名誉教皇ベネディクト十六世の逝去に際して

日本のカトリック教会の皆様 名誉教皇ベネディクト十六世の逝去に際して  敬愛する牧者であった名誉教皇ベネディクト十六世は、現地時間12月31日9時34分(日本時間12月31日17時34分)、ローマにおいて95年にわたる人 […]

日本のカトリック教会の皆様

名誉教皇ベネディクト十六世の逝去に際して



 敬愛する牧者であった名誉教皇ベネディクト十六世は、現地時間12月31日9時34分(日本時間12月31日17時34分)、ローマにおいて95年にわたる人生の旅路を終え、御父のもとに旅立たれました。20年以上にわたり教理省の長官として、さらには教皇として8年間にわたって教会を導かれたベネディクト十六世の逝去に際して、深い悲しみを覚えるとともに、永遠の安息をお祈り申しあげます。
 1927年にヨゼフ・ラッツィンガーとしてドイツで誕生されたベネディクト十六世は、1951年にミュンヘン教区の司祭に叙階されました。叙階後は神学者として頭角を現し、1959年にはボン大学教授、その後ミュンスター大学やチュービンゲン大学の教授職を歴任されました。第二バチカン公会議の時には、ケルンのフリングス枢機卿の神学顧問として公会議に参加され、新進気鋭の神学者として注目されるなか、特に現代世界憲章をまとめ上げるために力を尽くされました。その後、1977年にはミュンヘン・フライジングの大司教に任命され、同時に枢機卿に親任されました。1981年には、教皇聖ヨハネ・パウロ二世から教皇庁の教理省長官に任命され、その後長きにわたって現代社会を旅する教会の神学的支柱として大きな影響を与え、さらに病気の苦しみと闘った高齢の教皇聖ヨハネ・パウロ二世をすぐそばで支えました。
 2005年4月19日に、教皇聖ヨハネ・パウロ二世の後任として教皇に選出され、ベネディクト十六世と名乗られた教皇は、その8年後、2013年2月11日に、歴史的な退位宣言をされました。それは聖霊の導きに全幅の信頼を置く信仰者としての決断の模範を、明確にあかしされる行動でありました。その日から、名誉教皇として沈黙と祈りのうちに教会を支え続けられました。
 教皇就任以前に教理省長官として時にその厳しさが強調されたため、頑固で厳しい教皇という印象が強く残っていますが、実際にお会いすると、優しさに満ちあふれた牧者でありました。特に最初に発表された回勅が「デウス・カリタス・エスト(神は愛)」であったことは象徴的です。ベネディクト十六世は、教会における愛(カリタス)の業を重要視され、それが単に人間の優しさに基づくのではなく、信仰者にとって不可欠な行動であり、教会を形作る重要な要素の一つであることを明確にされました。
 2011年の東日本大震災の時には、いち早く被災された方々へ心を寄せ、被災地にサラ枢機卿様をご自分の特使として派遣され、様々な機会に、日本の司教団に慰めと励ましのことばをくださいました。優しさに満ちあふれた「愛(カリタス)」の教皇でありました。
 名誉教皇ベネディクト十六世の逝去にあたり、これまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、御父の懐にあって豊かな報いをうけられますように、永遠の安息をともにお祈りいたしましょう。

2022年12月31日
日本カトリック司教協議会 会長
カトリック東京大司教区 大司教
菊地功




※ご遺体は、2日午前中にサン・ピエトロ大聖堂に移され、葬儀は、5日の9時30分からサン・ピエトロ広場でフランシスコ教皇司式で執り行われます。

PAGE TOP