2019年度調査によると、日本住民の相対的貧困率(国民の年間所得の中央値の50%に満たない所得水準の人々)は15.4%(6~7人に1人)、子どもの相対的貧困率は13.5%(7~8人に1人)。ひとり親家庭の子どもの貧困率は50.8%と高い。一方、多数派の人たちは安心・安定を求めて、異質な存在を排除する傾向を強めている。政治的にも保守化が進み、国粋主義者もいる。
1.2.2. 家庭
離婚は、2002年の約29万組をピークに毎年減少してきたが、2020年も19万組以上で、離婚率(1000人当たりの離婚件数)は1.57だった。離婚は、当然子どもたちに悪影響を与えている。
ここ10年、家庭内問題と精神疾患が原因の家庭内暴力(DV)が増加し、2020年は13万件以上に達した。一人ひとりの尊厳と人権についての新しい意識がそれを明るみにしてきている。
1.2.3. 女性の人権問題
日本の「男女平等度ランキング」は、142の国と地域の中で104位(2014年)。男女格差が非常に大きく、女性の社会的地位が著しく低い。国会議員の女性の割合は、2020年は、9.9%(世界平均25%)。世界191カ国中165位で、G7などの先進国の中では最低。女性の人権に対する意識の低さを象徴している。これは教会でも同じである。雇用における男女差別を禁止する法律や社会活動における男女平等を目指す法律などはつくられたが、男性優先の考え方は根深い。これは女性の権利よりも母親の権利が重視されてきたためとも言われる。しかし、世界的な “Me Too” 運動にも影響されて、徐々に国民の意識は向上しつつある。
1.2.4. 外国人労働者の増加と諸問題
彼らは労働契約や生活面で彼らの権利と正義を尊重するよう求めている。また外国籍の多くの若者が、社会の偏見、日本語学習の不足、貧困や差別で苦しんできた。しかし、よく勉強して社会に適応している若者は、後に続く子どもの良い手本になっている。
最初に日本に来た外国籍の人たちは、働いてお金を稼いでよい生活をすることが目標だった。子どもの教育に真剣になる余裕も能力も発想もなかった。日本の生活に全面的に適応することは困難である。今、老後の問題を抱えている。彼らの多くは年金がなく、母国に帰ることもできない。子どもが日本人と結婚しても、日本語や日本の習慣、社会的ルール、家族同士の交際に難しさと複雑さを感じている。在留外国人を日本の一般社会共同体に統合しようとする動きも、非常に鈍く、排除する声も聞かれる。
1.2.5. 自死/自殺(Suicide)
2011年は3万人以上、それ以降減少しており、2020年は2万人になった。家庭、学校、勤務、経済、男女、健康などの問題が深刻化し、それと連鎖してうつ病などにかかって自殺する人が多い。人生の意味を見出せないなどのために10~20代の自殺者が微増している。男性は女性の倍以上を占める。
1.2.6.いじめ、死刑制度、核兵器廃絶
学校や社会の中で差別やいじめがある。国籍、肌の色、身体的特徴などがもとで、特に若い世代の間に、いじめのケースが増えている。自死に追い詰められる者もいる。若い世代がメディアから得ているメッセージと、一人ひとりの尊厳と権利についての意識について徹底した分析を行う必要がある。
死刑制度の廃止を望む人は9%、やむを得ないと考える人は80.8%で、男性が多い。
日本には、大戦の体験、唯一の戦争被爆、原発の爆発事故体験などから、核兵器廃絶、戦争反対、原発の廃止などを訴える使命がある。
1.2.7. 情報手段の発展の弊害
ITの普及により、SNSを悪用したヘイトスピーチ、情報機器への依存症、人間関係の希薄化など、さまざまな弊害が生じている。インターネットによる匿名での情報発信が当たり前になり、これが異質な存在への攻撃性を助長している。現実、非現実を問わず、弱い存在への攻撃的言動は増加し、そのため若年層にあっても精神的に打撃を受けて自殺するものも少なくない。

1.3. 政情
1.3.1. 日本の政治体制

日本の政治体制は、日本国憲法に基づき、国会を最高機関とする議院内閣制(議会制民主政治)である。また日本国と日本国民の統合の象徴として天皇がいる。地方自治体は47都道府県である。日本は憲法で戦争放棄を宣言しているが、戦後以来日米同盟と米国の核の傘下で平和を維持してきた。
1.3.2. 国民の政治への関心
国の政策が国民の考えや意見を反映していないと思う人が70%近くいる。多くの国民は選挙に消極的である。国政の重要課題がしばしば多数の与党政権によって決められている。市民として社会のために貢献する重要性に関する教育がなされてこなかった。政治的発言をする者に対する誹謗中傷もある。しかしコロナ禍が政策と密接な関係があることに気づいた若者が政治に関心を持ち始めている。
教会が政治に結びつく社会的な発言をすることに、教会内部で強い拒否反応が見られる。そのため、正義や平和に関連する教皇の回勅等の内容を教会内に伝えることに難しさを感じる司教もいる。
1.3.3. 難民政策
日本政府の移民政策と関連法は、人権の要求とこの問題に関する国際基準からほど遠い。特に難民に対して大変厳しく、申請者の0.5%しか認定していない。それ以外の人たちは、入国者収容所(Immigration Center)での先の見えない生活を強いられている。世界で類を見ないほどの難民認定の厳しさは改める必要がある。

1.4. 経済情勢
1.4.1. 労働力

2020 年度平均の正規の職員・従業員数は3,549万人と、前年に比べ33万人増加。非正規の職員・従業員数は2,066万人と、97万人の減少。2020年12月の勤労統計では現金給与総額は8年ぶりに減少した。失業率は、2020年では平均2.8%、209万人。
外国人労働者数は、2020年10月の時点で過去最高の1,724,328人。
2019年4月、政府は、在留資格「特定技能1・2号」(14分野)の創設を実施し、それを取得した外国人労働者を2024年までに345,000人まで受け入れると決定。今後も外国籍労働者は増えると予想される。
ホームレス人口は、2019年に4,555人。大都市に多いが政策の効果が要因で減少傾向にある。

1.5. 宗教的状況
1.5.1. キリスト教

1549年以降イエズス会、1580年代以降はフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会が加わり、各地に教会、修道院、学校、病院などを設立した。熱心な宣教により、教会は発展した。1614年には司祭105人、信徒約50万人いた。同年、キリスト教は全国で禁止され、その後数十年間に史料に基づくだけで5000人の殉教者が出た。彼らの中には司祭や修道者だけでなく、子どもを含む男女信徒が多数いた。長崎地方では、信徒が、少なくとも220年間、一人の司祭無しに潜伏しながら信仰を守りとおした。1865年3月、パリ外国宣教会のプチジャン神父は長崎で潜伏キリシタンと出会った。1873年、禁教令が解かれると、パリ外国宣教会は各地に教会を建設し、修道会を招聘して学校、病院その他の事業を興し、宣教に励んだ。それらの教会のいくつかは世界遺産である。太平洋戦争後、教会はさらに発展した。
日本のプロテスタントの歴史は、1859年米国の監督教会と改革派教会宣教師の長崎着任に始まる。
キリスト信者は、2019年に1,909,757人、全人口の1.5%。しかし日本の文化、社会で果たしてきた役割は大きい。カトリックには3つの大司教区と14の司教区がある。2020年に435、083人、総人口の0,34%。ここ数十年間、微減と微増を繰り返している。外国籍信徒数は数えられていない。
少子・高齢化、家庭環境の変化、信仰の感覚の弱体化、若者の教会離れなどの結果、司祭や奉献生活者の召命が減少している。そのため外国から神学生や司祭を招聘している。
1.5.2. 日本の宗教
日本古来の宗教は神道であるが、多神論的、アニミズム的である。5~6世紀に儒教と仏教が中国から韓国を経て導入された。儒教は儒学として受容され、日本の神道、仏教、政治、思考様式などに影響を与えた。江戸時代には儒教と仏教が切り離され、朱子学と陽明学が政治に取り入れられた。
1868年に明治政府が国家神道を国家の精神的柱とするまでは、仏と神を一体で不可分とする神仏習合の時代だった。戦後国家神道はなくなったが、神道は厳然と存在する。2019年の統計では、神道は88,959,345人、仏教徒は84,835,110人である。両者を合わせると総人口以上になる。これは、日本人が二つの宗教を奉じている証拠である。
特定の宗教を信奉しない、あるいは無神論者を自称する人々でも、生活の中で深い宗教的感覚を持ち、宗教的な慣習や行事に参加している。神道は和を重んじ、相対的であり、西欧哲学や唯一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)と対称的である。宗教間の対立や紛争などは見られない。カトリックは諸宗教対話に不可欠な役割を果たしている。

1.6. 文化的な課題
1.6.1. 歴史的背景

中国や韓国からの宗教や文化の導入、16世紀以降のキリスト教宣教師との出会い、ほかの国々との交流が、今日の日本の文化と社会的かつ経済的発展を可能にした価値観を形成した。

1.6.2. 共同体文化
日本人の生活は個人というより共同体の一員としての生活である。日本人独特の共同体感覚は、島国で定住生活を営み、均一の生活環境と感覚を育てる一方、諸外国との接触が非常に少なかったことに起因していると思われる。このような共同体文化では、共通の感覚・習慣・生活様式が「和」すなわち調和と平和を作り出すものとして大切にされた。相互のコミュニケーションは「以心伝心」行われる。
1.6.3. 若者文化
1980年代前半までは、既存の文化と異なる行動様式を共有する青年は「~族」という異文化の民族に例えられた。若者文化は、通信や交通網の発達に伴って定着していった。1990年代後半以降、アニメ・漫画・コンピューターゲーム・インターネットなどによって世代を超えて広がっている。他方、日本の多くの伝統文化が若い世代に継承されていない。
1.7. エコロジカルな課題
2011年の東日本大震災による福島の原子力発電所の事故直後は、環境問題への関心が高まり、持続可能なエネルギーへの転換が急速に進むかに思われた。その後、廃炉作業もはかどらない中、経済の論理がまかり通り、多くの人が現状を追認し、環境問題への取り組みに対する反発が広がっている。その反発は、インターネットなどを中心に、侮辱的あるいは揶揄する言動に見られる。大多数は現在の生活レベルを落とすことに消極的であり、積極的に環境への取り組みを行う人は、少数派である。SDGsへの取り組みは、そのゴールが多種多様で、取り組みの間口が広いため、見せるためのものになる危険性がある。日本国内でも教会内でも、環境問題への徹底した取組みはまだこれからである。

2. 分析
2.1. 社会情勢

第二次世界大戦終結後、日本社会は常に経済的豊かさを最優先してきた。先進国の仲間入りを果たし、一時は、米国に次ぐ世界第二位の経済大国になった。その間、人々は社会の中で最優先すべき価値は経済の発展だという意識を深め、精神的な充足や霊的な充実を後回しにするようになった。精神的また霊的な価値観が存在しない中で、経済的な充足感を得ることが難しい少子・超高齢社会となった。依るべき価値観が社会共同体の基盤にないため、人々は暗闇を彷徨っている。
相対的貧困率が高い原因:①親に仕事がない、アルバイトなどの非正規雇用のため給与が少ない。②未婚の親や離婚によるひとり親の増加。少子化の原因として未婚化と晩婚化、雇用形態に安定がなく将来の生活に展望が持てない、子育てに費用がかかる、産婦人科、小児科の医師不足などがあげられる。政府は、外国籍労働者の日本語教育や子女教育、福祉面での必要な政策を十分ほどこさなかった。
2.2. 政情
1955年に結成された自由民主党(Liberal Democratic Party)が、38年間政権与党の座にあった。その後4年ほど野党に政権を譲ったが、その後はまた政権を掌握している。しかし経済が低迷する中、いわゆる人間のいのちを守ることに直結する政策を、民間に丸投げする姿勢が顕著である。しかし、相互扶助の基盤である地域共同体が、特に人口が集中する大都市を中心に機能していないために、「共助」は崩壊し、「自助」も経済が低迷する中では困難である。
2.3. 宗教の状況
日本では、家族全員が代々同じ宗教を奉じる「家の宗教」が一般的だった。今は自分の家の宗教が何かを知らない人や、特定の宗教にこだわらないが、宗教心は持っている人が増えている。多くの人は宗教に興味はあるが、それは民間信仰の域を出ておらず、組織的な宗教に属することを敬遠する傾向は今も強い。しかし、スピリチュアリズム(心霊主義)に引かれる人は多く、例えば、教会を「パワースポット」として訪れる人は少なくない。彼らは結局自己満足を求めており、洗礼に結びつくことは少ない。
カトリック教会は、司祭や信徒の高齢化、青少年の教会離れのため、宣教司牧が弱体化し、人材的にも経済的にも行き詰まっている。環境問題など、社会問題に関わりたくても、組織的に関わるのは不可能になってきている。
子どもだけでなく、成人の信仰教育が十分なされていない。とくに若者に結婚や家庭生活について十分伝えられていない。
相対的に、外国籍信徒の割合が大きくなっているが、典礼への参加は母語と日本語の使い分けが簡単ではない。自分の言語を持っていない子どもたちは、物事を深く考える能力が発達していない。
外国籍信徒の間の新宗教グループは、もともとラテン・アメリカにあったものだが、母国にいたときは気に留めなかったのに、不慣れな日本の生活の中で、面倒見のいいグループの支援(翻訳作業、ビザ取得のための手続きの援助など)を受けるうちに教会を離れてしまい、その勢力拡大を助長している。

3. 教会の対応
3.1. 社会への教会の貢献

少数派の日本のカトリック教会が、社会の発展における役割を重視していきたということは特筆に値する。教会はすでにキリシタン時代、明治時代以降、また戦後の復興期においても、社会福祉や教育の分野で日本社会に少なからぬ貢献をしてきた。一定層の人たちには、そのような教育や社会福祉を通じて、キリスト教的精神を心に刻み込んだ人は少なくない。カトリック系教育機関は一般的によい評価を得ており、影響は小さくない。自然災害の被災者に対する支援や平和のための活動も評価されている。
しかし、社会のレベルがある一定のところに達し、ほかにも同じようなサービスを提供する団体が多くなり、さらには法律による規制が増加するに従って、これまでの貢献は難しくなっている。なかには、司祭や修道者が減少し、経営にも全く関わらなくなってしまい、名前だけのカトリック学校も存在する。
社会の周辺の人々に寄り添い、同伴することは、キリスト共同体の特徴の一つであったし、今もそうである。たとえば、外国在留者に献身的に同伴することに力を入れたい。それは教会の働きに対する信頼を勝ち取るきっかけになり得る。日本カトリック難民移住移動者委員会は、難民、移住者、外国籍労働者の不当な現状を訴え、彼らの人権と正義を守り、彼らにとってより良い法律の制定を日本政府に要求するため、奉献生活者や信徒の養成セミナーの企画に力を入れている。
教会の社会的役割を、少子・超高齢小教区で担うことは困難になってきているが、教区の委員会等を立ち上げ、少人数ではあるが各委員や個人の活動により、社会的発言や働きかけは活発に行われている。ある教区は、オープンハウスという助け合いの場を開設し、リーダー養成を受けた南米やフィリピンの信徒の使命遂行を助けている。彼らは、入国者収容所の難民や移住者のサポートなど、大きな実を結んでいる。また、全ての小教区でこの受け入れのプロセスが開始された。
また、カトリック独自では対応が難しい事柄に対して、ほかの団体や宗教団体、市民グループと連帯することにより活動を続けている。ただ、一般信徒の意識は低い。
3.2. 教会共同体の養成
パンデミックによって公開ミサが中止されたことで、小教区が人々の健康、経済の状況の情報発信の場としての役割を担っていることに気づかされた。小教区、主任司祭、信徒のチームの働きによって、オンライン利用(ミサ、カテケジス、ロザリオなど)が広がっている。そして、オンラインの祈りに参加するために、多くの高齢者たちもスマートフォンやパソコンの使い方を学びはじめた。
結婚に恒久的な拘束力はないと考える若者が増えている状況の中で結婚講座は重要である。
外国籍の信徒の司牧では日本語を中心にし、多国言語も使いながら、共同体として進む時がきている。特別な祝い、赦しの秘跡、葬儀などは、出来る範囲で外国籍信徒の母国語で行う必要がまだある。
3.3. 日本社会の福音化
教会は特に2011年の東日本大震災以降、地元に根ざしたボランティア活動を、カリタスを通して行ってきた。こういう草の根の奉仕活動は、キリスト教と全く接点のなかった多くの人たちに福音的価値観を証しする場となり、これこそ、今後の日本社会に広くキリスト教精神を根づかせる道であると信じる。

4. 課題
4.1. 現勢

出生率の減少の緩和、少子・超高齢社会の諸問題に取り組むために、若者の司牧、特に結婚に対する根本的な態度(共に歩むためにいのちをかけること)を理解させることが重要である。
4.2. 社会
人権の尊重と平和および核兵器廃絶を促進するイニシアティブは、日本の教会が携わってきた二つの重要な課題である。聖ヨハネ・パウロ二世教皇の1981年の訪日に応えて、翌年日本の教会は広島への原爆投下の記念日の8月6日から終戦記念日の15日までを、平和のために祈り、平和について考え、平和のために行動する「平和旬間」と定めた。日本のカトリック教会は、一般の参加者も招いて平和のための祈りの集会やほかの活動、たとえば核兵器禁止条約の批准を推進する活動を企画する。
教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』に応えて、日本司教協議会は環境問題への取り組みを推進する基本方針を作成しつつある。これは、人類が直面している喫緊の問題に応えるだけでなく、日常生活の中で信仰を理解し生きる必要性を意識し、“出向いて行く教会”づくりを促進する必要性の意識を喚起する助けになると希望している。
4.3. 教会内の課題
伝統的なキリスト教家庭で、子どもたちへの信仰伝達ができなくなっている。
日本では、しばしば家族全員がキリスト信者ではないので、家庭内で諸宗教対話が行われている。このためには、一人ひとりの信仰の歩みを支える、より個別化した司牧的ケアが必要である。従って、特に、キリスト教が周辺の存在と見なされている日本社会の中で、孤独な信者たちのことを考える時、共同体は大切である。共同体の感覚を強めることは、特に小教区において一つの課題である。
教会内では、従来の事業を継続したいという思いが強く、新しいことに挑戦する熱意が感じられない。第二バチカン公会議が目指した「開かれた教会」を具体化する姿勢として「出向いていく教会」の実現こそは重要だが、残念ながら公会議以前の伝統的な教会(ラテン語の典礼など)にあこがれる若者、そして内向きで個人的信仰に深化するような消極的な教会の姿をよしとする世代が増加している。第二バチカン公会議に至った教会の歴史を振り返り、そこから現代的意味を学ぶことが不可欠だと思う。
若者へのアプローチも重要な課題である。社会生活の中で苦しむ彼らに寄り添い、彼らに耳を傾ける術を知り、彼らが自分たちの夢と関心事を分かち合うことができ、イエスと福音に出会うことができる場をつくるチャンスを彼らに与えることは、教会にとって重要な任務である。。
小教区の少子高齢化とそれに伴う教会財政の悪化、司祭の不足と高齢化は大きな課題である。
奉献者を含めて女性たちの存在は、教会の使命において大きな力である。奉献者の数が減少している今日、教区や国レベルの団体の存在はとても重要である。国際修道会の会員は、様々な国の人の言語(英語、ベトナム語、スペイン語、ポルトガル語など)で直接触れ合うことができる。しかし、日本に派遣されてから最初の数年間は日本語の勉強、日本文化や習慣に土着していくには時間がかかる。
4.4 福音化(Evnagelization)
日本のカトリック教会は「福音宣教推進全国会議」を1987年と1993年に行ったが、キリストの福音を教会内部にも社会にもまだうまく伝えきれていない。信徒による福音宣教の努力がこれからの課題であるが、まず神のことばに生かされた、強いきずなをつくるという、信者自身の福音化が課題である。そのためには、現実に対して新しい挑戦をするよう養成される必要もある。
教会外では、宗教団体に対する不信感は今なお強く、慈善活動の背景に改宗への導きの動機があるのではと疑いの目を向けられることも多い。また、世俗化は日本の文化に浸透しており、それは宗教的あるいは霊的事柄に対する新しい答えを求めて教会に来る人々にも見られる。そのため、カテキズム(要理)以上に宗教的“体験”、つまり信仰体験を深めることが必要と思われる。消費社会の中で自分の生活の霊的次元とつながりたいと求めている人々が大勢いることは疑いない。課題は、この探求に応える道筋をつくることである。
若い世代は、小教区での役割のためだけでなく、福音宣教にかかわるために、貧しい人、小さくされた人、高齢者に対する無償の奉仕の喜びを味わう機会を体験する必要がある。
4.5. 諸宗教対話
諸宗教対話は日本においては是非推進すべきことである。まず、神体験を伝え続け、人間としての生活の基礎となる価値をつくるのを助けてきた大いなる宗教的伝統について無知であってはならず、むしろ、それらを評価し尊重すべきである。そして、種々の宗教的伝統の代表者あるいは専門家による分かち合いのほかに、一定の地域に共存しているさまざまな教会や宗教団体の間の協働がある。協働は、その地域にいる人々や団体の間の喜びに満ちた積極的な共生を促進することを目指す。最後に、全員が同じ宗教団体に属さない家庭における諸宗教対話である。どのように互いを尊敬し受け入れるかを知り、同じ宗教的伝統に属さない、家族のほかの成員の信仰の歩みを支えようとすることは、核家族の調和を保つために根本的なことである。
4.6. 環境問題
教育現場(養護施設、幼稚園、小中学校)や老人ホームなどでは、エコロジー教育として、ゴミの収集と掃除、紙や段ボールのリサイクル、自然とのふれあいなど、具体的な取り組みをしている。小教区は、このような意識を醸成するためのセンターになれるはず。神の言葉、教会の教えなどの信仰的ビジョンから、そして、祈りの時(他宗教を含めて)や養成キャンプ、海や山でのゴミ収集といった、エコロジー的回心からの具体的な取り組みもある。それらは、自然を守るために役所が企画するプロジェクトで、地域の人と良い関係を作るチャンスであり、人間的環境を改善する機会である。
4.7. ほかの関心事
教皇フランシスコの訪日は、カトリック教会だけでなく、キリスト教教会全般をよりよく見えるものとしたのは確かである。また、日本全体に反響を与えた。ソーシャルメディアによる訪問の後日記事は非常に肯定的で、教皇のメッセージは教会を超えて多くの人々に届いた。対話の文化をつくろうとの呼びかけと核兵器に対する明確な立場に大多数の人々が強い反響を示した。教皇は、核兵器の使用だけでなく、所有も倫理に反する(immoral)と明言した。他方、移民の状況に繰り返し言及し、日本の社会に悪い影響を及ぼしているいくつかの問題にも触れた。それは、(生きる)意味の探求、孤独(特に独り暮らしの高齢者)の問題、家庭の価値などである。キリスト信者にとって、それは、普遍教会との交わりの強烈な体験であり、福音の喜びの証人となるようにとの力強い招きであった。
日本の教会は司祭職と奉献生活への召命の不足に直面している。その一つの原因は若年層の減少であるが、同時に若者の司牧は急務である。日本の教会は、アジアのほかの国々からの宣教師の派遣を感謝し、彼らの寛大な貢献を高く評価している。アジアの諸教会間の人的交流は教会の普遍性の感覚を強める。他方、日本のカトリック信者の数に対して司祭の数は十分過ぎるほどいる。従って、司祭たちの役務の“宣教的次元”を強化すべきだと感じる。そのために、彼らがキリスト信者の共同体を超えて、福音を待っている人々の心に達する方法を捜すよう招く必要がある。それは、“管理者”から“司牧者”へ、“司牧者”から“宣教者”へとモデルを転換することを意味する。

5. 新しい道
5.1. 多国籍の教会

外国籍の信徒は、教会内で役割を持てずにいる。日本の教会は日本人の教会ではなく、多国籍の教会であると言う意識を浸透させたい。日本の教会の力は、海外から来ている滞日外国人信徒の存在であり、彼らの秘めた可能性である。外国籍信徒がその役割を持って活躍すれば、教会が活性化し、国際的な意識も高まると思われる。彼らとの交流を活発にすることで、国際的な課題、特にアジアとの新しい関わりのあり方も見えてくると期待する。
5.2. 若い世代と共に歩む教会
若い世代の考えていることにもっと関心を抱き、若い世代と対話を通じて一緒に識別し、進むべき道を見いだしていく必要がある。若い世代と一緒になってチャレンジすることを止めてしまっては、教会は死んでしまう。若い世代に丸投げしてしまうのではなく、世代間の対話を促進し、リーダーシップを若い世代にゆだねながら、一緒に歩む姿勢を持ち続ける必要がある。
5.3. 教育の再編成
日本の教会ではミッション校と教区や小教区との連携がほとんど無い。ミッション校には教職員と生徒・学生の中に信者はわずかしかいないため、いかにそのアイデンティティーを保つかが課題であるが、小教区や教会活動と連携することにより、新しい可能性を模索したい。特に、ラウダート・シが提示する環境問題については多くの連携の可能性を含んでいる。
学校が貧しい子どもたちに接することができるように、教育の場を再編成する。修道会同士の協力で、教育センターを設け、学校で働く、信者でない教員をキリスト教的価値観と基準で養成する。
同じことが養護施設、老人ホーム、クリニックと病院など、他の教育分野でも言える。奉献者の召命の減少と高齢化によって、養成された信徒に経営を委ね、キリスト教精神を伝えようとしているのが現状なので、その継続と新しい奉仕者の生涯養成に取り組む必要がある。
5.4. 社会に開かれた教会
教会は、キリスト者、あるいは信者になろうとする人たちだけの教会ではなく、今の司牧体制を維持するだけの教会であってもいけない。新しい福音宣教のあり方を模索すべきである。
わたしたちは次のような教会を目指したい: 地域や町の現状に開かれている教会、人々の具体的なニーズに応える教会、人をありのままに受け入れる教会、困窮者、障がい者、性的少数者、在留外国人などの支援を行い、社会の底辺に置かれた人々、多国籍信者、苦しんでいる人々と共に歩む教会、入港した船員たちの霊的ニーズに対応する教会、平和や環境保全のための活動を通してすべてのいのちを守る教会。その際、理想の基準だけで人を見るのではなく、成熟のプロセスの段階で見る。それぞれの成熟のプロセス、その過程で受け入れて同伴することが求められる。
このように社会に開かれた教会を実現するためには、外に向かっていく(出向いていく)信徒の養成や小共同体の育成をすすめる必要がある。
5.5. 諸宗教対話への参加
現在の世界の緊急性に対応するため、他の宗教とエキュメニカルの道を継続させるために、奉献者と信徒にも、この取り組みに関わってもらうことが求められる。教義のレベルで議論し合うより、もっと愛といつくしみの業に力を合わせていくことが必要である。
5.6. アジア全体の協働体制
カトリック教会としては、アジア全体の協働体制、すなわちアジアの諸国民と一緒に歩む(旅をする)教会が課題である。FABCの文書に繰り返し述べられてきたように、わたしたちは、アジアの教会を、アジアの諸国民と一緒に歩むために主から派遣されているものと見る。従って、アジアの文脈における教会生活には4つの重要な面があると考えられる。
① 学び ー 神は常にアジアの諸国民の歩みに同伴して来られたと信じることを示す。感謝しながら学ぶ。それは、アジアの多くの国や地域に存在する宗教的伝統を背景とする中でさらに重要である。
② 分かち合い ー 各自がいただいたものを与え合うことで、アジアの教会全体の霊的および人間的成長に寄与し、それぞれも自らの神体験において成長できるだろう。そのために、たとえば、オンラインシステムを使って、アジアレベルでの様々な分野で対話を強化していく。あるいはアジアの現状(人身売買、環境問題、移住・移動者など)に則した祈りの時間を持つ。
③ 告発する ー 貧しい人々、周辺に追いやられた人々をイエスの弟子とみなして彼らの側に立つ結果、主とその愛に信頼を置く人々が持つ自由をもって権力者を告発する。
④ 包括的な社会の建設 ― ご自分の子どもたちのための神の夢に応えながら、善意の人々と一緒にアジアの諸国民に奉仕する。イデオロギーの相異、諸国間の不安定な関係、経済的格差、宗教の多様性などの諸問題を抱えるアジアに対して、教会は可能な限り連携し、政治や経済の分野にも影響を及ぼすよう努力する。カトリック学校の存続にしても、信徒の宣教にしても、まずはアジア全体が一つのエリアだという自覚を持ちたい。

2021年8月6日 主の変容の祝日

日本カトリック司教協議会
会長 髙見 三明

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