教皇フランシスコ、2024年2月25日「お告げの祈り」でのことば
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
四旬節第二主日の福音箇所は、「イエスの姿が変わる」出来事についてです。
イエスが弟子たちに、これから受けられる受難について話された後、イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて、高い山に登られます。そこでイエスはご自身が放つすべての光のうちに、ご自身を現されます。このようにして、その時までの出来事を、イエスとともに体験するに至った意味を、弟子たちに明らかにされます。天の国を説くこと、罪のゆるし、いやし、行われたしるし、それらは実際、より強い光の輝きだったのです。つまりそれはイエスの光であり、イエスご自身が光だったのです。弟子たちはその光から目を離してはならず、特に試練のとき、この時点で間近に迫っていたイエスの受難の時も目を離してはならなかったのです。
今日のメッセージは、イエスの光から決して目を離してはならない、というメッセージです。これは、かつて農民が田畑を耕しながら行っていたことに少し似ています。すなわち、農民たちは、自分たちの前にある特定の場所を集中して見つめ、その場所に目をとどめ続け、まっすぐな畦の間をたどりました。これこそ、人生という道のりを歩みながら、キリスト者としてわたしたちが行うように求められていることです。いつもイエスの光り輝くみ顔を視線の先に置き、イエスから決して目を離さないでいることです。
兄弟姉妹の皆さん、イエスの光に、わたしたちの心を開きましょう!イエスは愛であり、終わりのないいのちです。人生の道を歩む中で、時には曲がりくねった道があっても、いつくしみと忠実さと希望に満ちあふれるイエスのみ顔を探し求めましょう。祈りとみことばに耳を傾けることと秘跡が、そうできるようにわたしたちを助けてくれます。祈りとみことばに耳を傾けることと秘跡が、イエスから目を離さないように、わたしたちを助けてくれます。四旬節にふさわしい決意があります。温かく迎え入れるまなざしを培い、「光を探す者」となり、祈りと人々のうちに、イエスの光を探し求めるのです。
ではここで、こう自問しましょう。わたしの旅路の中で、わたしに同伴してくださるキリストをずっと見つめ続けているだろうか。そうし続けるために、静かに祈り、あがめる場をつくっているだろうか。最後に、イエスの光にあるすべての小さな輝きを探し求めているだろうか。その輝きはわたし自身とわたしが出会う兄弟姉妹のうちにあるだろうか。そして、これらのことを、主に感謝する気持ちを思い起こせているだろうか。
神の光を受けて輝く聖マリア、まなざしをイエスに向け続けられるように、そして信頼と愛のうちに互いを受け入れられるように、わたしたちを助けてください。
(この訳は暫定訳であり、カトリック中央協議会発行書籍に掲載された時点で差し替えます。)
