2022年「世界平和の日」教皇メッセージ(2022.1.1)

第55回「世界平和の日」教皇メッセージ (2022年1月1日) 「世代間対話、教育、就労――恒久的平和を築く道具として」 1.「いかに美しいことか、山々を行き巡り、よい知らせを伝える者の足は」(イザヤ52・7)。  預言 […]

第55回「世界平和の日」教皇メッセージ
(2022年1月1日)

「世代間対話、教育、就労――恒久的平和を築く道具として」

1.「いかに美しいことか、山々を行き巡り、よい知らせを伝える者の足は」(イザヤ52・7)。

 預言者イザヤのことばが描くのは、暴力と虐げに疲弊し、屈辱を受け、死にさらされた捕囚の民の慰め、安堵の吐息です。この境遇について、預言者バルクはこう問うています。「イスラエルよ、なぜなのか。なぜお前は敵の地におり、異国の地で年を重ね、死者と汚れをともにし、陰府(よみ)に下る者の中に数えられたのか」(バルク3・10−11)。この民にとって平和の使者の到来は、歴史の瓦礫の中からの復活の希望であり、明るい未来の始まりでした。

 平和の道――聖パウロ六世はこれに全人的発展(インテグラル・ディベロップメント)という新しい名をつけました1――は、残念ながら今日でも、多くの人の実生活、ひいては、今や完全に相互が結びついた人類家族の現実からはほど遠いところにあります。国家間の建設的な対話を目指す幾多の努力にもかかわらず、戦争や紛争の耳をつんざく騒音は増幅し、その一方で、パンデミック級の病気の数々が発生し、気候変動と環境悪化の影響は深刻化し、飢餓と水不足の悲劇は激化し、連帯による分かち合いよりも個人主義に根ざす経済モデルの優勢が続いているのです。古代預言者の時代と変わらず今日もなお、正義と平和を請い求める貧しい人の叫びと大地の叫び2は、やむことがないのです。

 いつの時代でも、平和は天から授かるものであると同時に、共同で担った責務の実りでもあります。確かに、さまざまな社会制度が関与する平和の「構築」があり、一人ひとりが個人として携わる平和の「手仕事」があります3。より平和な世界を築くために、すべての人が力を合わせるべきです。それぞれの心において、そして家族の関係、社会での関係、環境との関係から、民族間や国家間の関係に至るまでです。

 ここで、恒久的平和を築くための三つの道を示したいと思います。まずは世代間対話で、これは共通の計画を実現するための基盤です。第二は教育で、これは自由と責任と発展のための条件です。最後は就労で、これは人間の尊厳を完全に実現するものです。これらは「社会契約を可能にする」4ための必須の三要素であり、これを欠いた平和事業は、いずれも実体のないものです。

2.平和を築くための世代間対話

 あまりに多くの問題を引き起こしたパンデミックに恐ろしいほどに苦しめられている世界で、「私的な世界に逃げ込み現実を避けようとする者がいれば、破壊的な暴力をもって現実に対峙する者もいます。ですが、利己的な無関心と暴力的な抗議の間には、いつも可能な選択肢があります。対話です。世代間の対話」5です。

 誠実な対話にはいずれも、適切で前向きな話法があればいいわけではなく、つねに、対話者間の基本的な信頼関係は必要です。この相互信頼を取り戻さなければなりません。現在の健康危機は、すべての人の孤独感と内向性を強めています。高齢者の孤独と並んで、若者には無気力や、未来に対する共通のビジョンの欠如も見られます。この危機は確かにつらいものです。ですがその中でこそ、人間のよい部分が見えてくることもあります。事実、パンデミックの渦中にわたしたちは世界中で、思いやりや協力や連帯という寛大さの模範を目にしました。

 対話とは、互いに耳を傾け、向き合い、納得し合い、ともに歩むことです。そのすべてを世代間で促進していくことが、永続的で共有できる平和の種を育てるために、紛争や排斥という硬く不毛な土壌を耕すこととなるのです。

 テクノロジーと経済の発展は、世代間に分断を生みがちですが、現代の危機は、世代間が緊急に手を結ばなければならないことを示しています。若者には老人の人生経験、知恵、霊的経験が必要であり、一方老人は、若者からの支援や愛情、彼らの創造性や活力を必要としています。

 重要な社会的課題の解決と平和の構築は、記憶の守り人——高齢者——と歴史の継承者——若者——との対話なしには進みません。また、過去がなんだ、未来がなんだとでもいうかのように自分の関心ばかりを追い、どんな場面でも仕切ろうとするのではなく、相手にも譲ろうという意志が互いに欠けていても進みません。わたしたちが経験している世界規模の危機が示すのは、世代間の出会いと対話が、健全な政治の原動力だということです。健全な政治は、「継ぎ当てや応急処置」6で現状に対処することをよしとせず、共有と持続が可能な計画を追求することで、他者への優れた愛の姿勢7として現れるものです。

 たとえ困難の中にあっても、この世代間の対話が実践できれば、「わたしたちは今という時にしっかりと根を張るでしょうし、その場所から、過去や未来へ行き来するでしょう。歴史から学ぶため、なおもときどき枷(かせ)となる傷をいやすために足しげく過去へ通い、熱い思いをたきつけるため、夢を膨らませるため、預言を招くため、希望を花開かせるために、未来へとまめに通います。そのように結ばれて、わたしたちは互いから学ぶ……ことができるのです」8。根がなければ、木はどうして成長し、実をつけることができるでしょうか。

 わたしたちがともに暮らす家を大切にする、この問題を考えればよいのです。事実、環境はまさしく「あらゆる世代に貸しつけられているのであって、いずれ次世代へと手渡さねばなりません」9。ですから、より正義にかなう世界を目指して努力し、世話をするようわたしたちにゆだねられている被造物の保護に高い意識をもつ多くの若者を、わたしたちは褒め、励まさなければなりません。彼らは、緊急の方向転換10に直面する中、懸念と熱意、そして何よりも責任感をもってそれを行っています。この方向転換は、現在の倫理的危機と、社会的でも環境的でもある危機11から生じた困難によって課せられたものなのです。

 一方、平和への道をともに築くためには、世代間対話にとって恵まれた場であり環境となる、教育と就労を無視することはできません。世代間対話のための語法を提供するのが教育で、異なる世代の男女が協力し、共通善のために、知識と経験と技能を交換するのが労働の経験になるのです。

3.平和の原動力としての教育と養成

 近年、教育と養成のための予算は、投資ではなく費用とみなされ、世界的に大幅に削減されています。しかしそれらは、全人的発展の第一の場です。人間をより自由で責任あるものにし、平和の擁護と推進のために不可欠なものです。言い換えると、教育と養成は、希望、富、進歩を生み出すことが可能な、まとまりのある市民社会の礎なのです。

 一方で軍事費は増大し、「冷戦」終結時に記録された規模を超えており、今後も法外に膨張していくと思われます12

 したがって政治責任を有する者が、教育への公共投資と軍事費の比率を逆転させる経済政策を策定することは、時宜を得たことでありかつ緊急に必要なのです。他方、多国間軍縮のための実際的な工程の追求は、民族と国民の発展に多大な恩恵をもたらすだけでなく、保健医療、学校、インフラ、国土保全などにより適切に充当させる財源の確保につながるのです。
 わたしは教育への投資には、ケアの文化を促進する確固たる取り組みが付随していることを期待します13。この文化は、社会の分断や制度の機能不全に直面した際、壁を取り払い橋を架けるための共通語となりうるのです。「国は、そこにある文化的に多様な豊かさが建設的に対話しているときに繁栄するのです。民衆文化、大学文化、若者文化、芸術文化、技術文化、経済文化、家庭の文化やメディアの文化などです」14。したがって、「成熟した人間形成に、家族、地域社会、学校や大学、機関、宗教団体、政府当局、全人類が関与する、若い世代のための、若い世代と結ぶ、グローバルな教育協定」15によって、新しい文化的パラダイムを構築する必要があります。友愛を中心とし、かつ人間とその環境との間の契約を中心に据え、平和的、発展的で、持続可能な文化モデルに従った、総合的な(インテグラル)エコロジー教育を促進する協定です16

 若い世代の教育と養成に投資することは、彼らが個別の準備を経て、就労の場で、稼ぎを得ることのできる適切な職に就けるようにする、主要な道です17。 

4.雇用の促進と保証が平和を築く
 就労とは、平和を構築し維持するために不可欠の要素です。また自己とその才能の表現ですが、同時に社会参画であり、努力であり、他者との協働です。つねに、だれかとともに、あるいはだれかのために働くからです。このきわめて社会的な視点から見ると、就労によって、より住みやすく、よりすばらしい世界のための貢献を習得するのです。

 かねてよりさまざまな課題が山積していた労働市場は、Covid-19のパンデミックによって悪化しています。何百万もの経済・生産活動が破綻し、非正規雇用の労働者はますます弱い立場に置かれ、エッセンシャルワーカー(訳注:医療、介護、公共交通といった日常生活に欠かせない職種の労働者)の多くは世間や政治からの関心の埒外に追いやられ、オンライン授業は多くの場合、習熟と教育カリキュラムの遅れを招きました。同様に、就職活動中の若者や、失業した社会人も、現在、過酷な見通しを突きつけられています。

 とくにこの危機が、移住労働者とつながりが深い非公式経済(インフォーマルエコノミー)(訳注:貧困国や発展途上国に多く見られる、国家の統計や記録に含まれていない経済活動を指す用語。インフォーマルセクター、ポピュラーエコノミーも同義)に与えた影響は甚大でした。移住労働者の多くは国内法で認知されておらず、あたかも存在しないかのような扱いを受けています。彼らとその家族は非常に不安定な状況で暮らし、さまざまな形態の隷属的扱いを受け、彼らを保護する社会福祉制度が欠けています。さらに、社会保障制度を受けているか、限定的にその恩恵を受けているのは、世界の生産年齢人口のわずか3分の1だという事実も加わります。暴力や組織犯罪が多くの国で増加しており、人々の自由や尊厳を奪い、経済を蝕み、共通善の促進を妨げています。このような状況の唯一の打開策は、ディーセントワーク(訳注:働きがいのある人間らしい仕事)への雇用を多く創出することです。

 事実、就労は、それぞれの社会において、正義と連帯を築く基礎となるものです。そのため、「テクノロジーの進歩によって人間の働きがますます不必要になれば、それは人類にとって不利益となるでしょうから、そうしたことを目標にすべきではありません。働くことは一つの必然であり、地上における生の意味の一部であり、成長や人間的発達や人格的完成への小路です」18。生産年齢にあるすべての人が、それぞれの仕事を通じて家庭や社会生活に貢献できるように、わたしたちは知恵と努力を結集して、条件を整え、解決策を編み出さなければなりません。

 共通善と被造物保護を志向した、人間の尊厳にふさわしい労働条件を世界中で創出することが、これまで以上に急務となっています。経営側の取り組みに自由を約束しそれを支持すると同時に、利益至上主義に走らないよう、これまでとは違う社会的責任感を啓発することも必要です。

 この観点から、企業に対して労働者の基本的人権の尊重を強く促す取り組みを奨励し、歓迎し、支援して、諸制度のみならず、消費者、市民社会、実業界の側でも、こうした意識を高めていかなければなりません。後者の人たちが自分の社会的役割に対する自覚をもてばそれだけ、そこが人間の尊厳が実現される場となり、自分たちで平和の構築に貢献することになるのです。その点について政治には、経済的自由と社会正義との間に、正義にかなった均衡を生み出すことで、積極的に関与するよう求められています。またカトリック信者の労働者と雇用者はもちろんのこと、そこにかかわるすべての人は、「教会の社会教説」の中に確かな指針を見いだすはずです。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。パンデミックから抜け出るために力を合わせようとする今、あらためて感謝申し上げたいかたがたがおられます。教育や治安や権利擁護を守るため、医療を提供するため、家族と患者の面会をかなえるため、貧しい人や失業した人への経済的支援を行うために、寛大さと責任をもって献身してくださった皆様、今なお身をささげておられる皆様、ありがとうございます。また、亡くなられたかたがたとご遺族の皆様を、祈りの中で思い起こすことを約束いたします。

 政治家、政治的・社会的責任を担う人、教会共同体の司牧者とリーダー、そして善意あるすべての人に向けて訴えたいと思います。勇気と創造性をもって、三つの道をともに進み続けましょう。世代間対話、教育、就労、この三つです。もっともっと多くの人が、騒いだりせず、謙虚さと忍耐を忘れずに、その日その日に平和の「職人」となれますように。平和の神の祝福が、いつも彼らを先導し、寄り添ってくださいますように。

バチカンにて
2021年12月8日
フランシスコ

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